一葉「よもぎふにつ記」8
きょうは、明治26年1月29日から2月4日までです。
廿九日 暁(あかつき)より雪ふる。今日はさきの日のにも増(まさ)りて、 勢ひよく降りに降る。芦沢(あしざは)来る。「今日は九段に大村卿の銅像(1)落成式あるべきながら、此雪故延(ゆゑのべ)に成し」など語る。阿部川(あべかは)もち(2)などこしらへて、打(うち)よりてくふほどに、い や降(ふり)しきる雪つもりにつもりて、芦沢帰宅ごろには五寸にも成りぬ。日没少し前にやみぬる也。
夜いたう更けて、雨(あま)だりのおとの聞ゆるは、雪のとくるにやと、ねやの戸をして見出せば、庭もまがきもただしろがねの砂子(すなご)をしきたるやうにきらきら敷(しく)、見渡しの右京山(うきやうやま)ただここもとに浮出たらん様(やう)にて、夜目ともいはずいとしるく見ゆるは、月に成ぬる成るべし。ここら思ふことをみながら捨てて、有無(うむ)の境(さかひ)をはなれんと思ふ身に、猶しのびがたきは此雪のけしき也(3)。とざまかうざまに思ひつづくるほど、胸のうち熱して堪(たへ)がたければ、やをらをりて雪をたなぞこにすくはんとすれば、我がかげ落(おち)てありありと見ゆ。月はわが軒の上にのぼりて、閨(ねや)ながらは見えざりしぞかし。空はただみがける鏡の様(やう)にて、塵計(ちりばかり)の雲もとどめず、何方(いづく)まで照るらん(4)、そぞろに詠(なが)むるもさびし。降る雪にうもれもやらでみし人の
おもかげうかぶ月ぞかなしきわがおもひなど降(ふる)ゆきのつもりけん
つひにとくべぎ仲にもあらぬを三十日 浅みどりの空に村鳥(むらとり)の囀(さへ)づりいとのどか也。家々に雪かきすとて、 わらべなどのはしりさわぐもいとをかしげ也。この隣なる処に、わかき娘二人(ふたり)ある家あり。その軒並らびに、やもめなる男のすめるが、常に追従(ついしやう)しありきて、この雪などをも唯かきにかく。この娘も共に立出(たちいで)てをかしげにものがたらひ、うち笑ひなどしつつ、 かたはらいたきまでに睦(む)つるるは、哀れ歎(なげ)きの種をまかんとするにや、人ごとながらにいとあさまし。
二月三日 母君、上野に年頭として趣き給ふ(5)。
四日 佐藤梅吉へ同じく。この夜、姉君誘ひて母君を寄席(よせ)に伴ふ(6)。
(1)近代兵制の確立に尽力した大村益次郎の銅像。靖国神社の境内に建てられた。
(2)安倍川餠。焼いた餅を湯に浸して、砂糖をまぜたきな粉をまぶしたもの。江戸時代、安倍川の渡しの茶店で供されたのに始まるとされる。
(3)一年前、桃水の仮寓を訪ねた「雪の日」を思い出しているようだ。
(4)白居易の詩「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」の一節「三五夜中新月の色、二千里外故人の心」(十五夜、出たばかりの月は澄み渡り、眺めていると二千里も遠く離れている旧友の心が思いやられる)をふまえているとされる。
(5)月おくれ、旧正月の年賀のようだ。
(6)姉ふじの嫁いだ久保木家の近くには菊坂亭という寄席があった。また、一葉たちは本郷の若竹亭へ出かけることもよくあったという。
二十九日 。明け方から雪ふる。今日は先日のよりも勢いよく降りに降る。芦沢芳太郎が来る。今日は九段で大村卿の銅像の落成式がある予定であったがこの雪で延期になったなどと話す。安倍川餅など作って皆で食べている間に降りしきる雪はますます積もって、芦沢が帰る頃には五寸にもなった。日暮れ少し前に降りやむ。夜がすっかりふけて雨だれの音が聞こえるのは雪が解けるのだろうかと、部屋の戸を開けて外を見ると、庭も垣根もただ一面に銀の砂を敷いたようにきらきらとして、目の前の右京山はまるで浮き出たようで、夜とも思えないほどはっきり見えるのは月が出たためでしょうか。多くの悩みを捨てて凡俗の世から離れようと思う身にも、捨てきれない のはこの雪景色の美しさです。あれこれと思い続けるうちに胸が熱くなり、堪えがたくなって、そっと庭に下りて雪を手に掬おうとすると、私の影が雪の上にはっきりと写って見えるのです。月は軒の上に登って、部屋からははっきり見えなかったのです。空はただもう磨きに磨いた鏡のようで、塵ほどの雲もないのです。一体どこまで照り輝き渡っているのだろう。しみじみとこの寂しい情景に胸を震わせながら、歌が浮かんできました。
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