一葉「よもぎふにつ記」5
きょうは、明治25年12月31日から26年1月4日までです。
三十一日 早朝、三宅君(1)に断りのはがきを出す。一日(いちにち)家の中の掃除などして、日没前に何ごともなし終りたり。いざとて国子と共に買物がてら下町の景気みに行く。本郷通りより明神坂(みやうじんざか)を下り(2)、多町(たちやう)にものを買ひて小川町の景気を眺め、三崎町に半井君の店先を眺めぬ。「年わかき女の美くしく髪などをかざりて、下女(はした)にては有るまじき振舞は、大方大人(うし)が妻君なるべし」と国子のかたる。「大坂の例の富豪家(ものもち)の娘、大人(うし)に執心ふかしと聞きしが、持参金にて嫁入(よめいり)こしにあらずや。扨(さて)もいかに働きある人とて、これほどの店無手(むて)にて成るべきならねば、出金の穴何方(いづく)にかあるべきは定(ぢやう)也。世は斯(か)かる物」とうめきて、帰路(かへりみち)、富坂下(とみざかした)(3)に国子ものをひらふ。いとのどかなる大晦日(おほみそか)にて、母君、「家(うち)を持ちし以来(より)、この暮ほど楽に心を持しことなし」とていたく喜こばる。九時といふに表をとざして寐(ね)たり。
廿六年の一月一日はいとのどかなる日かげにあらはれて、門松のみどり千歳(ちとせ)といはひて、例(いつも)の雑煮(ざふに)もたべ終りぬ。昔しは元三(ぐわんさん)のほど年頭客 に勝手元の暇(いとま)なく、「羽根つく間もあらず」と恨みしが、引かはりて更に来る人もなし。母君、近傍(かいわい)に年礼廻(まは)りをなし給へば、彼方(あちら)よりも老母、内室など、答礼はすべて女也けり。芦沢芦太郎(4)早朝より来る。陸軍にて賜はりし料理を持参す。一日遊びて三時ごろ営中にかへりぬ。今日年始状のとどきしは野尻理作(5)、穴沢小三郎(6)、山下信忠(7)様(のぶただやう)の人也。これより出(いだ)せしは十五軒計(ばかり) 成き。
二日もいと長閖(のどけ)し。三枝、藤林、山下、安達(あだち)(8)など親類めきたる(9)年頭客あり。兄君も来らる。久保木の姉君を呼びて、此夜歌留多(かるた)の催しいとにぎやか也。 姉君は三十七、兄君廿八、我は廿二、国子廿(はたち)、「いづれも子供にてすなまじき年輩(としばへ)なるを、打寄れば斯(か)くまでおさなきか」とて、母君炬燵(こたつ)に寄り居て見給ふさま、何事の憂きもあるまじく楽しげなるが、勿体(もつたい)なくうれし。ことにまぎれてかき残しぬ。稲葉の正朔君(しやうさくぎみ)も、年礼と て今日遊びに来たりし也。
三日 田中みの子君年頭(ねんとう)に来る。
四日 大島みどり子(10)君来る。
(1)田辺龍子のこと。
(2)小学館全集の脚注には「本郷通りを南へ行くと、湯島聖堂裏が明神坂。神田明神の境内・門前では年の市が開かれていた。坂下を広小路まで出て万世橋を渡ったところが神田の多町。須田町を経て小川町へ行くと、勧工場などがあった。駿河台下を経て猿楽町を抜けると三崎町に出る」とある。
(3)三崎町から水道橋を渡って砲兵工廠前を真砂町の角まで行ったところ。
(4)芦沢芳太郎(よしたろう)。一葉の母、たきの弟の次男。陸軍に入り近衛第一連隊に入隊していた。
(5)甲陽新報の経営者。
(6)西村釧之助の弟。穴沢家の養子となって、呉服雑貨商を営んでいた。
(7)父則義の友人で、埼玉県に住んでいた。
(8)三枝信三郎、藤林房蔵、山下直一、安達こう。
(9)小学館全集の脚注には「慶応三年六月、則義が士族になるためにこしらえた親戚書によれば、三枝の祖母専之丞は義理の伯父、安達盛貞の父礼輔は伯父。山下直一は、則義等が府庁官舎にいた当時の書生、山下次郎の兄。藤林房蔵は則義の幼友達である兵蔵の籍に入ったつるの連れ子」とある。
(10)「萩の舎」の門人で、長崎控訴院検事長だった大島貞敏の娘。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。
三十一日。早朝三宅花圃さんにお断りのはがきを出す。一日中家の掃除などをして日暮れ前にすべて終わる。邦子と共に買物がてらに下町の景気を見に行く。本郷通りから明神坂を下り、多町で買物をし、小川町の景気を眺め、三崎町で半井先生の店先を眺める。年若い女が美しく髪も飾って、とても下女とは思われない様子は、多分先生の奥様だろうと邦子が言う。先生にひどくご執心だと聞いていた大阪の例の富豪の娘が、持参金つきで嫁入りして来たのではなかろうか。どんなに働きのある人でもこれほどの店を元手なしですることは出来ないので、お金の出所が何処かにあるのは決まっている。世の中とはこんなにお金が物を言うものだと、悲しく溜息をついて帰る途中、富坂下で邦子が拾い物をする。大そうのどかな大晦日で、母上は世帯を持って以来この暮れほど楽な心を持ったことがないといってひどく喜ばれる。まだ九時だというのに表を閉めて寝てしまった。
二十六年の一月一日は大変のどかな光が溢れて、 松のみどりも千歳を祝って、例年のように雑煮も食べ終わった。昔は元日から三カ日の間は年始客のために台所で忙しく、羽根突きをするひまもないと恨んだが、それに引きかえ今年は全く来る人もない。母上が近所へ年始廻りをなさると、先方からも老母や奥様が見えるなど、挨拶はすべて女ばかりでした。芦沢芳太郎が早朝から来る。陸軍でいただいたという料理を持参する。一日遊んで三時ごろ隊に帰った。今日年賀状が届いたのは野尻理作、穴沢小三郎、山下信忠の方々でした。こちらから出したのは十五軒ほどでした。
二日も大変のどかな日。三枝(さいぐさ)、藤林、山下、安達など親類筋の人々の年始客がある。兄上も見える。久保木の姉上を呼んで夜は歌留多遊びをして大変賑やかでした。姉上は三十七、兄上は二十八、私は二十二、邦子は二十、誰も子供とは言えない年ごろなのに、寄ればこんなにも幼くなるのかと、母上が炬燵から見ておられる様子は、何の心配事もないように楽しそうで、勿体ないほど嬉しい。他の事にまぎれて書き忘れたが、稲葉の正朔君も今日年始の遊びに来た。
三日。田中みの子さんが年始に見える。
四日。大島みどりさんが見える。
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