一葉「につ記」⑤

 明治25年9月から10月にかけての「につ記」。きょうは、10月20日から25日です。

廿日 好天気。よべ夜更しをなしたるに、少し朝寐(あさね)をしたりし枕もとに、早くも『甲陽新報』つき居たり。邦子いちはやくくり広げて、「ああ今朝より『経づくえ』出(いで)たり(1)」とさけぶ。我れもあわただしく起出て見れば、実(げ)にぞしか也き。此月の六日計(むいかばかり)にさし出し置(おき)しの也けり。「此分(このぶん)にては、更に著作し送るとも没書(ぼつしよ)にも成るまじ」と安心す。おもへば我ながら恥かしき心也。智識たらず学事ととのはず(2)とは万(まん)も二万も承知なしながら、文学中ことに六(む)つかししと聞く小説をかきて一家三人の衣食をなさんなど、大(だい)たんといはんか身知らずと言はんか。人知らぬよ半(は)の寐覚(ねざめ)に背に汗のいと心ぐるし。さるものから、是れに依らずは母君を安心させ奉(まつ)ることも家の名をたつることも成らずなど様々に。
廿一日 図書館に 行く。此留守に金港堂編輯人(へんしふにん)藤本藤陰(とういん)(3)来る。「『うもれ木』原稿料十一円七十五銭(4)送る。猶たのみ度(たき)ことあるよし言置(いひおき)たり」と聞くに、さらば明日(あす)早朝に同人方(どうにんかた)を訪(と)はんとおもふ。
廿二日 小石川稽古なれど、藤本に約したることあれば、早朝車を猿楽町(さるがくちやう)に寄す。初めて対面す。種々(さまざま)ものがたる。『都の花』明年の初ずり付録に、松竹梅の三幅対(さんぷくつい)を田辺君及び我と外(ほか)一人の 婦人に著作し貰(もら)ひ度(た)し、依(より)てこのことを花圃(くわほ)女史にも依頼なしたるに、「何(いづ)れ考へて」とのこと也しが、何とぞ相談の上に、両君(ふたり)にて一(ひとつ)ヅツ、題を定め給はり度(た)し、其残りたるを佐々木竹柏園(ちくはくゑん)(5)にか坪井秋香(しうかう)(6)にか廻すべければ、と成けり。少時(しばし)にて帰宅、直(ただち)に小石川へ行く。大雨成しが帰宅(かへり)がけには止(や)みたり。
廿三日 母君、三枝(さえぐさ)へ参り給ふ。『都の花』より受とりたる金のうち六円を同君に返へさんとて也。同君もいたく喜こばれたるよし。
廿四日 大雨。午後より田辺君を番町にと訪(と)ふ。留守にて母君(7)としばし談(かた)る。帰路(かへり)、半井君下婢(はした)に逢ふ。同氏の近状(8)を聞く。万感万歎(ばんかんばんたん)この夜睡(ねむ)ることかたし。
廿五日 晴天。母君、田部井(たべゐ)を訪ふ。西村常女(つねぢよ)(9)来る。「家(うち)にはりもの板(いた)なければ、我家にて張り度(た)し」と也。


(1)『甲陽新報』の明治25年10月18日付。同月25日まで掲載された。
(2)一葉は、青海学校小学高等科第4級を終えたところで中退していた。
(3)本名、藤本真。「うもれ木」が掲載された金港堂発行の『都の花』の編集主任をしていた。
(4)1枚25銭の計算で47枚分にあたる。
(5)歌人、佐佐木弘綱の夫人、光子。竹柏園の号は、後に息子の佐佐木信綱に継承された。
(6)『都の花』第74号に「松の嘆息」を書いている。
(7)関東郡代付の代官、荒井清兵衛(顕道)の次女で、海軍奉行も勤めた荒井郁之助の妹、己巳子(きみこ)。
(8)桃水宛の書簡には「此ほど途中にて不図お女中にお逢ひ申御様子承り候へば兎角おすぐれ遊ばさずとか、御目もじかなはねば殊更にお案じ申され候」とある。
(9)西村釧之助の妹。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。


二十 日、 好天気。昨晩夜ふかしをしたので少し朝寝をした枕もとに、早くも郵便で甲陽新報が届いていた。邦子がいち早く開いてみて、
「ああ今朝から 『経づくえ』 が出ている」
と叫ぶ。私もあわてて起きて見ると、本当にその通りでした。今月六日ごろに送ったのです。 この調子では、更に書いて送っても没にはならないだろうと安心する。
思えば我ながら恥ずかしい心です。知識も乏しく学問も充分出来ていないことは百も二百も承知していながら、文学のなかでも特に難しいといわれる小説を書いて、一家三人の生活を支えようなどと考えるのは、大胆と言おうか身の程知らずと言おうか、ただ独り夜中に目覚めて、背中に冷汗の出るほど心苦しい限りでした。しかし、こうするより他には母上を安心させることも、また家の名をあげることもできないなどと様々に・・・・・・
 二十一日。図書館に行く。この留守に金港堂の編集者藤本藤陰氏が来て 「うもれ木」 の原稿料十一円七十五銭を持参される。また、頼みたいことがあるとの伝言だったと聞いたので、では明朝早速にも同氏の家を訪ねようと思う。
二十二日。萩の舎の稽古日だが藤本氏との約束があるので、朝早く車で猿楽町の藤本氏宅に行く。初めてお会いし、色々と話す。
「『都の花』 の新年号の附録 に松竹梅として女性ばかりの三人集を計画しているので、田辺龍子さんとあなたと外にもう一人の女性に執筆してもらいたいと思っているのです。そこで龍子さんにも頼んだら、いずれ考えておくとのことでした。どうかお二人でご相談なさって、一つずつ題をきめてもらいたいものです。そのあとで、残ったもう一つを佐々木竹柏園女史か坪井秋香女史かに廻したいと考えているのです」とのことでした。しばらく話を聞いて帰り、それからすぐに萩の舎へ行く。大雨になったが帰る頃には止ん でいた。
二十三日。母上は三枝氏の所へ行かれる。「都の花」から受取った金のうち六円を同氏に返すためです。同氏もひどく喜ばれたとのこと。
二十四日。大雨。午後から田辺龍子さんを番町のお宅に訪ねる。留守でしたので母上としばらく話をする。帰る途中、半井先生の所の女中さんに逢う。先生の近況を色々お聞きする。万感胸に迫って今夜はなかなか眠れない。
二十五日。晴、母上は田部井氏を訪ねて行かれる。西村のお常さんが見える。張物板がないので私の家で張物をしたいとのことでした。

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