雪の日③

珠は、桂木との関係を憶測する村の噂を信じて責める伯母が恨めしく泣き崩れますが、心の底にうごめく駒の狂いには気がつきません。

口惜(くや)しかりしなり、その内心の。「いかに世の人とり沙汰うるさく(1)、一村挙こぞりて我れを捨つるとも、育て給ひし伯母君の眼に我が清濁は見ゆらんものを、汚(けが)れたりとや思す恨らめしの御詞(おことば)、師の君とても昨日今日の交りならねば、正しき品行は御覧(ごらう)じ知る筈(はず)を、誰が讒言(さかしら)に動かされてか打捨て給ふ(2)情なさよ。成らばこの胸かきさばきても身の潔白の顕(あら)はしたや」と哭(な)きしが、その心の底何者の潜みけん、駒(こま)の狂ひ(3)に手綱の術(すべ)も知らざりしなり。

(1)小説の師として頼りきっていた半井桃水との仲を、和歌の私塾「萩の舎」社中に疑われて、主宰する中島歌子からも桃水との絶交を勧められた。そのときの一葉の思いが表れている。「伯母君」は歌子そのもののようでもある。
(2)根も葉もないうわさをそのまま放っておかれる。
(3)「駒」は、心の駒、すなわち、 馬が勇みはやって押えがたいように感情が激して自制しがたいことをいう。「駒の狂い」は、煩悩に狂うこと。「心の駒に手綱ゆるすな」(動きやすい心を自戒して、過ちを犯すな)という諺もある。

小簾(をす)のすきかげ隔てといへば、一重ばかりも疾(や)ましきを(4)、此処(ここ)十町の間に人目の関(5)きびしくなれば、頃は木がらしの風に付けても、散りかふ紅葉(もみぢ)のさま浦山(うらやま)しく、行くは何処(どこ)までと遠く詠(なが)むれば(6)、見ゆる森かげ我を招くかも。「あの村外れは師の君の」と、住居のさま面かげに浮かんで、夕暮ひゞく法正寺の鐘の音かなしく、さしも心は空に通へど、流石(さすが)に戒しめ重ければ、足は其方(そなた)に向けも得せず、「せめては師の君訪(と)ひ来ませ」と待てど、立つ名は此処にのみならで(7)、憚りあればにや音信(おとづれ)もなく、と絶(だ)えし中に千秋(8)を重ねて、万代(よろづよ)いわふ新玉(あらたま)の(9)、歳たちかへつて七日の日来(きた)りき。

(4)隙間から見る人影は、すだれ一重の隔てだけでも気がかりなものなのに。「小簾」の「小」は接頭語で、すだれのこと。
(5)世間の目に妨げられて思うようにいかないのを「関」にたとえている。
(6)見渡せば。見やれば。ここでは「眺む」と同じ。
(7)浮名が立って人目を気づかうのは、珠だけではなく桂木もそうであるらしく。
(8)千年の意だが、ここでは一日千秋のこと。思慕の情がはなはだしく、会わないでいる一日がはなはだ長く感じられる、待ちこがれる気持。次の「万代」の縁語。
(9)年、歳の枕詞。

伯母君は隣村の親族(みより)がり(10)年始の礼にと趣き(11)給ひしが、朝より曇り勝の空、いや(12)暗らくなるまゝに、吹く風絶へたれど、寒さ骨にしみて、引入る(13)ばかり物心ぼそく(14)、不図(ふと)ながむる空に白き物ちらちら、「さてこそ雪になりぬるなれ。伯母様さぞや寒からん」と炬燵(こたつ)のもとに思ひやれば、いとど(15)降る雪用捨(ようしや)なく綿をなげて、時の間(16)隠くれけり(17)、庭も籬(まがき)も。我が肘(ひぢ)かけ窓ほそく開らけば、一目に見ゆる裏の耕地の、田もかくれぬ、畑もかくれぬ、日毎(ひごと)に眺むる彼(か)の森も空と同一(ひとつ)の色になりぬ。「あゝ師の君は」と、これや抑々(そもそも)まよひなりけり。
(10)許(がり)。…のもと(へ)、の所(へ)。
(11)赴き。向かう、向かって行く。
(12)弥。いよいよ、ますますの意の副詞。
(13)息が絶える。絶息する。
(14)なんとなく心細く。
(15)いよいよ。いっそう。
(16)ほんの少しのあいだ。つかのま。
(17)ここでは、「庭も籬も」を受けて、雪ですべてが白一色になった。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『現代語訳・樋口一葉 闇桜・ゆく雲他』(河出書房新社、1997.2)[訳・山本昌代]から

思うにロ惜しいのは、いかに世の人のとり沙汰うるさく、一村挙げて私を捨てるとも、育て給うた伯母君の眼に我が清濁は見えぬのか、 汚れたと思す恨らめしのお言葉、師の君とて昨日今日の交りではないのだから、 正しい品行はご覧じ知るはすを、 誰の讒言(さかしら)に動かされてか打捨て給う情けなさよ。ならばこの胸かき切っても身の潔白を顕したいと哭(なげ)いたが、 その心の底に何者が潜んでいたのか、 駒の狂いに手綱の術も知らぬ有様だった。

簾を透いて見える影は一重ばかりでも気にかかるものを、 ここ十町の間に人目の関厳しくなれは、季節柄木枯らしの風につけても、散りかう紅葉のうらやましく、どこまで飛んでいくのかと遠くを見やれば、森かげは私を招くよう、あの村外れは師の君のと、住居(すまい)のさま面影に浮かんで、夕暮に響く法正寺の鐘の音もかなしく、心はかほどに空に通うとも、さすがに戒めの重ければ、足はそちらへ向けることもできない。せめて師の君の訪れを待つが、浮き名の立つはここばかりではなく、憚りあればであろう、音信(たより)もなく、途絶えし中に千秋を重ねて、新しい年の正月七日ともなった。

伯母君は隣村の親族のところへ年始の礼にお出でになったが、朝より曇りがちの空が暗さを増すほどに、風はやんだが寒さは骨身にしみて、息絶えるばかりに心細く、ふと眺める空に白いものがちらちらと、さてこそ雪になったよ、伯母様さぞや寒かろうと炬燵のもとに思いやれば、激しさを増す雪は用捨なく綿を投げるよう、あっという間に庭も籬(まがき)も隠れてしまった。我が部屋の肱かけ窓を細く開けば、一目に見渡す裏の耕地の田もかくれ畑もかくれ、日毎に眺めるかの森も空と同一(ひとつ)の色になった。ああ、師の君は、と思ったのがそも迷いであった。

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