一葉「よもぎふにつ記」6

 きょうは、明治26年1月8日から18日までです。

八日にはじめて年頭に出る。猿楽町藤本君、西小河町大島君、下二番町にて田辺君、三宅君、帰路(かへりみち)師之君に参る。車夫が廻り順の、かかる都合(つがふ)成し也。 田中君にも参るべき心組(こころぐみ)成しを、三宅君のもとにて逢ひて、「今日は留守なるに、おなじくは又の日」といふ。三宅君と共にしばし語る。「『文学界』の小説、是非出し給はれ。初号は廿日(はつか)に発行のはづなれど、これに間に合はずは二号にてもよし。是非に」といふ。少しかたりて別れたり。
去歳(こぞ)のこの日は、半井ぬしを平河町に訪(と)ひて逢はず、小田君のもとに行(ゆき)、かくれ家(が)に行、 こころあわただしかりしを思ひ出るに、何ごととはなしに胸いとくるほし。昨是今非(さくぜこんぴ)の世、今日はあしたの何なるべきか、思へば喜憂(きいう)は、無差別(むしやべつ)なり(1)
十三日の夜、宮塚(みやづか)ぬし(2)来訪。 上海(シヤンハイ)に趣きしは五年の前也。昔しながらの物がたりに懐旧のおもひたえがたし。羽根つきて共に遊びし春は、君が十七の頃也し。 さても変りにける身哉(かな)。 かかれとてしもおもはざりしを、涙ただこぼれにこぼれて、恋しきはそのいにしへ也けり。
十四日 小石河稽古はじめ也。風流の俗事、少し計(ばかり)の点取(てんとり)に暮して、 日没後かへる。
十五日 上野の清次(3)、 母と共に来る。 菊池の武治(たけはる)(4)、母と共に来る。 田部井の清三(せいざ)、父とともに来る。榊原家の少嬢(ひめ)(5)、乳母と共に来る。これは中島師のもとに仕へたる女の、今は榊原家にある也。
十六日 早朝、秀太郎(6)藪入(やぶいり)に来たりて我家(わがや)にも寄る。西村君来訪。ひる飯(めし)を馳走す。
十七日 龍子(たつこ)ぬしのもとより『文学界』に出す小説うながし来る。いとものうし。
十八日 芝兄君に文(ふみ)を出す。 議会傍聴券のことにつきて也。
下院議会(7)は昨十七日河野広中(ひろなか)(8)君発議(はつぎ)により、政府の反省を求むる為、向う五日間の休会と決しぬ。そは、予算案の 政府に容(い)れられざりしに依(よ)れ り。廿三日の開会こそ天下分(わけ)めなれ。議会解散せらるべきか、内閣大臣総辞職に致らんか、 この所いと六(む)ツかし。
ここ両三日間、市中警戒夥敷(おびただしき)よし(9)

(1)よろこんだり心配したりすることは、心に生じる仮の現象だという意識か。森鷗外の「舞姫」に「人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なる、わが瞬間の感触を筆に写して誰にか見せむ」。
(2)則義の東京府庁時代の友人だった宮塚正義の次女ふじ。
(3)上野兵蔵とつるの子。
(4)菊池隆直の次男。
(5)榊原つね。
(6)久保木秀太郎。従兄の経営する青山南町の青山堂という薬局に奉公していた。
(7)星亨を主とする民党勢力が、政府の予算案に大幅な修正を加え、軍備拡張費も削ろうとしていた。
(8)自由民権運動を指導した自由党の代議士。のち衆議院議長・農商務相を歴任した。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。


八日になってはじめて年始廻りに出かける。猿楽町の藤本藤陰氏、西小川町の大島みどりさん、下二番町で田辺宅および三宅花圃さん、帰りに中島先生宅に行く。車夫の廻る順序がこうなったのです。田中みの子さんへも廻る予定でしたが、三宅さんのお宅で逢い、今日は留守なので、同じことなら別の日にと言われる。三宅さんと一緒にしばらく話す。
「『文学界』の小説は是非出して下さい。初号は 二十日に発行のはずですが、これに間に合わないならば二号にでも結構です。是非書いて」
とおっしゃる。少しお話して別れた。
去年のこの日は半井先生を平河町にお訪ねして逢えず、小田氏のお宅へ行き、先生の隠れ家に行き、心あわただしかったことを思い出すと、何とはなしに胸が痛む思いがした。昨日の是(ぜ)は今日の非(ひ)という浮世の巡りを思えば、今日は明日の何にあたるのだろうか。思えば喜びも悲しみも同じものである。

十三日の夜、宮塚ふじ子さんが見える。上海に行かれたのは五年前でした。昔ながらの物語に懐旧の思いが堪えがたい程でした。羽根を突いて一緒に遊んだ春は、彼女が十七のころでした。それにしても変わりはててしまった我が身よ。こんなになろうとは思いもしなかったのにと、ただもう涙がこぼれにこぼれて、恋しいのは昔のことばかりでした。
十四日。小石川の萩の舎の稽古始めの日。風流の真似ごとの僅かばかりの点取り競争に一日を過ごし、日が暮れてから帰る。
十五日。上野清次さんが母親と一緒に見える。菊池武治さんが母親と一緒に見える。田部井清三さんが父親と一緒に見える。楙原家の幼いお嬢さんが乳母と一緒に見える。この人はもと中島先生のところに勤めていたのですが、今は榊原家に勤めているのです。
十六日。早朝、 姉の子秀太郎が薮入りで戻って来て私の家にも寄る。西村氏来訪、お昼をさしあげる。
十七日。龍子さんから 「文学界」 に出す小説を催促してくる。気が進まない。
十八 日。芝の兄に手紙を出す。議会の傍聴券のことについてである。
衆議院は昨十七日。河野広中氏の発議によ って政府の反省を求めるため向こう五日間休会と決定した。それは予算案が政府に認められなかったためである。二十三日の開会こそ天下分け目の時である。議会が解散させられるのか、内閣が総辞職になるのか、この点が大変むずかしい。ここ二、三日は市中の警戒が厳重だとのこと。

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