樋口一葉「日記 ちりの中」②
「ちりの中」から、きょうも明治27年2月23日のつづきです。 我も彼れもしばしは無言成しが、「いでや御(お)はなし承らん。何等(なんら) の事故おはしますにや」とかれより問ひ出づ。 「つれづれ」の法師が詞(ことば)に、「名を聞よりやがて実(まこと)はおもひやらるれど、逢見れば又おもふ様(やう)のかほしたる人ぞなき」とありしが (1) 、げにしかそかし。されば、 かくいはん、といはんとおもひもうけしことは、時にあたりてさもいふまじきこともあり、さらに我がむねを開くこともありかし。「先(まづ)は、ことに先だちて申すべきは、をしかけに参(まゐり)ての罪あさからざると、女子(をなご)の身にてきまりをこえ、のりのほかにはしり、あと聞(きき)給ひては、『ものぐるはし』とやおぼし給はん。それには故(ゆゑ)あり、もとあり。 天地(あめつち)をおさめ給(たまふ)らん (2) とおもふそのひろやかなる御胸(おむね)のうちに、愚言(ぐげん)の愚(おろか)なる、卑言(ひげん)のさもしきも捨て給はず、愛憎好悪(かうを)さまざまの塵(ちり)あくたの外(よそ)に埋(う)もれながら、一筋(ひとすぢ)きえぬ誠のこころを聞(きこ)しめして、おぼしめし給ふ処を仰せ給はらば、嬉しかるべし。我れはまことに窮鳥(きゆうてう)の飛入るべきふところなくして、宇宙の間(あひだ)にさまよふ身に侍(はべ)る。あはれ広き御むねは、うちにやどるべきとまり木もや。まづ我がことを聞きたまふべきや」といへば、「よし、おもしろし。いかで聞かん」と身をすすます。「我身、父をうしなひてことし六年、うきよのあら波にただよひて、昨日は東、今日はにし、あるは雲上(うんじやう)の月花(つきはな)にまじはり、或は地下(ぢげ)の塵芥(ちりあくた)にまじはり、老たる母、世のことしらぬいもとを抱(だ)きて、先(まづ)こぞまでは女子(をなご)らしき世をへにき。聞(きき)たまへ、先生。うきよの人に情(なさけ)はなかりけるものを、わがこころよりつくり出(いで)てたのもしき人とたのみ、にごれるよをも清(す)める物とおもひて、我れにあざむかれてここに誠を尽しにき。一朝(いつてう)まなこの覚(さ)めぬるは我が宇宙にさまよふのはじめにして、人しらぬくるしみ此時より身にまつはりぬ。あえなく、はかなく、浅ましき物とおもひ捨てて、今は下谷(したや)の片ほとりに、あきなひ...