一葉「よもぎふ日記」5
きょうは、明治26年3月1日から7日までです。
三月一日 暙天。脳のなやみ猶さりやらぬに、日たくるまで朝(あさ)いしたり。起出て後(のち)、『こさふく風 後編』少しよむ。
「福島少佐(1)遠征のあと判然せず」といふ変報あり。誡か否(いな)かいとあやふし 。
昨夜(よべ)渋谷ぬしを夢む。京都山崎君より書状あり。
二日 図書館に書物見(み)に行(ゆく)。産婆生(さんばせい)(2)にてしげと呼ぶ婦人にあふ。我隣家(となり)なる加藤なみ子が友なるよし。奇談あり。『御伽婢子(おとぎばふこ)』(3)十冊計(ばかり)よみて帰る。此夜、久保木姉君来る。ひし餅(もち)到来し、北海道関場(せきば)えつ子君(4)より文あり。
三日 晴天。久保木姉君金子(きんす)かりに来る。山田武甫(ぶほ)君(5)の葬儀は一昨日(をととひ)成けり。此夜くに子と共に十軒店(じつけんだな)(6)に雛市(ひないち)を見る。
四日 小石河稽古を休む。午後より雨ふる。大工の長(ちやう)来る。
五日 晴天 。あたたけし。鶯の初音(はつね)聞えそめしもをかし。所どころの梅咲ぬらんかし。「うもれ木の身にも流石(さすが)に春のたよりはにくからぬかな(7)」などうちつぶやかれぬ。小説「ひとつ松」(8)、今日より筆とり初(そ)めんとす。大工のせがれ頼みごとありて来る。野々宮君に返事かく。芦沢芳太郎来る。
六日 早朝地震す。風ふき出づ。いと寒し。奥田老人来る。同人を送りがてら本郷通りを散歩(そぞろあるき)少しして、原稿紙(9)かひ来る。野々宮菊子ぬしより又はがき来る。我が返事と行ちがひたるなるべし。久保木あそびに来る。小説著作に夜をふかして、 二時過(すぐ)る頃床に入たり。
七日 晴天。七時に起出づ。河野大臣(10)辞表を呈(てい)したるよし。内閣大臣某々(それぞれ)の人々留任をしきりに勧むるも、断然の決心動かしがたきかも。自から官邸を引払ひて今川小路(いまがはこうぢ)(11)の自宅に移転(ひつこし)されしとか。伊東書記官(12)の権勢、伊藤総理の艶聞(えんぶん)いとをかし。国会議員狩野揆一郎君(13)病没の報(しらせ)あり。 久保木姉君来る。大工のせがれ来る。蝉表(せみおもて)のしん(14)を持来(もちきた)りしなり。午後(ひるすぎ)、新聞号外来る。河野文相さり、井上枢密(すうみつ)(15)これに替(かは)りし也。猶(なほ)山県司法大臣辞表を呈したるやの風説(うはさ)もあり。「英公使河瀬君(16)後任たるべし」などありけり。
おもふ人の難をすくひ(17)、又我が厄(やく)をのがれて、霊鷲(リヨンチユイ)(18)の山月(さんげつ)よるふかき所、ふみしだく草葉の露にかげふたつ落ちて、たづさへし文(ふみ)の名残(なごり)いか計(ばかり)うれしかりけむ、いか計(ばかり)かなしかりけん。されど、つひの世を其人にかはりて、いさぎよき終りは本望(ほんまう)成けんかし。
はかなきにおもひゆるしてしら露の
哀れ玉よと君みましかば
『胡さ吹く風』のうち香蘭をよめる
うら山し霜に雪にも色かへで
おのれみどりの庭の姫松
林正元はわが日のもとの人と聞くに
朝日さすわが敷島(しきしま)の山桜
あはれか計(ばかり)咲かせてしがな
(1)福島安正(1852 - 1919)。陸軍軍人。1878年陸軍中尉、1883年大尉、1887年3月にドイツ公使館付武官になる。帰国に際し、1892年2月にベルリンを出発、翌1893年6月までシベリアを単騎横断し、その壮挙は内外に喧伝された。実際当時は中佐で、このころは消息不明と伝えられていた。1900年(明治33)に少将となり、日露戦争には満州軍参謀として出役した。
(2)東京産婆学校あるいは産婆講習所の生徒。
(3)江戸前期の仮名草子。浅井了意作。13巻。寛文6(1666)年刊。怪異談68編を収める。
(4)札幌に関場氏の勤めている病院があった。
(5)衆議院議員。明治23年7月の第1回衆議院議員総選挙で、熊本県第5区から出馬し当選。第2回総選挙でも当選したが、在任中に病死した。
(6)現在の中央区日本橋室町。3月の桃の節句には内裏雛や禿人形、5月の端午の節句には甲人形や鯉幟を売る仮店が10軒あったことから十軒店の名がついたという。
(7)和泉式部の「春や来る花やさくともしらざりき谷の底なる埋木の身は」(新勅撰集・雑歌)をふまえている。
(8)「琴の音」に先行する試作とみられている。
(9)本郷通りの「丸二堂」という紙屋の原稿用紙が「うもれ木」に使われた。
(10)河野敏鎌・文部大臣。土佐藩出身で、尊王攘夷派として活躍した。
(11)現在の千代田区神田神保町3丁目。南神保町の南西に位置し、西側の外堀に俎(まないた)橋が架かる。
(12)伊東巳代治。伊藤博文に認められ、伊藤内閣の書記官長、農商務相を歴任した。
(13)千葉県出身の衆議院議員。
(14)蝉表(下駄の表に付ける籐で編んだ敷物)を下駄に合せて形づくるしん張りの材料。
(15)井上毅。大日本帝国憲法の起草・制定に尽力、枢密顧問官、文相を歴任した。
(16)河瀬真孝。外交官の河瀬真孝。明治17年から26年まで公使としてイギリス在住。
(17)『胡砂吹く風』の感想が記されていく。
(18)霊鷲山。韓国・慶尚南道昌寧郡桂城面と霊山面の境に位置する標高約682mの山。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》 高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。
三月一日。晴。頭の痛みがとれないので日が高くなるまで朝寝する。起きてから「胡沙吹く風」後編を少し読む。
福島少佐のシベリア横断のその後の様子が判然としないという報道があった。本当かどうか不 安である。
昨夜渋谷三郎さんの夢を見た。
京都山崎正助氏より手紙が来る。
二日。図書館に本を見に行く。助産婦の稲垣しげという人に会う。私の隣家の加藤なみ子さんの友人だという。不思議な話を聞く。御伽婢子(おとぎぼうこ)を十冊ほど読んで帰る。夜になって、 久保木の姉が来る。雛祭りの菱餅をいただく。北海道の関場えつ子さんから手紙が来る。
三日。晴。久保木の姉がお金を借りに来る。政治家山田武甫氏の葬儀は一昨日であったとか。夜邦子と一緒に十軒店(じっけんだな)通りに雛人形市を見に行く。
四日。萩の舎の稽古を休む。午後から雨。大工の長さんが来る。
五日。晴。暖か い。鶯の初音が聞こえ初めたのも風情がある。あちこちの梅も咲いているだろう。「埋もれ木のような私にもやはり春はよいものだ」と、つい独り言が出る。小説の「ひとつ松」を今日から書き始めようと思う。大工の伜が頼み事で来る。野々宮さんに返事を書く。芦沢芳太郎が来る。
六日。早朝地震がある。風が吹き出してとても寒い。奥田の老人が来る。送りがてらに本郷通りを少し散歩して原稿用紙を買う。野々宮菊子さんからまたはがきが来る。私の返事と行き違いになったようだ。久保木が遊びに来る。小説を書くのに夜を更かして二時過ぎ頃床に入った。
七日。晴。七時に起きる。河野文部大臣が辞表を出したとか。大臣某々たちが盛んに留任を勧めてもその決意は断然かたく、自分で官邸を引払って今川小路の自宅に移転されたとか。伊東書記官の権勢や伊藤総理の醜聞なども面白い。国会議員狩野揆一郎氏の病没の報せがある。久保木の姉が来る。大工の伜が蝉表(せみおもて)の芯を持って来る。午後、号外が来る。河野文部大臣が辞任し井上馨枢密顧問官が交替。また山県有朋司法大臣が辞表を出したとかの噂もある。英国公使河瀬氏が後任になるだろうなどとあった。
「胡沙吹く風」の林正元が愛人青揚の危機を救い、また自身の危機も逃れて、霊鷲山の夜の小径を月光を浴び草葉の露を踏んで、連れだって行く場面。二人の影が地に落ちて、守り続けた書類の名残りを見るとき、どんなに嬉しくもあり悲しくもあったろう。しかし青揚が正元の身代わりとなっていさぎよく死んでいったのはさぞかし本望であったろう。
はかなきにおもひゆるしてしら露の哀れ玉よと君みましかば
「胡沙吹く風」 の中の香蘭を
うらやまし霜に雪にも色かへでおのれみどりの庭の姫松
林正元はわが日本の人と聞き
朝日さすわが敷島の山桜あはれかばかり咲かせてしがな
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