一葉「よもぎふ日記」7
きょうは、明治26年3月25日の日記です。 十五日 曇る。灸治をなす。昨日より、家のうちに金といふもの一銭もなし。母君これを苦るしみて、姉君のもとより二十銭かり来る。 ありし玉章(たまづさ) (1) をくり返しみて くり返しみるに心はなぐさまで 涙おちそふ水くきのあと むさしあぶみ (2) とはぬもうしとなげきても 中々つらき命成けり 老(おい)たる親の上をおもへば、 ふけう (3) の罪さりがたけれど 中々にしなぬいのちのくるしきは うき人こふる心成けり されど、 人の憂きにはあらで、すべて我心からなれば (4) つらからぬ人をば置てかたいとの くるしやこころわれとみだるる (5) 入日(いりひ)のかたをながむれば、かの大人(うし)のあたりそことしのばれて うら山しタぐれひびくかねの音(ね)の いたらぬ方(かた)もあらじとおもへば 十五日 午後(ひるすぎ)広瀬七重郎出京、訴訟ごと也。此日、小梅村(こうめむら) 吉田かとり子ぬし (6) より文(ふみ)来る。哀(あはれ)なること多し。こぞの梅見(うめみ)を思出(おもひいで)ての歌あり。 「くるとあくと思ひ出さぬ折ぞなき 共に梅見しこぞの其日(そのひ)を おもふどち梅見くらして植半(うゑはん)の ゆく水くらきなつかしとぞおもふ 此ごろとおもひしものをいと早(はや)も はや一(ひと)とせのめぐりきにけり」 などいと多かり。「これがかへし必らず出さん」とおもふ。この人のうへをおもへば、女の身 のはかなきこといとどしられて、男もちたる後も心安からじ。はや 五十(いそぢ)にもちかき (7) 人の、三人四人(みたりよたり)子などもあるを、猶(なほ) うたひめ (8) などの花々しきかたに男の心うつろひぬれば、身は巣守(すも)りにて音(ね)をのみなき暮らすらんよ。「 三界(さんがい)に家なし (9) 」といにしへこそいひけれ、今のよとてもかかる人の上(うへ)時々は聞(きこ)ゆるかし 。 (1) 半井桃水の手紙。 (2) 『伊勢物語』に「むさしあぶみさすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし」。「むさしあぶみ」...