樋口一葉「につ記一」①

 きょうから「につ記一」と分類されている記録に入ります。表書きには「二十五年一月一日より」とあり、署名は「なつ子」となっています。

まつ人、をしむ人、喜こぶ人、憂ふる人、さまざまなるべき新玉(あらたま)のとし立返りぬ。天のと(1)のあくる光りにことし明治廿五といふとしの姿(2)あきらかにみえ初(そめ)て、心さへにあらたまりたる様なるもをかし。人よりはやくといそぎ起て、若水(わかみづ)(3)くみ上(あぐ)るもうれし。よべは雨いたくふりて、風さへにすさまじかりしを、名残(なごり)なく晴渡りて大空の色のみどりなるに、いかのぼり(4)の声のいさましきも、つくばね(5)ののどかなる声もまじりて聞え渡れる、何となくうれし。きのふより気候とみにことなりて、気味わろきまであたゝけし。地震のこと心にかゝればなれど、埋火(うづみび)のもと遠くはなれて、梅花(ばいくわ)の風軒(のき)ばにゆるく吹く。「か計(ばかり)の新年まだせしことなし」とて人々よろこぶ。いつも雪の様にみゆる霜の、今朝しも置たりといふ色だになければ、
   いか計のどかに立し年ならむ
       霜だにみえぬ朝ぼらけかな
とおもはれぬ。雑煮(6)いわひ、とそくみなど例年の通りなり。化粧などしてさて書初めをなす。国子は「日出山(ひやまをいづる)」(7)をしたゝめたり。おのれのは、
   くれ竹のおもふふしなく親も子も
       のびたゝんとしの始とも哉(がな)
など様(やう)のことをしたゝむ。山下直一君、久保木秀太郎年頭として来る。母君近隣(あたり)に祝詞(しうし)のべに参りたまふ。午後、藤林房蔵(8)、西村釧之助、志川とくの三君(ぎみ)参る。岩佐君門礼(かどれい)(9)にて帰宅。夫(それ)より姉君、田部井(10)参る。少時(しばらく)にてかへる。小宮山より年始状ながら、おぶん一条のはがき着(づく)。喜多川(11)君よりも年頭状来る。日没後国子は裁縫、おのれは書見(しよけん)をなす。「お宝」とよぶ声(12)、今宵より聞ゆるもをかし。初夢といはんからに今宵みるこそ誠ならめど、ふるくより明日のものと成り居れるを、進みゆくよのしるし、夢取(とり)こしてみよとにや、をかし。ふしどに入しは十二時計(ばかり)なりけん。時計直しにやりてわからねどねたり。

(1)天の岩戸。高天原にあったとされる岩窟の堅固な戸。これが開いて神々しく元日の光が姿を現わした。
(2)小学館全集の脚注には、すべてが新しく、輝かしいものになった、明治25年の期待の姿がありありと見えて来て、すでに「よもぎふ」の生活は過去のものになろうとしているようだという意識、とある。
(3)立春の日の早朝、宮中で、主水司(もいとりのつかさ)が天皇に奉った水。後世では一般に元旦にくんで用いる水をいい、一年中の邪気を除くとされる。
(4)凧(たこ)。形がいかに似ているところに由来する上方語。藤を薄くした唸(うなり)を弓に掛けて取り付けるのでブーンと勇壮な音をたてる。
(5)衝羽根。羽根つき。
(6)当時の東京では、切り餅に小松菜などを添えたすまし汁の雑煮が一般的だった。
(7)明治25年度の詠進歌の題目。一葉も、詠草に6首をしたためていたという。
(8)一葉の義理の伯父上野兵蔵の妻つるの連れ子。この時点では、籍は藤林のままで藤林房蔵となっていたようだ。
(9)新年に、玄関先で年賀の祝いの言葉を述べること。
(10)父則義の時代から樋口家に出入りしていた古物仲買商。
(11)北川秀子。妹、邦子の友人で、雑貨商の娘。
(12)むかし、宝船を描いた絵を枕の下に敷いて「長き夜の遠の眠りの皆目ざめ、波乗り船の音のよきかな」という廻文を3回唱えて寝るといい初夢が見られるとされ、正月早々「お宝、お宝」と女性の声で売り歩く宝船売りがいたという。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。






《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から


(一月一日)待つ人、惜しむ人、喜ぶ人、悲しむ人。さまざまな思いの中に新しい年がめぐって来た。 天の戸を開けて射し込む光の中に明治二十五年という年の姿が明らかに見え初めて、 心までも改まるような気がするのも趣深い。まっ先に起き出して正月の若水を汲むのも嬉しい。昨夜は雨がひどく、おまけに風までもひどかったが、今朝は名残りなく晴れ渡って大空の色も一面に青く、凧揚げの勇ましい声や羽根突きののどかな声が混じりあって聞こえるのも何となく嬉しい。昨日とは気候がすっかり変わって気味悪いほど暖かい。大地震の前兆ではないかと気になる。火鉢の傍を離れて縁側に立つと梅の香を運ぶ風が軒端にゆるやかに吹く。こんな良いお正月はまだ迎えたことがないと家中で喜ぶ。いつもは雪のように真白な霜も、今朝はその気配さえ見えないので、

  いかばかりのどかに立ちし年ならむ霜だに見えぬ朝ぼらけかな
と思われた。雑煮を祝い屠蘇を祝うなど例年の通り。化粧などして、まず第一に書初めをする。邦子は「日出山」と書き、私は
  くれ竹の思ふふしなく親も子も伸び立たん年の始めともがな
といったような事を書く。

山下直一氏、久保木秀太郎が年始の挨拶に来る。母上は隣近所に年始の挨拶に行かれる。午後藤林房蔵、西村釧之助、志川とくの三人が見える。岩佐氏は玄関の挨拶だけで帰られる。そのあとで久保木の姉と田部井が来て、しばらくして帰る。小宮山庄司からは年始状ではあるが広瀬ぶんの一件についてのはがきが来る。喜多川秀子さんからも年始状が来る。日が暮れてから邦子は裁縫、私は読書。
「お宝、お宝」といって宝船の絵を売り歩く声が今夜から聞こえてくるのも面白い。初夢というからには今夜見る夢が本当の初夢であろうが、古くからの習慣で初夢は明日二日の夢ということになっているのを、今日売って歩くのは新しい時代のしるしで、初夢をはやく取って見なさいというのでしょうか、面白い。床に入ったのは十二時頃でしたか。時計を修理に出していて、はっきりわからない。

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