一葉日記「道しばのつゆ」①
きょうから一葉の日記「道しばのつゆ」(1)に入ります。冊子の表書には「廿五年十一月」、署名は「樋口なつ子」とあります。きょうは、11月9日の日記です。
九日は萩のやの納会(なふくわい)(2)なり。 二日三日前より、時のけにや、いたくなやみてかしらもあがらず、「出席むづかしかるべし」と思ひしも、今朝より俄(にはか)に心すがすがしく、「此ほどならば」と行く。髪などもはかばか敷(しく)はとりあげず、手あしなどもあかつきたるまま成し。田中、鳥尾 、中村(3)などの人々は我より先(さき)成けり。さはいへど常の様にもあらねば、歌もえよまずものうげなるを、人々みあつかひてさまざまに介抱さるるいと嬉し。来会者は三十人にあまりぬ。龍子の君の、田中ぬしにことづけて、我と伊東君に文(ふみ)あり。この廿日までに嫁入り給ふべきよし。今日の会をおもひやりて歌あり。
「むれ遊ぶ沢辺(さはべ)のさまをおもひやりて
心そらにもたづ(4)ぞ鳴(なく)なる
なくねもしどろなるみだり心地をゆるさせ給ひてよ」など、例のうるはしうみだれ書(かき)給へるうつくしくささやかなる紙に、遠山(とほやま)のかたかすかにかすませて、田鶴鳴渡(たづなきわた)る松ばらのけしき絵もをかしかりし。我には又別に、「十五日前にいま一度おどろかし給(たまひ)てよ。あたらしき家居(うち)には誰もゐごこちよからぬものにて、今よりのちしばらくは、ゆるゆる御ものがたりもかたかるべく、いかでいかで」などありけり。「これがかへしは」と人々いふものから、さわがしさにまぎれてやみぬ。タすぐるほどかしら俄(にはか)になやましう成りしを、人めにもしかみえけん、まだ残る人いと多かりしかど、我はくるまたまはりて家に帰りぬ。
(1)道の芝草におく露の意。はかないものなどのたとえにも用いられる。「ふるさとを恋ふる涙やひとり行く友なき山のみちしばの露」(『新古今和歌集』慈円)。
(2)萩の舎の1年最後の歌会。この日、定例として催されていた。
(3)田中みの子、島尾広子、中村礼子。水道町の萩の舎塾が会場だった。
(4)自分の名前である「龍」と「たつ(田鶴)」をかけている。歌語で、ツルをは田鶴という。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。
(十一月)九日は萩の舎の納会の日。二、三日前から季節のせいか、ひどく気分が悪く、頭もあがらず出席はむずかしいと思っていたが、今朝から急に気分がすがすがしくなったので、この程度なら大丈夫と出かける。髪もきちんと結ったのではなく、手や足も垢じみたままでした。田中みの子、鳥尾広子、中村礼子さんたちは私より先 に見えていた。出席はしたものの、私は普段とは違い歌も詠まず苦しそうにしているので、皆さん親切に世話をやいて介抱して下さるのがとても嬉しかった。来会者は三十名以上でした。田辺龍子さ んが田中さんにことづけて 私と伊東夏子さんに手紙を下さった。今月二十日までに嫁入りなさるということ、また今日の会のことを思って歌が添えてあった。
「むれ遊ぶ沢辺のさまを思ひやりて
心そらにも鶴(たづ)ぞ鳴くなる
悲しい心で鳴く声 もおろおろして、 取り乱しているのをお許し下さい」
などといつものように美しく乱れ書きに書いていらっしゃる美しく小さな上品な紙に、遠山がぼんやり霞んで鶴が鳴きながら飛んでいる松原の絵も、まことに趣深いものでした。私にはまた別に、
「今月十五日以前にもう一度お訪ね下さい。新しい家では誰も居心地がよくないので、今後は、しばらくはゆっくりお話することも出来ないでしょうから、是非、是非」
とあった。この返事はどうしようかと皆が言っていたが、混雑にまきれてそのままになってしまった。夕方過ぎから頭が急に痛くなってきたのが、人目にもそう見えたのでしょう。まだ残っている人も多かったが、私は車をいただいて帰った。
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