一葉「よもぎふにつ記」11
きょうは、明治26年2月7日から9日までです。
二月七日 晴に成ぬ。 一日机に寄(より)くらして、日没より摩利支天(まりしてん)(1)に参詣し、荻野ぬしのもとに新聞(2)をかりる。「今日は議会開会の日也。 模様いかに」など人々いふめる。帰路(かへりみち)、切通し坂のあたり、けしきいふべくもあらず。何よりも高きは号外売(うり)くる新聞売子(うりこ)の声、さては そこそこの辻にたちて壮士(さうし)(3)とか いふ様(やう)なる人の、今の世のさまを文につくりて、「鉄石心(てつせきしん)」とか、あやしきふしつけてうたふらんよ。郵便局(4)の燈(ともしび)かがやきて、脚夫(きやくふ)(5)の行来(ゆきき)をるよりしげく、電話交換処のいそがはしげなる。警察(6)に出入(いでい)る人の二重廻(にじゆうまは)し(7)ふか深々とゑりを立てしは探偵(8)と覚しく、金ぼたん、角帽子(9)の二人三人(ふたりみたり)づれに立入る寄席(よせ)(10)は女義太夫(をんなぎだいふ)也。身なり、いでたち計(ばかり)は何方(いづく)の姫、奥方かと覚ゆる人の、夫(つま)にはあるまじき人に手を取られて、をかしげにものがたり行(ゆく)ことばを聞けば、みそこしさげて豆腐屋にはしるそれめきたり。文明開化か、百鬼夜行(ひやつきやぎよう)か。筆こころにしたがはば、材料は山ともいふべし。家に帰りつきし時に、我(わが)新聞も号外来たれり。議会は解散にもあらず、内閣総辞職にもあらず、無期停会に成ぬる(11)也。伊藤首相病後(びやうご)はじめての出席に、例のなめらかなる詞(ことば)、豊かなる姿、よく上下(うへした)を説き又さとし、此おだやかなるおさまりには成りぬ。此夜『朝日新聞』の小説五十回計(ばかり)のもの(12)よむ。我が桃水師のもありけり。「雪だる摩(ま)」(13)とてたんてい小説なりき。十二時計(ばかり)床に入りにき。
(1)下谷区上野町二丁目の大徳寺にあった。厄を除き運を開く勝利の守護神で、左手をかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つ。
(2)東京朝日新聞とみられる。
(3)明治中期には、自由民権運動の活動家や、雇われた用心棒や運動員についてもこういった。ここでは、立憲自由党の青年党員。当時は衆院議長が星亨で、民党の力が強く、かれらの意気が盛んだった。
(4)東京本郷郵便電信支局。切通坂上にあったという。
(5)郵便配達員の古い呼びかた。
(6)本郷警察署(現・本富士警察署)。
(7)和服の上に着る男性用の外套。インバネスのたけを長くして和装化したもので、袖ぐりが大きくあき、ケープ風の袖がついている。
(8)ここでは捜査担当の刑事とみられる。
(9)制服姿の帝国大学の学生。
(10)菊坂亭、あるいは若竹亭か。
(11)「無期停会」は誤りで、弾劾上奏案が政府の停会処置を押し切って可決されたため、25日まで議事進行を休むことになった。
(12)1月27日付で完結した宮崎三昧の絵入り新聞小説「塙団右衛門」とみられている。
(13)1月3日から2月8日まで連載された「雪達磨」。
八日 空くもれり。いと寒し。炬燵(こたつ)を昨日(きのふ)よりやめになせしかば、一(ひと)しほに寒し。
九日 起出てみれば、空ははれたれど、垣根のもと、草の葉のうへ、しろじろと雪をいただきぬ。「むべこそ夜(よ)の間(ま)の寒かりき」などかたる。朝の間しばし小説のこと国子とかたる。風少しあれど今日はあたたか也。「いでや、つとめて今十日計(ばかり)の間にこの一小説つづり終らばや」とおもふ。金港堂よりの注文に、「歌よむ人の優美なるを出(いだ)し給へ」といふこそは、いとくるしけれ。さしも其社会にたち交りて、あさましくいとはしきことを見聞きなれぬる身には、 歌よむ人とさへいへば、みだりがはしくねぢけたる人の様におもはれて、誠のみやびなるをかかんとせば、人しらぬむぐらふに世をせばめたるなどをこそ引出で来つべけれ。玉だれのおお奥にうちしめり、かひひそまりたる令姫(ひめ)などにも歌よむ人なしといひがたけれど、それらはすべて我眼(わがまなこ)にうつり来たらずかし。さても、ならはしのさり難きをこれにしれば(14)、教へといふもののゆるがせになしがたきは道理(ことわり)ぞかし(15)。心をあらひ、めをぬぐひて、誠の天地を見出(みいで)んことこそ筆とるものの本意なれ。いささかの井のうちにひそまりて、これより外(ほか)に世はなしとさとりがほなるを、人より見んに、いか計(ばかり)をかしからぬ。我もそのたぐひにて、我ながらしもをかしきを、此眼(このまなこ)ひらきがたきは、其ならひ性(うまれなが)ら成りしぞかし。や みぬべき哉(かな)。
敷島(しきしま)のうたのあらす田(だ)あれぬれど(16)
にごらぬかたもあるべきものを
こは歌にはあらずか し。
この日午後(ひるすぎ)、塙道忠(はなはみちただ)(17)来る。兄君の代理に也。少時(しばし)ものがたりす。
(14)いやしい習慣や悪い風習から離れるのが難しいことを歌人社会で体験しているので。
もっともだ。無理もない。
(15)ことわざ「井の中の蛙」(自分の狭い知識や経験にとらわれ、広い世界があるのを知らない者のたとえ)を踏まえている。
(16)香川景樹の「敷島の歌のあらす田荒れにけりあらすきかへせ歌の荒樔田」(放って置かれた田が荒れるように歌道はすっかり廃れてしまった。田を新たに鋤き返すように歌道を耕し直せ)。
(17)一葉の次兄の絵師、虎之助の弟子。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》 高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。
七日。晴になった。一日中机に向かい、日暮れから上野の摩利支天に参詣、帰りに荻野氏宅で新聞を借りる。今日は議会開会の日。様子はどうなったかと人々は話し合っている。帰り路の切通し坂のあたりの景色が何とも言えないほど美しい。一きわ高く聞こえるのは号外を売りながら来る新聞売りの声。またあちこちの辻では壮士とかいう人が世相を諷刺した文章をつくり、「鉄石心」とか題を付け妙な節廻しで歌っている。郵便局には灯があかあかと輝き、配達夫の出入りがはげしく、電話交換所は如何にも忙しそうだ。また警察に出入りする外套姿で襟を深々と立てているのは探偵らしい。金ボタンに角帽の学生が二、三人連れで入っていく寄席は女義太夫だ。身なり服装だけはどこのお姫様か奥方かと思われる人が、主人とも思われない人に手を引かれて楽しげに話して行くのを聞くと、味噌こしをさげて豆腐屋に行っているようだ。文明開化というべきだろうか、百鬼夜行というべきだろうか。筆が思うように動くなら材料は山ほどもある。家に帰りつくと、家の新聞も号外も来ていた。議会は解散にもならず、内閣は総辞職もせず、無期休会ということになった。伊藤首相は病後初めての登院で、例のなめらかな言葉、堂々たる風格で上下の人々を説得し、この穏やかな解決になった。この夜、朝日新聞の小説五十回ほどのものを読む。我が師桃水先生の作品もあった。「雪達磨」といって探偵小説であった。十二時ごろ床に入った。
八日。 曇。ひどく寒い。炬燵を昨日からやめにしたので一段と寒い。
九日。起きて見ると、空は晴れているが垣根の裾や草の葉は白々と雪をかぶっている。なるほど夜が寒かったのも当然だと話す。朝のうちしばらく小説のことを邦子と話す。風は少しあるが今日は暖かい。さあ、努力してあと十日ほどの間にこの一篇を書き上げようと思う。金港堂からの注文に歌詠む人の優美な場面を出してほしいというのは、とても苦しい。私も世の歌人たちの世界に出入りして、情けなくいやな事を見聞きしているので、歌詠む人とさえ言えばみだらでひねくれた人のように思われ、本当に優雅な人を描こうとするなら、荒れはてたあばら家に世をのがれて住んでいる人をこそ引き出すことになるでしょう。立派なお屋敷の玉すだれの奥にひっそりと物思いに沈んでいるお嬢さまなどにも歌を詠む人がないとは言えないが、そういう人たちは私の目には写ってこないのです。それにしても生活環境からのがれることはできないものだということがよく判るので、教育ということがいかにおろそかにできないかということは道理なことです。心を洗い目を拭って真実の世界を見出すことこそ筆を執る者の本来の願いです。狭い井戸の中に閉じこもっていて、此処以外に世界はないと如何にも悟ったように思いこんでいる人を、第三者から見たらどんなに可笑(おか)しいことだろう。私もその仲間で、我ながらおかしく思われるが、真実を見る目を開くことができないのは、生活の習慣が性質となってしまったからです。あきらめるより仕方のないことと思われる。
敷島の歌のあらす田荒れぬれど濁らぬ方もあるべきものを
これはとても歌にはなっていない。
この日午後、兄の代理として塙道忠が来る。しばらく話す。
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