一葉「うもれ木」20

 きょうから第8回です。

第八回

百花に魁(さき)がけて咲くや窓の梅、来鳴(きな)け鶯(うぐひす)わが宿は、春風ぞ吹く品物の落成。四窯(よかま)八度(やた)びの窯(かま)(1)の心配、薪(まき)の増減烟(けぶ)りの多少、火色(ひいろ)に胸をもやし微響(びきやう)(2)にも気をいためて、璺(ひび)や入(いり)たる、流れやしけん、金色(きんしよく)の不明(ふめい)絵の具の変色(3)、苦を嘗(な)めつくせし此処(ここ)幾月。思ふこと思ふに叶(かな)ひて、新藁(しんわら)みがき(4)に磨(みが)き出(いだ)せし光沢、耀(かがや)く光りは我が光り。花瓶(くわびん)の上部見切(みき)り(5)の中(うち)、正面は龍(りう)に立つ浪(なみ)の丸模様(6)、廻(め)ぐりに飛ばす菊桐(きくきり)(7)の、あしらひは古代唐草にして、見切りの境界(けいかい)雲形(くもがた)の(8)、上下(じやうげ)に描(ゑが)くや東大寺模様、此処(ここ)さや形(がた)(9)七宝(しつぱう)(10)の地(ぢ)つぶしに、(11)菊の丸(12)ありふれたれど、丹誠(たんせい)の筆いやしくもせず。上部終つて劃(わく)どりの内の画は、表面対(つゐ)の金銀閣寺、裏面向(む)かひ合はす湊川(みなとがは)稲村崎(いなむらがさき)(13)、誠意誠心みちみちて、粧(よそほ)ひなす彩色凡筆(ぼんぴつ)ならず。劃(わく)の廻ぐりは古薩摩(こさつま)(14)風の秋の七草、金模様の蝶のちらし書き、この地(ぢ)つぶしの雲ぼかし形(がた)金なし地、先人未発の工夫をこらして、刻苦の跡いちじるく、台の書きつぶし淵腰(ふちこし)のわり模様。「微ならず細ならずと誚(そし)らばそしれ、眼を持つものは来ても見よ。一打棒(ひとうちぼう)にも美はこもる。我れ籟三不器用の技倆(ぎりやう)、この品物に止(とど)めぬ」と誇りて、晩酌(ばんしやく)一杯(ぱい)酒気さへ添へば心いよいよ面(おも)しろく、篠原に風聴(ふいちやう)がてら、お蝶まねかれし日の礼も言はんと、立出づる門口に、
「兄様(あにさま)しばし」
と袖(そで)ひかへる妹(いもと)、言はんとして言はんとして躊(たゆ)たふを、
「何(なん)ぞ用か」
と小戻(こもど)りすれば、
「何(なん)でなけれど夜風お寒むし。(15)引(ひき)て給はるな」
の心づけ嬉(うれ)しく、
「それほど遅(おそ)くはならぬつもり。なれども酔(ゑひ)ざめは油断がならず、羽織(はおり)今一つ着て行かん」
と、立帰つて着重ぬる椽(えん)の先(16)、襟(えり)に手を添へて折りながら、
「兄様(あにさま)、大層(たいそう)お髭(ひげ)が生(は)へたり。新年といふに見苦るしや」
と、横顔つくづく眺(なが)められて、


(1)ひとつの花瓶ができるのに四窯、よって一対なら八窯。『筆すさび 一』に「釜の下焼ともすべて四かま、但し一本一釜の割ゆゑ八かま也」とある。
(2)かすかな響きや振動。
(3)窯のなかの温度によって金色が濁ったり絵の具が変色したり、微妙に変化する。
(4)窯から取り出した陶器の表面を刈ったばかりの新藁で磨き、光沢を出す。
(5)「筆すさび一」に「花瓶の中ほど善き処へ二本の筋を引く、是を見切といふ」とある。
(6)とぐろを巻く力強い龍と荒々しい波を組み合わせた丸い形の模様。
(7)菊と桐の模様。
(8)「筆すさび一」に「上下は雲形を以(もつて)境界となし、其中には東大寺を模様を以て色々にあやなし、基地つぶしはさや形七宝の類を以てしめる」とある。
(9)紗綾形。卍(まんじ)、稲妻、菱垣などの模様をくずし、連ねた形。
(10)紡錘形をつなぎ合わせたかたち。
(11)ここでは花瓶の首と肩の境の帯状の部分のことをいっている。
(12)丸いかたちに構成した菊のもよう。
(13)「湊川」は、楠木正成と足利尊氏が戦った古戦場。「稲村崎」は新田義貞が干潮を利用して鎌倉に攻め入ったという地。
(14)初期の薩摩焼。江戸初期、朝鮮半島からの渡来人により、鹿児島の帖佐などの窯で焼かれた。
(15)風邪のこと。
(16)縁側。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』井辻朱美訳「うもれ木」から

窓の外には、百花にさきがけて梅の花が咲き、ことしは鶯もやってきてさえずるにふさわしい我か家、春風のおとずれとともに、ついに作品が完成しました。四つの窯に出し入れするときのつごう八度の心配、薪の増減、煙の多少、火の色に不安をつのらせ、かすかな振動にも心をいためて、ひびが入ってはいないか、絵が流れてはいないか、金色が濁りはすまいか、絵の具が変色しはすまいかなど、種々の苦労をなめつくしたここ何ヶ月かでした。思いが思い通りにかない、出来上がった作品を新藁(しんわら)磨きにかけて、磨き出したその光沢、輝く光はわが身の光とも思われます。花甁の上部の見切りの二本の線の間には、正面には丸形の中に龍と荒波をあしらい、そのまわりには菊と桐をとばし、それに古代唐草もようをとりあわせ、見切りの上と下には、雲形もようを境界線として、中に東大寺もよう、そのまわりの地をさや形七宝でつぶして、帯の菊丸もようはありふれていますが、なおざりにせず丹念に描きます。上が終わって、わくどりの内側には、表がわは対の金閣寺銀閣寺、裏がわには向かいあうように湊川、稲村が崎、誠心誠意をこめて、彩りをつける筆は凡庸なものではありません。わくのまわりには古薩摩ふうの秋の 七草、金もようの蝶のちらし描き、地つぶしには雲ぼかし型に金梨子地を出したものと、未曾有のくふうをこらし、刻苦のあともいちじるしく、台の部分の描きつぶし、縁描きの割りもようも、「細かさが足りぬとそしるなら、そしれ。目のあるものは来て見るがいい。一打棒(ひとうちぼう)にも美はこもる。この籟三、不器用なりに、もてる かぎりの技量はこの作品に結実させたぞ」と誇らしく、晩酌一杯、酒気さえ加われば、心はいよいよたのしく、篠原にこのことを吹聴がてら、お蝶がまねかれた日の礼でも言おう、と家を出ようとしますと、「兄さま、ちょっとお待ちを」と妹が袖をひきます。言おう言おうとして、けっきょくためらうのを、「何か用か」ともどりかけますと、「何でもないけれど夜風も冷たいので、お風邪を召しますな」との言葉、心配りがうれしくて「それほど遅くなるつもりはない。だか、酔い覚めは油断がならないから、羽織をもう一枚着てゆこう」と、もどって縁先で重ね着をします。お蝶はその襟に手を添えて折りながら、「兄さま、たいそうお髯がのびております。新年というのに見苦しいこと」と横顔をつくづくながめますので、

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