一葉「よもぎふ日記」2
きょうは、明治26年2月23日の冒頭から、途中までです。
廿三日 晴天。中島師君発会(ほつくわい)につきて問合せなし度(たき)よしにて、楙原家(さかきばらけ)より使者(つかひ)到来す。 つね姫君が侍女(こしもと)にて、常に小石川へも供(とも)する人成しが、母君初対面(しよたいめん)し給ふとて立出るに、「やや」と驚きて、「あなた成(なり)しか成しか、存ぜざりしことよ」といふ。母君は老眼のたどたどしければ、「誰様(どなたさま)なりしや、忘れぬ」といふに、「これは其昔し安達ぬしがもとに、千代子(1)が侍女(こしもと)として仕へたりし女(むすめ)也」といふ。我も常に見しる長(ちやう)(2)とかいふ大工の妹(いもと)なり。縁は蛛(くも)の囲(ゐ)のめぐりめぐりしもの也。さればこそ天網粗(てんまうそ)なり(3)とて罪せし罪ののがれ難きはや。ここに話しのロとけて、様々のものがたりいと多し。此人帰りて午後(ひるすぎ)姉君来訪。「時侯あたりにや、心地すぐれす」といふに、茶菓子の馳走などをなす。日没後とざしかためて、みなみな火桶(ひをけ)のもとに寄(より)つどひつつ物がたりするほどに、門(かど)のとほとほとたたきて音なふ人あり。「日暮て訪(と)ふ人ありとも覚えぬを。聞きたがへか」と耳そばだつれば、誠に我が家なり。「誰様(どなたさま)や」と家のうちより問へは、「半井にこそ候へ。夜に入(いり)て無礼(ぶれい)なれど」といふに、其人なりと聞くままに、胸はただ大波のうつらん様(やう)に成て、おもひがけず、ただ夢とのみあきれにけり。立出て門(かど)のと開けば、例のもの静かに立入る姿、うれしなどはしばし心地(ここち)さだまりて の後こそ、何事も霧の中にさまよふ様(やう)なり。明(あけ)ぬれど暮(くれ)ぬれど、嬉しき にも悲しきにも、露わすれたるひまなく、夢うつつ身をはなれぬ人の、いとど此一日二日(このいちにちふつか)空にまたれて、訪(と)ひ訪はるべき仲にもあらぬを、あやしう、「人づての便りもがな。せめては文(ふみ)にても見まほしきを」など人にいはれぬ物をおもへば、幾度(いくたび)かどに出て立つくし、あらぬ郵便にたばかられて、心恥かしかりしも一度二度ならず。 いふべき事も覚えず、問ふべき事も忘れて、面(おも)ほてりのみいと堪(たへ)がたし。君しづかに 口を開きて、「うち絶(たえ)参らせし疎縁(そえん)の罪はおのづから見ゆるし給へ。年頭の状(ふみ)給はりしに、其かへしも参らせず、去歳(こぞ)より風邪を病みて、新年に成りては久しう湯治(たうぢ)になど遊びしものから、思つつ斯(か)くは」など詫(わび)給ふ。「去歳給はりし 御歌(おうた)の御礼ながら、『胡沙(こさ)ふく風』(4)の製本せしを御覧にもそなへ度(たく)、夫故(それゆゑ)にこそ。書肆(ほんや)(5)の欲ばりて、売(うる)かた にはいと早く廻すなるを、作者のもとには中々に送りもこさず、漸々(やうやう)我が手に廻りければ」とて、『胡沙吹く風』上下二巻賜(たま)ふ。表紙美麗(びれい)にして、画様(えやう)も美事(みごと)に、中々の大部(たいぶ)也。前編の題字は朝鮮の忠士朴永孝(パクヨンヒヨ)(6)、詩は花州逸人(くわしういつじん)とか、君が知己(ちき)なるべし。我が参らせたるは晴々(はればれ)しく画の前にありて、林正元(まさもと)が肖像とぞ並らびける。素園主人(そゑんしゆじん)が文(ふみ)、うしがはしがき、巻末には愛読者より送られたる詩文章の類(たぐひ)多くのせたり。
(1)盛貞の長女。
(2)稲垣長太郎。
(3)『老子』(73章)にある「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」から。天の張る網は、広くて一見目が粗いようだが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられて天罰をこうむるという意。
(4)『胡砂吹く風』。明治24年10月から翌年の4月まで、150回にわたり東京朝日新聞に連載され、連載後の明治25年12月に上巻、26年1月に下巻が刊行された。
(5)金桜堂。東京・日本橋で営業していた書店・出版社。
(6)朴泳孝(1861 - 1939)。金玉均、洪英植らと開化派として1884年、甲申事変を企てたが挫折し、日本に亡命した。94年には帰国して甲午革命に参加し内部大臣となるが、独断専行で陰謀罪に問われ再び日本に亡命。1907年に帰国して宮内大臣となるが、李完用内閣と対立して追放された。韓国併合後に日本の侯爵、1932年には貴族院議員となった。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》 高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から
二十三日。晴。萩の舎の発会のことで聞きたいといって榊原家から使いが来る。つね子お嬢様の侍女としていつも萩の舎へもお供してくる人でしたが、母上が初対面の挨拶をしようと出ると、その人は「あれ」と驚いて、
「あなたでしたか、あなたでしたか。少しも存じませんでした ことよ」
と言う。母上が、
「老いて眼が弱くなりましたので、どなた様でしょうか、お見忘れいたしました」
というと、
「私は昔、安達様のお宅で千代子様の侍女として働いていた女です」
という。私も常に見知っている長とかいう大工の妹でした。 ほんとに縁というものは蜘蛛の巣のように巡り巡っている ものです。 だからこそ天の網の目は粗(あら)いといっても、犯した罪はのがれることはできないものです。これで話の糸口がついて色々と話が多かった。 この人が帰って、午後姉が来る。時候あたりのためか気分がすぐれないという。茶菓子など出す。
日没後、 戸を閉めてみんな火鉢に集まり話して いると、 戸を叩いて訪ねてくる人がある。こんなに暮れてから来る人もあるまい、聞き違いかと耳をたてると、たしかに我家である。
「どなた様?」
と家の中から聞くと、
「半井ですよ。 夜に なって失礼ですが」
という声に、あの方だと思うと、もう胸は大波が打った ようで、全く思いもかけず、まるで夢のように驚いてしまっ た。 外に出て門の戸を開けて、いつものようにもの静かに入られる姿を見ると、嬉しいなどと思うのは、しばらく気持ちが落着いた後のことでした。すべ てが靄(もや)の中にさ迷っているような気持ちでした。明けても暮れても、嬉しいにつけ悲しいにつけ、少しの間も忘れる暇もなく、寝ても覚めても身から離れないあのお方を、何故かこの 一両日お待ち して、互いに許された間柄でもないのに、人伝にご様子でも聞けたら、せめてお便りでも頂けたらと、人には言えない思いで、何度門に出て立ちつくしていたことか、また違う郵便に胸踊らせて恥ずかしい思いをしたのも一度や二度ではなかったのです。今はもう、 申しあげる言葉もなく、お尋ねすべきこともみな忘れはてて、ただただ顔がほてるばかりでした。
先生は静かに口を開いて、
「すっかりご無沙汰をしてしまった罪はどうぞお許し下さい。年賀状を頂きながらご返事もさしあげず、年末から風邪を引いて、新年になってからはずっと温泉に湯治に行っていたものですから、気になりながらもすっかり失礼してしまって」
などとお詫びを言われる。
「去年いただいたお歌のお礼に、出来あがった『胡沙吹く風』をお見せしたいと思ってやって来たのです。本屋は欲ばりで、売る方には すぐ廻すのですが、作者のところへはなかなか送ってもくれないのです。やっと私の手元にも廻って来たので」
と言 って、「胡沙吹く風」上下二巻をくださる。表紙も美しく口絵も立派でなかなか分厚い本です。前編の題字は朝鮮の忠臣の朴永孝氏、詩は花州逸人とか。先生のお友達でしょう。私がさしあげた歌は晴がましくもロ絵の前にあって、主人公の林正元の肖像と並んでいた。素園主人の序文、先生のはしがきがあり、巻末には愛読者から送られた漢詩や文章などが多く載せてある。
コメント
コメントを投稿