一葉「よもぎふにつ記」4
きょうは、明治25年12月28日の途中から、12月30日までです。
昔しは三千石の姫と呼ばれて、 白き肌に綾羅(りようら)を断たざりし人の、髪は唯かれのの薄(すすき)の様(やう)にて、いつ取あげけん油気(あぶらけ)もあらず、袖無しの羽織(1)見すぼらしげに着て、流石(さすが)に我れを恥ぢればにや、うつむき勝に、「さても見苦るしき住居(すまひ)にて、茶を参らせんも中々に無礼なれば」とて、打侘(うちわぶ)るぞことに涙の種也。畳は六畳計(ばかり)にて、 切れもきれたり、唯わらごみの様なるに、障子は一処(ひとところ)として紙の続きたる処もなく、見し昔しの形見と残るものは卯(う)の毛におく露ほど(2)もなし。夜具蒲団(ふとん)もなかるべし、手道具もなかるべし。浅ましき形(なり)の火桶(ひをけ)に土瓶(どびん)かけて、小鍋(こなべ)だて(3)の面かげ何処(いづこ)にかある。あるじは是(こ)れより仕事に出る処とて、筒袖の法被(はつぴ)(4)肌寒げに、 あんかを抱きて夜食の膳に向ひ居(を)るもはかなし。 正朔君(しやうさくぎみ)の我が土産(みやげ)を喜こびて、紅葉(もみぢ)の様なる手に持(もち)しまま少時(しばし)も放たず。「御仏前に御覧に入(いれ)給へ」と母君に言はれて、仏だんめきたる処に備ふ。「何事も時世(じせい)にて、又めぐり来る春もあらんを、正朔君(しやうさくくん)だにかくてあらば、夢、力を落し給ふな。かよはき御身に胸をいためて、病気などを起し給はば、夫(それ)こそ取かへしのあることならねば」とて慰むるに、「聞き給へ。此子の『成長(おほき)くならば、陸軍の将帥(しやうすゐ)に成りて、銀行よりいくらも金を持ち来たりて、父も母も安楽にすぐさせん』 と常々威張(ゐば) りて申すこと」と流石(さすが)に頼もし気に笑(ゑ)みて語る。「又こそ」とて此家(このいへ)を出(いづ)れば、タ風袂(たもと)に吹きて大路(おほぢ)すでに闇(くら)く成ぬ。
廿九、卅の両日、必死と著作(5)に従事す。暁(あかつき)がたしばしまどろむのみにて、一意(いちい)に三十一日までに間に合せんとするほどいと苦るし。三十日には上野の伯父君(をぢぎみ)歳暮にとて参られぬ。一日(いちにち)筆をとること叶(かな)はずして暮しき。其夜十一時まで燈下にありしが、国子しばしば我れを諫(いさ)めて、「名誉もほまれも命ありてにこそ。斯(か)くまでに脳をつかひ、心を労して煩(わづら)ひ給はば何とかすべき。見る目もいと苦るしきに、何卒(なにとぞ)これは断りて、もはや今宵は休み給へ」とくり返しいさむ。「実(げ)に夫(それ)も道理也」とて筆をさしおけば、心共につかれて俄(にはか)に睡(ねむ)くさへ成ぬ。
(1)表衣の上に着用する袖のない羽織。手の動作が楽で、防寒用として羽織下に用い、老人は羽織のかわりにこれを着用するが、婦人が着ることはまれ。貧しい生活ぶりがうかがえる。(2)諺に「兎の毛の末に置く露ほど」。きわめて微細な物事をたとえている。
(3)小鍋を使って手軽に料理をすること。本来、自分だけの好みの具を煮ながら食べる料理をさし、ぜいたくなものと考えられていた。
(4)袂(たもと)がなくて筒のような形の袖をつけた印ばんてん。株組のしるしを染めぬいていた。
(5)「雪の日」の執筆。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。
昔は三千石の旗本の姫君と呼ばれ、白い肌に いつも綾羅錦縮を着飾っていた人が、今は髪はただ枯野の薄のようでいっ結ったのか油気もない。袖なし羽織のみすぼらしいのを着て、恥ずかしいのでしょう、うつむきがちに、
「このように見苦しい所なので、お茶をさしあげるのもかえって失礼になりますので」
と寂しく言われるのは涙をそそるものでした。畳は六畳ほどで、切れも切れたり、まるで藁ごみのようで、障子も一箇所として紙の続いているところもなく、昔を思わせる形見は何一つとしてない。夜具蒲団もないのだろう、手廻りの道具もないのだ ろう。粗末な火鉢に土瓶がかけてあるばかりで、以前の楽しい暮らしの面影はどこにもない。主人はこれから仕事に出かける所で、筒袖の法被を寒そうに着て行火(あんか)を抱いて夜食の膳に向かっているのも寂しいものでした。子供の正朔さんが私の土産を喜んで、紅葉のような手で持ったまま少しも放さず、
「仏様にお供えしなさい」
と母親に言われて、仏壇のような所へ供えるのでした。
「何事も時世の流れですから、お宅にもきっと春が巡 って来ますよ。正朔さんさえ元気でおられるなら、決して力を落としなさいますな。か弱い御身でご心配のあまり病気でもなさっては、それこそ取り返しのつかない事ですから」
とお慰めすると、
「聞いてやって下さい。この子は、大きくなったら陸軍の大将や元帥になって、銀行からいくらでもお金を持ってきて父も母も安楽に暮らさせますといつも威張って言うのですよ」
と、さすがに頼もしそうに笑って話される。お暇してこの家を出ると、タ風が袂を吹いて通りは既に暗くなっていた。
二十九日、 三十日の両日 、必死になって小説を書く。明け方にほんの少し眠っただけで、どうしても三十一日までに間に合わせようとするのだから、とても苦しい。三十日には上野の伯父がお歳暮に見えた。一日中筆を執ることが出来ずに過ごした。夜十一時まで机に向かっていると、邦子が幾たびも諫めて、
「名誉も誇りも命あってのものですよ。こんなにまで頭を使い心を悩ませなさっては、どうなるのでしょう。はたで見ている私も大変苦しいので、どうぞこれはお断りなさって、もう今夜はお休みになって下さい」
と繰り返し忠告する。本当にそれもそうだと考えて筆を置くと、心身共に疲れて急に眠くさえなった。
コメント
コメントを投稿