一葉「うもれ木」17
きょうから第7回に入ります。
第七回
送る歳(とし)くる年(とし)珍らしからねど、心改たまれば一段の光り、のぼる初日(はつひ)の影にそひて、汲(くみ)あぐる若水(わかみづ)(1)の車井(くるまゐ)に、廻(め)ぐる世の中おもしろく、屠蘇(とそ)の盃(さかづき)まづ歳(とし)したよりと、さすも可笑(をか)しや一家(いつけ)二人(ふたり)の活計(くらし)に、内裏(だいり)儀式(2)のむかしを学びて、三つ組(ぐみ)の重(ぢう)(3)ふるきを捨てず、新らしき物(4)は二間(けん)四枚(しまい)の椽(えん)がはの障子、切り張りの斑(まだ)らならず、これ例年に替りたる処(ところ)、篠原が庇護(かげ)なりとて、元旦早々噂(うはさ)は出でぬ。
(1)元旦に初めてくむ水。1年の邪気を除くとされ、年神への供え物や家族の食べ物をこの水で調える。
(2)宮中での儀式。
(3)三つ重ねた重箱とみられる。
(4)ふるきを温(たず)ねて新しきを知る。温故知新。
籟三片意地(かたいぢ)の質、人に受くる恵み快からねど、溺(おぽ)るる芸に我れと負けて、二十金(きん)の生地(きぢ)二拾(じふ)匁(もんめ)の金箔(きんぱく)、比処(ここ)四五月(つき)の費用幾度(いくど)の窯代(かまだい)、積もりし恩の深きが上、猶(なほ)心づけの数数もうるさく、その都度に断わるを、新年着(しんねんぎ)の料にとて、送られし去年(こぞ)の反物、迷惑さ限りなく、やりつ返ヘしつの止々(とど)の果(5)、「さらば妹いもとに頂戴させん。我れは男のよき衣類(きもの)きて嬉(うれ)しからず」と、兄弟ぶりの一反を返へして、残こす一反に人の情(なさけ)無(む)にせじと、お蝶の晴衣(はれぎ)に仕立させて、今日の姿つくろひしを見れば、今歳(ことし)十八の出花(でばな)の色(6)、玉露(7)の香り馥郁(ふくいく)として、一段の見栄(みば)え流石(さすが)に嬉しく、この服装(なり)平常着(ふだんぎ)にさせたく思へり。
(5)とどのつまり。ボラは成長するとともに名称が変わり、最後にトドという名になるところから、いきつくところの意。
(6)「鬼も十八番茶(ばんちゃ)も出花」。鬼でも年ごろになれば少しは美しく見え、番茶もいれたばかりは香りがある、という意。
(7)日覆いをして育てた茶樹の若葉を原料とする、煎茶の優良品。
人は廻礼に忙がしき日も、世捨て人のその苦なく、今日一日(にち)はと仕事休みして、横に転(ま)ろぶ肘枕(ひぢまくら)。御慶(ぎよけい)(8)の声に夢やぶれて、珍らしや誰れと問へば、平常(つね)は疎(う)とき問屋(とんや)の何某(なにがし)、末広(9)に祝詞(しうし)を籠(こ)めて、長々と去年(こぞ)の不沙汰(ぶさた)の詫(わび)、これよりの懇信、一向(ひたすら)たのみて行きしこと、お蝶その通り取次げば、「はてさて、利欲にくらみし眼は、何処(どこ)まで闇(く)らきか方図のなき物。その詞(ことば)我れへではなし、ご本尊は彼方(かしこ)に」とて、指さすは座敷の花瓶(くわびん)、これ高くなりし評判に、出来上がらぬ内より我れ買ひ取らん、いや是非とも私(わたく)しにとせり合ひの申込(まうしこみ)、一々に跳(は)ねつけて、今歳(ことし)コロンブス博覧会(10)に出品の計画、諸事は辰雄の周旋に、優然(いうぜん)(11)構へる小気味よさ、籟三いよいよ大言(だいげん)を吐きけり。
(8)新年を祝うあいさつ。
(9)扇子の異称。
(10)シカゴ万国博覧会。明治26年の5月1日~10月30日、コロンブスのアメリカ発見400年を記念してシカゴで開かれた万国博覧会。入場者は、21,482,000人とされる。
(11)落ち着いてゆとりのあるようす。
七
送る年も来る年もめずらしいものではありませんけれども、心の持ちようが変われば、日の光もいっそうまぶしく、のぼる初日にくわえて、若水をくみあげる車井のように、めぐる世の中もおもしろく、お屠蘇(とそ)はまず年下のおまえから、と妹に杯をさすのもおかしいような、たったふたりの暮らしです。むかしの宮中の儀式をしのび、捨てずにとっておいた三段重ねの重箱の古さにひきかえ、縁側の四枚の障子は、例年のようにまだらに切り貼りをしたのではない、新しいものとなり、これもみな篠原のおかげであると、元旦早々ふたりで噂をしました。籟三は鼻柱が強く、人の恵みを受けるのを潔しとしないたちながら、いまは仕事に熱中するあまりに、その我(が)も折れて、二十円もする生地の陶器に、二十匁の金箔、ここ四、五ヶ月にかかった費用、幾度もの窯代と、たびかさなる恩をこうむった上に、しきりと心づけも送られてくるのを、そのつど断っていました。が、新年の着物にと去年送られた反物は、迷惑しごくに思い、返してはまた送られということをくりかえしたあげく、ついには「では妹の分はちょうだいしよう。自分は男だから、よい着物を着てもさほどうれしくないか ら」と兄妹そろいで見つくろってあるその着物の一反分を返し、残った一反を、ひとの情けを無にすまいとお蝶の晴れ着に仕立てさせて、きよう元旦、その装った姿を見ますと、ことし十八歳、番茶も出花のとしごろに、まして玉露のように馥郁と匂いやかなお蝶とあってみれば、晴れ着がさらにうつくしさをひきたて、籟三は、このなりを普段着にさせてやりたいもの、とも思うのでした。世間は年始回りに忙しい日ですが、世捨て人の籟三にはその苦労はな く、今日一日は仕事も休みに、と肘枕をついて横になります。年始の挨拶の声がきこえて、目をさまし、「めずらしいことだ、だれか」とたすねますと、ふだんはろくに足も向けてくれぬ問屋のなにがしが、ねんごろに祝いの言葉をのべ、ながながと去年の無沙汰をわびて、これからは昵懇にお願いしますと、ひたすらに頼んでいったようす、お蝶かその通りにとりつぎますと、籟二は「はてさて、利欲にくらんだ目は、どこまで暗くなるものか。問屋の言葉は、おれへではなく、そこのご本尊にだろう」と指さすのは座敷の花瓶です。前評判が高くなったので、花瓶の出来上がらぬうちから、うちが買い取りたい、いえうちが、と問屋がせりあうように申しこんでくるのを、いちいちはねつけて、「これは今年、コロンプス博覧会に出品するつもりなのだ。なにごとも辰雄のはからいにまかせてある」と悠然とかまえておれば胸がすくようで、籟三はいよいよ大言を吐きます。
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