一葉「につ記」④
きょうは、明治25年11月11日から。野々宮菊子は、盛岡女学校へ赴任することになりました。
十一日 少し雨のひまみえたり。野々宮君来訪。岩手県に新高等女学校開校されん(1)とするに招かれて、主座(2)の任を帯(おび)て十四日出立せんとする也。付きて、(3)「教科書の不審の処(ところ)問ひきき度し」とて我れを訪(と)ふ。『和文読本』四冊(4)を相談(はな)す。同人より駒下駄(こまげた)壱足貰ふ。此方(こなた)より花むけとでもなけれど、有合せの半ゑり一(ひと)かけ送る。夜に入るまでものがたりして帰る。
十四日 連日の雨はれ渡りぬ。野々宮ぬしの出立(5)午前(ひるまへ)に成りしと聞くに、早朝より家を出づ。国子共(とも)に、先(ま)づ途(みち)すがら安達(あだち)君の病気を訪(と)ふ。よう(6)といふ腫物(はれもの)にて切断せられし也。老(おい)たる人の心細ければにや、涙ほろほろとこぼして物がたりせらる。ここを出てステーションに行きしは十一時ちかかりき。野々宮ぬしに逢ふ。送る人も十人計(ばかり)あり。毛利(まうり)すま子とて大島みどりぬしが知人(しるひと)もありけり。初対面の礼をなす。車の動き出(いづ)るほど、 何とはなしに心細し。これより根岸辺(あたり)を少し見物す。道路(みち)雨あがりにて、 いと六(む)ツかしかりき。帰路(かへり)は国子よはりによわりて、大学のうら門(7)あたりまで来し時は、あしも上がらぬ景色成し。からくして帰る。
十五日 晴天。小石川稽古に久し振(ぶり)にてゆく。榊原家(さかきばらけ)の令姫(ひめ)(8)、今日より通学し給ふ。
十六日 晴天。 田辺君のもとを訪(と)ふ。
十七日 上野房蔵君来訪。
十八日 野々官君より安着の報(しらせ)来る。
十九日 好天気なり。西村君来訪。母君、小林君及(および)菊池君を訪(と)ふ。『都之花』 に載すべき筈(はず)にて金港堂へ廻(まは)し置(おき)たる小説もはや一(ひ)ト月計(ばかり)にも成れるを、いまだ其価(あたひ)は我が手に入らず。さりとて催促すべき処もなければ、日々(ひび)首をのばして便(たより)を待(まつ)ばかり。 母君よりは手元の苦るしさをしばしば訴へ給ふ。それも道理(ことわり)也。「此月中に是非入金の道なくば」と頭(かしら)を悩ます。『甲陽新報』へも六回計(ばかり)の物差出(さしだ)し置(おき)し 夫(それ)さへ何の便りもなく、日々に送り越す新聞さへ此両三日(りようさんにち)は如何(いか)にしけん発送もなし。彼(あ)れ是(こ)れと煩はしくて、夜に入れどねむり難く、書見に二時すぐるまで更(ふか)したり。
(1)明治25年、カトリック女子修道会(シャルトル聖パウロ修道女会)の修道女が盛岡に着任し、「私立盛岡女学校」を開校した。明治44年に校名は東北高等女学校となっている。
(2)小学館全集の脚注によると「校長の下で働く学監のような立場。11月14日付の書簡によれば、家政・唱歌・習字・洋裁・算術・国語などの授業を受持った」という。
(3)野々宮菊子は書簡に「国語の一科こそなやみの課なれ」と記しているという。
(4)稲垣千穎の編集による初等和文教科書。全4巻。明治15年、奎文堂刊。教材として、中世の軍記物、説話、随筆などが採られている。
(5)詠草に「岩手といふ処に友のゆくを送りて/みちのくのいはてぞ今日はしのばまし別れくるしとおもふ心を」とある。
(6)癰。皮膚にある隣接した多くの毛嚢が化膿した急性の腫れ物。首すじや背部などに発生する。かたく赤く腫れあがり、激しい痛みがある。
(7)池之端茅町の裏門。大学構内を抜けて本郷へ帰ることができた。
(8)榊原つね。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦訳『完全現代語訳樋口一葉日記』(アドレエー、1993年11月)から。
十一日。少し雨の切れ間が見えてきた。野々宮菊子さん来訪。岩手県に新しく高等女学校が開校され、主任として招かれ、十四日に出発とのこと。ついては教科書の疑問点を聞きたいと言って訪ねて見えた次第。「和文読本」 四冊について話し合う。菊子さんから駒下駄一足いただく。私からは餞別の用意もしていなかったので、有合わせの半襟を一つあげる。夜になるまで話をして帰られる。
十四日。連日の雨も晴れ渡った。野々宮さんの出発が午前になったと聞いて、早朝より家を出る。邦子と一緒に出て、途中まず安達氏の病気見舞をする。瘍(よう)という腫物で手術されたのでした。お年寄りなので心細いのでしょうか、ほろほろと涙をこぼしながら話をされた。そこを出て上野ステーションに着いたのは十一時近かった。野々宮さんに逢う。見送る人も十人ほどで、毛利すま子さんといって大島みどりさんの知り合いの人に初対面の挨拶をする。汽車が動き出すと、何とはなしに心細い思いでした。その後、根岸あたりを少し散歩する。道路は雨あがりでひどく歩きにくかった。帰りは邦子はすっかり疲れて、東大の裏門あたりまで来た頃は足も上がらない様子でした。やっとの思いで帰り着く。
十五日。晴。 萩の舎の稽古日なので久しぶりに出かける。楙原家のお姫様が今日から通って来られる。
十六日。晴。田辺龍子さんのお宅を訪ねる。
十七日。雨。藤林房蔵氏来訪。
十八日。同じ。野々宮さんから無事着いたとの知らせが来る。
十九日。好い天気。西村氏来訪。母上は小林好愛氏と菊池隆直氏とを訪ねて行かれる。「都の花」 に掲載予定で金港堂へ廻しておいた小説も、はや一カ月ほどにもなるのに、その原稿料はまだ手に入らない。かといって催促すべきことでもないので、毎日首を長くして待っているばかり。母上からは生活費の苦しさをしばしば訴えられる。それも尤もなこと。今月中にもし入金しないならどうしようと頭を悩ます。甲陽新報へも六回分ほどの原稿を出しておいたのに、それさえ何の便りもない。毎日送ってくる甲陽新報さえここ二、三日はどうした訳か送ってこない。あれこれ心配で、夜も眠れず、本を読んで二時過ぎまで夜ふかしする。
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