樋口一葉「日記」④

きょうは、明治25年3月19日からです。雨の早朝、稽古のある萩の舎へ向かいます。

十九日 雨天。小石川稽古也。早朝に至る。師君まだ朝飯前なりし。首藤陸三氏の女(1)、小間使となりて今日よりこゝにあり。名対面(なだいめん)するも中々に心ぐるし。難陳(なんちん)の開巻なれば、龍子ぬしもてる子ぬしも参られたり。東(あづま)君、大造君は来たられず。午前に一題詠じて午後よりはじむ。例(いつも)はロ述するなれば、思ひのまゝには誰もえいわずロごもり勝(がち)なれど、今日は筆にいはせたることゝて人々の難論さかんなりし。「春のタ(ゆふべ)」のかた、田中みの子ぬし高点になる。「恋の喜憂(きいう)」はおのれなりけん。四時退散。田辺君、田中君と約して、「明後(あさつて)廿二日、上野図書館にて逢はん」といふ。帰路(かへりみら)、稲葉君のこと問はんとて西村君の店をとふ。釧(せん)君留守。常女(つねぢよ)としばらく談話(ものがたり)(2)、夕飯(ゆふげ)馳走になる。提燈(ちやうちん)をかりて帰る。道路汚泥(をでい)ほとほと困難を極めぬ。此夜なすことなしにふしぬ。但(ただ)し関場君、今日入門の筈(はず)成しが、障(さは)ることありて得せず、断(ことわり)のはがき来る。
(1)首藤陸三(1851 - 1924)は、大蔵省などに勤務。さらに宮城県属、仙台師範学校長となり、のち宮城県会議員、同副議長、第2回総選挙以来宮城県郡部選出の衆院議員に当選9回、憲政会に属した。今野たまの都合がつかなかったため、交渉中の首藤の娘を急きょ呼んだと見られている。
(2)小学館全集の脚注には「稲葉は、きくが以前同家の奥女中をしていたよしみで往来を許した西村家の同情にすがって生活していた。常は釧之助の妹。」とある。

廿日 晴天。今日は『むさしの』発行とかきくに、春季皇霊祭(しゆんきくわうれいさい)(3)にもあればとて、すしなど調ず。近隣両三軒に配りなどす。伊東君に約束して(4)、「今日来訪せん」といひしかば、午前より其支度をす。山下直一(なほかず)君来る。「早稲田文学』九、十号特参して貸くるゝ。同人帰路(かへりみち)、もろ共に我も行く。同じかたなれば也(5)。行々(ゆくゆく)ものがたりつゝ行くに、車夫などの、「同車にて」など進むる。よの人ならましかば、いか計はづかしからむ。さるを、何とも思はず同行するは、心に邪心のなければなるべし。恥は情(じやう)より発するものにや、をかし。御茶の水橋にて袂(たもと)を分ち、伊東ぬしのもとをとふ。談話(ものがたり)数刻。 心腹を吐露し尽して、今日はこと更に嬉しかりし。「帰るべし帰るべし」といひいひ、いつしかに日をも暮しぬ。晩飯(ばんめし)馳走になりなどしつゝ、猶(なほ)中々にはなし尽ず。されど、いつをいつとも定められぬに、「いざや」とて暇(いとま)をこふ。八時成し。車を給はりて帰る。帰宅後種々(まぎま)母君と談話(ものがたる)。伊東君と約せしこと(6)無功(むかう)に成しことあり。直(ただち)に手紙をしたゝめて其むねを通ず。何をもなさずして今宵もふしぬ。

(3)天皇が、春分の日に毎年宮中の皇霊殿で、歴代の天皇や皇后などの霊をまつる祭儀。当時は祝日の一つだった。現在は「春分の日」として国民の祝日となる。
(4)萩の舎が停滞していることについて、不満を解消する方法を伊東家で話し合う約束が交わされていたと見られている。
(5)以前、樋口家の官舎に書生として暮していた山下直一は、神田区猿楽町の冀北館という下宿屋に住んでいたという。
(6)伊東夏子と話し合って、国学者であり歌人でもあった久米幹文(1828 - 1894)に就いて、いっしょに国学を学ぶことを約束していたと見られている。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『完全現代語訳・樋口一葉日記』(アドレエー、1993.11)[訳・高橋和彦]から

十九日。雨。今日は萩の舎の稽古日。朝早く行く。先生はまだ朝食前でした。首藤陸三氏の娘さんがお手伝いとして今日からここに来ていた。初対面の挨拶をするのも気がひけて心苦しい。今日は難陳の歌合せなので田辺龍子さんも片山てる子さんも見えた。佐藤東さん井岡大造さんは見えなかった。午前に一題詠み、午後から始める。普段は口頭で意見発表をするので誰も思うようには言えないのだが、今日は書いて発表することになったので、人々の論難はさかんでした。「春のタ」は田中みの子さんが高点になり、「恋の喜憂」は私のでした。四時に散会。田辺さん田中さんと約束し明後二十三日上野の図書館で逢うとにする。帰りに稲葉さんのことを聞こうと思って西村さんの店を訪ねる。釧之助さんは留守で妹の常さんとしばらく話す。夕食をご馳走になの、提灯(ちょうちん)を借りて帰る。雨で道がぬかるみとなり歩くのに全く困難。今夜は何もしないで寝る。関場さんのが妹さんが今日入門の予定であったが、何かさし障りがあって見えなかった。そのお断りのはがきが来る。

二十日。晴。今日は「武蔵野」発行の日とか聞いているし、また春季皇霊祭なので鮨など作る。近所の二、三軒にお配りする。伊東夏子さんと約束して今日お訪直ねすると言っていたのでその支度をする。そこへ山下直一さんが訪ねてくる。「早稲田文学」の九号と十号を持って来て貸してくれる。山下さんが帰るとき私も一緒に出かける。同じ道筋だからです。話しながら歩して行くと、車夫などが 「ご一緒に同車でいかが」などとからかう。他の人と一緒だったらどんなに恥ずかしいことでしょう。それを何とも思わず一緖に歩けるのは、心にやましいところが無いからでしょう。羞恥心は情愛から出るものでしょうか。思えば面白いことです。御茶の水橋で別れて伊東さんのお宅を訪ねる。話は数時間に及び、心をさらけ出して今日はことの他に嬉しかった。もう帰ろう、もう帰ろうと言いながら、いつのまにか日が暮れてしまった。夕食をご馳走になったりしてなかなか話がつきない。いつ帰れるともわからないので、思いきって、「では、これで」と言ってお暇をする。八時でした。車を頂いて帰る。帰宅後、話の内容を母上に話す。 (母上の反対もあって)今日の伊東さんとの約束はとりやめることになった。すぐに手紙を書いてこのことをお知らせする。何もしないで今夜も寝る。



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