一葉日記「道しばのつゆ」④
きょうは、明治25年11月11日の途中からです。 『都之花』のことかたるに、「そはいとよき事成かし。何方(いづかた)にまれ筆とりておはしまさば、よろこばしき事ぞかし。我がしれる友などもみな惜しみ合ひてありしものを」などかたらる。「さる頃、 明治女学校の教師なる何某(なにがし)といふ人 (1) 、我が『むさし野』 へ君のこと頼みに来たり。『女学雑誌』に執筆あり度(た)しといひたれど、さしつかへおはします頃にて、しばし筆とり給ふことあたふまじと断りたるは、我が僭越(せんえつ)の所為(しわざ)成けん。もしこれに出(いだ)したしなどのぞみ給はば、いつにもあれ申給へ。我れ其人(そのひと)に紹介し参らせんに、すこしも君が名のけがれには成るべくも非(あ)らず」などいふ。 我も言はまほしきこといと多かれど、人めあれば打(うち)もいであへず。君もの給ふことありげなれど、ロつぐみ給へり。「 畑島 (2) の老母、一昨日(をとつひ)俄かにうせしかば、この一日二日(いちにちふつか)日常に通ひて世話をなし居たり」といふ。「さるは我が郵便のとどきたるより帰りおはしたる成るべし。気の毒なることを」とおもふ。商ひのいといそがはしくして、大人(うし)のしばしも落付(おちつき)給ふいとまなく立はたらきおはすさま、何とはなくかなし。ありし病ひの後はいといたうやせて、さしも見あぐる様(やう)成し人の細々(ほそぼそ)と成ぬるに、出入(でいり)につけて、ものはかなきみづしめ様のものにさへ、客といへばかしら下げ給ふことのいたましさ。これをなりわひとすれば身にはつらしとも覚さざめるを、見る目はいと侘(わび)しかし。「今日は例(いつも)に似ずいと商ひの多きは、君のおはしたるに依りてなるべし。かかる福(さいは)ひの神おはしたるに、何かおもてなしせずはあらじ」とて、みづしめ呼びて菓子などかひにやる。かく隔てなげにものし給ふものから、何故(なにゆゑ)とはしらず、ありしに替りし心地して、ただひたすらに心ぼそし。「新開町(しんかひまち)のならひ、何品(なにしな)といへどよきものうる家なく、菓子も何もかかるもののみなれど、ゆるし給へかし。かかる中なれば、人は我がみせをもこのたぐひと見て、さしも珍重(ちんちよう)には思はざるを、もしもここに来て一度(ひとたび)かふ人あれば、おもひがけずおどろきて、『三崎町にもかかる家あ...