一葉「よもぎふ日記」6
きょうは、明治26年3月8日からです。 八日 晴天。寒し。 九日 母君、菊池君にまねかれ給ふ。 東園翁 (1) 五年祭也。 十一日 之夜、号外来る。山県司法大臣依願免官(いぐわんめんくわん)、枢密(すうみつ)院議長に任ぜられ、農商務次官西村捨三(すてざrう)君免官、文部次官久保田譲(ゆづる)君おなしく、 □□□知事牧野伸顕(のぶあき) (2) 君文部次官には任ぜられたり。司法大臣は伊藤首相これをかねらるるなりけり。 十二日 睛天。「 櫺島少佐浦塩斯徳(ウラジヴアストク)を去る五百里の地に (3) 、無事着(ぶじちやく)されたるよし電報あり」といふ。いとめで度(たき)ことなりかし。日曜なれば芦沢芳太郎并(ならび)に藤林房蔵来る。午後(ひるすぎ)まで両人(ふたり)とも遊ぶ。今宵国子と共に 薬師 (4) の縁日そぞろありきす。夜に入りて失火あり、何方(いづく)成けん。 我が家(や)は細道一つ隔てて (5) 上通(うはどほ)りの商人(あきんど)どもが勝手とむかひ合居(あひゐ)たり。されば、 口さがなきものどもが常にいひかわすまさなごとどもいとよく聞ゆるに、今日しも、とあることの序(ついで)に華主先(とくいさき)のものがたりすとてふと言ひたることに国子耳(みみ)とどむれば、かの大人(うし)があたりのことにぞ似たる。「主(あるじ)めきたる人二人三人(ふたりみたり)あれば、いづれが夫(それ)なるや分らねど、色しろくたけ高やかなる人のものいひ少しあがりたるは、大方この人主(あるじ)なるべし。 奥方 (6) や何や知らず、おもざしなどさしても美事(みごと)ならぬが、ものを買ふとて、『いとたかし』など小言(こごと)いひつるに、「左なまがまがしく商人(あきんど)なしかりそ』とて、はら其ままの価(あた)ひに買(かひ)とりてくれたるはわかりし人成し。「家は三崎町のはづれにて、店がまへ立派なる葉茶屋(はぢやや)なり」といひ居(ゐ)たるよし、かの大人(うし)に違ひはあらじ」など国子かたるに、忘れぬものを又さらにおもひ出ていと堪(たへ)がたし。 くれ竹のよも君しらじふく風の そよぐにつけてさわぐ心は (7) とあるタベかねの音(ね)を聞て まちぬべきものともしらぬ中空(なかぞら)に などタぐれのかねの淋(さび)しき (8) 十三日 ...