一葉日記「道しばのつゆ」⑤
きょうは、明治25年11月11日の途中から、12月20日までです。
(十一月十一日)
人なきを見て、つと御身(おんみ)ちかくさし寄りつつ、「何は置(おき)て、御(おん)めにかかることのいとはるかなるが口をしうこそ。何事もうき世に申合す人なき様にて、心ぼそさ堪(たへ)がたし」と言へば、「何かは我などの御助(おたす)けにも成る節(ふし)あらんや。されど、もし、ここに申(まうす)ことありとも覚さば、此うら道のいとさびしく、人めといふものふつにあらねば、此処より立寄(たらより)給はんに、誰かは見とがめ申べき」とささやき給ふ。「いでや、其しのびたるたぐひを厭(いと)へばこそ、ここにかく心ぐるしきを」と言はまほしけれど、申さず成りぬ。何も何も残したる様(やう)にて別れぬる也。
十二月の七日、大人(うし)より文(ふみ)あり。「『朝日新聞』にかねてのせたる小説『こさふく風』(1)、更に一本にまとめて世に出さんとするを、いかで御歌(おうた)一首めぐませ給はらずや。御都合にて、しらぬ人のつもりにてもよく、又は御匿名(おとくめい)にてもよし。これは参上願ふべき筈ながら、例のはばかりの関(2)ある身、中々御(お)さわりにもやとて斯(か)くは」とあり。直(ただち)にかへししたためて、歌(うた)は一首、よからねども林正元(はやしまさもと)(3)をよめるの成けり。かかる折ふしの音づれいと嬉し。廿日 ありし去歳(こぞ)をおもひ出(いづ)るに、まことに今日成けり。かの大人(うし)より俄かに、「いふべきことあり。人前(ひとまへ)にてはいといひにくきを、夜るなりとも参らせ給はらずや。御帰りは車にて送らすべし」とありしに、母君中々にゆるし給ふべくもあらで、この早朝に平河町(4)を訪(と)ひにき。「さしてのことにもあらで、何かあやしきもの語り(5)にほのめかし給ひしことありき」などふとかぞふる折しも、龍田君(たつたぎみ)参り給へり。かの歌のはし書(がき)をもとめ給ふ成けり。少しものがたりす。菓子など参らせたるを心よく喰(く)ふ。ゆかりある人とおもへば何方(いづく)かにくかるべき。「帰らん」といふに、母君、菓子 をつつみて、「兄君のみやげに」と出す。龍田君(6)よりは我がよろこばしさ、上もなかりき。かかる折ふしのはかなごと、中々にかひつけしはやとおもへど、猶(なほ)いささかは心地まぎるる様(やう)にてなん。あはれ、はかなしかし。
(1)明治24年10月2日から明治25年4月8日まで連載された桃水に小説。
(2)『後拾遺和歌集』のよみびと知らずの歌に「しるらめや身こそ人目をはばかりの関に涙はとまらざりけり」。
(3)桃水の『胡砂吹く風(こさふく風)』の主人公。
(4)麹町区平河町2丁目の桃水の旧宅。
(5)明治24年12月の日記の断片に「約束の妻君ことはりにしたりし家政改革の物がたり等あり」と記されている。
(6)桃水の弟、浩。龍田家を継いでいた。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
私は、あたりに人のいない折を見はからって、さっと先生のお側に寄って、
「何は置しても、お目にかかることがなかなか出来ないのが残念です。色々な事をこの世で相談する人がないようで、心細くてたまらないのです」
と言うと、
「私のような者がお役に立つことが何がありましょうか。しかし、もし私に何か言いたいこ とがあるとお思いのときは、この家の裏通りが大変寂しく、人目も全く無いところですから、其処を通ってお出でなさるなら、誰も見とがめる者はいませんよ」
と、ささやいておっしゃる。私は、〈人目を避けてこっそり会うようなことはしたくな いからこそ、こんなに苦しいつらい思いをしているのです〉と言いたかったのですが、何も言わないでしまった。何も彼も中途半端で、し残したような思いでお別れしたのでした。
十二月 の七日、半井先生からお手紙が来る。
「朝日新聞に以前に掲載した小説『胡沙吹く風』を今度は一冊の本として出版するので、是非貴女の御歌を一首いただけませんか。ご都合で全く知らない人の立場でもよく、または匿名でも結構です。これは参上してお願いすべきものですが、例の遠慮すべき関所のある身、かえって御迷惑にでもなってはと、このように手紙でお願いする次第です」
とある。すぐにご返事を書く。歌は一首。あまり良くはないが主人公の林正元を詠んだものです。こういう折のお手紙は本当に嬉しい。
二十日。過ぎし去年のことを思い出してみると、本当に去年の今日のことでした。半井先生から突然、
「お話したい事があります。人前では言いにくいことなので、夜にでもおいで下さいませんか。お帰りは車で送らせます」
とお手紙があったが、 母上がとてもお許しなさる筈もなかったので、その翌朝早く平河町をお訪ねしたのでした。然し特別のことでもなく、何か変な物語ふうに匂わせてお話しなさったことがあったなどと、ふと思い出したのでした。すると折も折、 先生の弟君の龍田浩さんが見えたのです。あの約束した序文の歌をとりに見えたのでした。しばらくお話する。お出ししたお菓子などを気持ちよく食べられる。ご縁のあるお方と思うと、何で憎めましょうか。お帰りの時に母上がお菓子を包んで、兄上へのお土産と出される。龍田さんよりも私自身の方がこの上もなく嬉しく感じた。こうした折の、一寸した事などを書きつけておきたいとは思っても、やはり他の事に紛れて、そのままになってしまうようです。本当にはかないものです。
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