一葉「につ記」①
きょうから、表書きに「廿五年九月」とある「につ記」に入ります。明治25年9月1日からです。 四日 曇天。「今日は日曜なれば、野々宮君来訪さるべし」とて支度し居(ゐ)たるに、西村君、 上野 (1) の房蔵氏(ふさざううぢ)来らる。談話(ものがたり)少し。 やがて野々宮君参らる。前よりの人々は帰る。歌二題よます。 宗教上 (2) のもの語種々(がたりさまざま)あり。午後より雨降り出づ。しばしの晴間に同君帰宅。今宵は 待宵(まつよひ) (3) なれど月なし。 五日 曇天。芝より兄君来る。「 薩摩陶器の土瓶(どびん) (4) 、 かひてあらば売(うり)たし」とて五箇ほど持参。「我家にても一ッあがなひ度(た)し」などいふ。日没まで遊びて、帰路(かへり)、諸共(もろとも)に 万世橋(よろづよばし) (5) まで行く。兄君はこれより馬車。おのれと国子は小川町(をがはまち)に廻りて 焼(やけ)あと (6) の新築を見、 東明館(とうめいくわん) (7) に墨をかふ。今宵、旧七月の十五夜也。夕方より一点の雲なく成りて、 明月の光り何とも いへず。お茶の水橋に虫声ききながら暫時たたずむ。帰路(かへり)にはがきをかひて、田中君に各評出詠(しゆつえい)断りを出し、小(を)がさ原君(はらぎみ)に数(かず)よみ出席断りをいふ。家に帰りても月の光見捨(みすて)がたく、板敷(いたじき)のもとに更(ふく)るまで一 人起居たり。 (1) 小学館全集の脚注には「兵蔵の妻つるの連れ子が、藤林から離籍して上野に改姓したもの」とある。 (2) キリスト教とみられる。 (3) 翌日の十五夜の月を待つ宵の意で、陰暦8月14日の夜をいう。 (4) 虎之助の作品。工芸品として有名な白薩摩は、象牙色や淡いクリーム色の素地に透明な釉薬を施した上品な焼き物。焼成後に細かな釉薬のひび模様が生じ、そこに赤、緑、青、黄などの絵の具で繊細な手描きが施し、さらに金彩で緻密な文様を加える。 (5) 神田川を渡る東京最初の石橋。昌平坂下の万世橋北詰には鉄道馬車の停留所があったという。 (6) 明治25年4月10日に、猿楽町1番地から発生した神田の大火の焼け跡。午前9時半ごろ一度火の手は収まったが強風により再燃し、同日午前11時半ごろ鍛冶町の大通り付近で鎮火した。24人が焼死、約15万平方メートルが焼失したとされる。 (7) 神田区裏...