一葉「うもれ木」25
きょうは「うもれ木」の最後の部分です。
「鳴呼(ああ)幾年(いくねん)の苦の名残、描(ゑが)きも描きたり我れながら、天晴(あつぱれ)斯道(しだう)の妙(めう)の妙、この筆たえてつぐ人ありや。我れ道に入(い)りて十七年、惜しみに惜しみし名を記(し)るして、見よや海外の青眼玉(あをめだま)(1)、来たれ万国の陶器画工、日本帝国(にほんていこく)の一臣民、入江籟三自慢(じまん)の筆と、心に誇りし満足の品、これ何(なん)として砕かるべき、これ何として砕かるべき。兎(と)にも角(かく)にも世に合はぬ身の、一生の思ひ出これに止(とど)めて、入(い)らんか深山(みやま)の、それも口惜(くちを)し(2)。お蝶ふたたび帰りもせば、辰雄に邪心のなくもあらば、この品(しな)保存もなるべきを」と、双手(さうしゆ)に抱(いだ)いてためつすがめつ、眺(なが)め入(い)る心惚(こつ)として、我れ画中に入(い)りたるか、画図(ぐわと)我が身に添ひたるか。お蝶もなし辰雄もなし、我慢もなし意地もなし、金光(きんくわう)我が身に耀(かがや)いて、四方(よも)に沸く喝采(かつさい)の声、莞爾(につこ)と笑めば耳ちかく、
「籟三愚物(ぐぶつ)のつかひ道なし」と、聞こえ出づるは篠原か、「汝(おの)れ」と振仰ぐ袖(そで)ひかへて、「お風めすな」と優しき声、「嬉(うれ)しや、お蝶かへりしか」「兄(にい)さま、彼方(かしこ)へ諸共(もろとも)に」と、指さす方(かた)は金閣寺銀閣寺、咲くや秋草小蝶(こてふ)とんで、立(たち)わたる霧さりとては、我が金(きん)なし地(ぢ)にさも似たり。
面白(おもしろ)し面白し、蛟龍(かうりう)(3)つひに池中(ちちう)の物ならず、湧き来たる雲形のうちに立浪(たつなみ)の丸模様、登(のぼ)り龍(りう)下り龍龍(りう)の丸(まる)、蝶の丸花の丸鳳鳳(はうわう)の丸、をどり桐(ぎり)(4)くるひ獅子(じし)二葉葵(ふたばあふひ)、源氏車槌車(つちぐるま)、ぼたん唐草(からくさ)菊がら草、吉野龍田の紅葉(もみぢ)に花に、「あれも美なり、これも美なり。お蝶も美なり辰雄も美なり、 中に就(つひ)て我が筆(ふで)美なり。これを捨てて何処(いづこ)に行かん、天下万人みな明きめくら、見すべき人なし見せて甲斐(かひ)なし。我が友は汝(なんぢ)よ、汝が友は我れよ、いざ共に行かん」と抱(いだ)きあげて、投げ出だす一対(いつつひ)庭石の上、戞然(かつぜん)(5)のひびき大笑のひびき。夜半(やはん)の鐘声(しようせい)とほく引きて、残るものは片々(へんぺん)の金光一輪(きんくわういちりん)の月(6)。
(1)ここでは西洋人の蔑称。「紅毛碧眼」(赤い髪の毛と青い目)などによる。
(2)世捨人となって深山へ身を隠そうか。それも口惜しく心残りだ。
(3) 中国古代の想像上の動物。水中に潜み、雲雨に会うとそれに乗じて、天上に昇って龍になるとされる。ここでは籟三自身を指している。
(4)「筆すさび一」に、「模様は雲龍、二葉葵、龍の丸、籬に菊、源氏車、槌車、香の図、牡丹唐草、菊から草、蓮から草、立田、よし野、狂ひ獅子、薬玉、蝶の丸、菊水、花の丸、をどり桐、登り龍、下り龍、鳳鳳の丸、其外形がはり鳳凰等幾らもあり」。「登り龍下り龍」は、天へのぼろうとしている龍と天から地上におりようとしている龍を描いた模様。「をどり桐」は、普通の桐の紋所と違い、右の花だけが葉の下側に出ているもの。
(5)堅い物が触れ合って音を発するさま。ここでは、花瓶が庭石にたたきつけられて割れる音をいっている。
(6)庭には、金襴陶器のかけらが金色に光り、空では寒月が冴えわたっている。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』井辻朱美訳「うもれ木」から
「描きも描いたり、われながら、あっぱれこの道の精髄をあらわし、この筆法を継ぐものがはたしてあろうか。焼き物の道に入って十七年、惜しみに惜しんだ名はここに記し、見るがよい、海外の青目玉ども、来たれ、万国の陶器画工、日本帝国の一臣民、入江籟三自慢の筆、と心に誇った満足の品をなんとして砕くことができようか。なんとして砕くことができようぞ。とにもかくにも世に容れられない身の、一生の思い出をこれにとどめて、深山に入って世捨て人になろうか 。いや、それもくちおしい。お蝶がふたたび帰ってくるものならば、辰雄に邪心がないものならば、この品も残しておくべきではあるのだが」と両手にいだいて、ためつすがめつ、恍惚とながめれば、みずからが絵の中に入ったか、あるいは絵がみずからの身に添うてきたのかと感じ入り、お蝶もなく辰雄もなく、やせ我慢もなく片意地もない境地にひたるのでした。わが身は燦然と黄金の光かがやいて、四方からはどっと喝采の声がわきおこります。にっこりほほえめば、耳もとで、「偏屈者の籟三に、使い道はない」と聞こえてくるのは篠原の声でしょうか。おのれ、とふりあおいだ袖をとらえて、「お風邪を召しますな」とやさしい声は、お蝶がもどってきたのでしょうか。「兄さま、かしこへ、もろともに」と指さす方には、金閣寺銀閣寺、秋草の花が咲き、小蝶が飛んで、霧たちわたり、さながら花瓶の金梨子地そのままに思われます。おもしろい、おもしろい、長年水中にひそんだ龍もついに小さな池を捨て、湧き来たった雲型のうちに波の立つ丸もよう、昇り龍下り龍の丸、蝶の丸、花の丸、鳳凰の丸、おどり桐、くるい獅子、二葉葵、源氏車、槌車(つちぐるま)、ぼたん唐草、菊がら草、吉野龍田のもみじに花に、あれもうつくしく、これもうつくしく、お蝶もうつくしく、辰雄もうつくしく、中にもこのおれの筆あとのうつくしさ。これを捨ててどこにゆこう。天下万人みな、見る目もなく、見せるべきひともなく、見せる甲斐もない。おれの友はおまえ、おまえの友はおれだ。さあ、いっしょに行こうと、一対の花瓶を抱き上げて、庭石の上に投げ出せば、戞然とくだける響きに、籟三の大笑の声がかさなり、夜半の鐘の声も遠のいていって、残るは金彩陶器の片々と、一輪の月ばかりなのでした。
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