一葉「うもれ木」7
きょうは、第3回の続きです。
心凝(こ)つて(1)見る目には、映るものも映る物も皆その色、細づくりの格子戸(かうしど)まへに、米沢数寄屋(よねざはすきや)(2)の肌(はだ)つき美くしき人、黒繻子(くろじゆす)の帯(おび)腰つきすつきりとして、芙蓉(ふよう)の面(おもて)(3)に淡彩(4)の工合、楊柳(やうりう)の髪に根がけ(5)の好み、「さても美(び)かな、さても美かな。この美にすさむ心がけを我が陶画の上に移して、共に協力の友を得たし」と、茫然自失(ばうぜんじしつ)ながめ入れば、「あれ薄気味の悪るき人」と、逃(にげ)こまれて、我れながら、取りとめなき考へ馬鹿(ばか)らしく、振(ふり)むきもせず又五六歩(ぽ)、三歳(みつ)ばかりの男の子のちよろちよろと馳(は)せ出(いで)しが、袖(そで)なし浴衣(ゆかた)の模様は何、籬(まがき)(6)に菊の崩し形(がた)か、それよ今度の香炉にあの書き廻しも面白かるべし。注文は龍田川(たつたがは)(7)とか、何(なん)の我が腕(うで)で我が書くに、入(い)らぬ遠慮究窟(きうくつ)(8)くさし。先師(せんし)の言付(いひつけ)より外(ほか)は他人の意見いれたことなき籟三、「身貧(ひん)に迫つて意を曲ぐるなど嫌(い)やな事なり。さりながら我れ頑物の兄故(あにゆゑ)に、世の人並みのこともせず、米味噌醤油(こめみそしやうゆ)に追ひ遣(つか)はるゝお蝶、思へば兄風(あにかぜ)も吹かされねど、成(な)り行(ゆき)と諦(あき)らめてゐてくれる様子。それもそれなり、時運めぐらば何時(いつ)かは花も咲くものよ、衡門(かぶきもん)(9)に黒ぬり車(10)出入(しゆつにふ)させて、奥様と尊(あが)めらるゝやうになるも不思議はなし。鳴呼(あゝ)その衡門(かぶきもん)よりは、天晴(あつぱ)れの人物えらびて添はせたきもの」と、何(なに)がなしに案じてふツと仰げば、今も想像の衡門に、篠原辰雄(しのはらたつを)といかめしき表札。「さても立派の住居(すまゐ)かな。主人公はどんな人、身分はいかに。愛国の志しある人ならば、日本固有の美術の不振、我が画工疲弊(ひへい)の情(じやう)、説かば談合の膝(ひざ)にも」と、夢知らぬ人に望みを属す、狂気の沙汰(さた)に心もつかず、あれを思ひこれを思ひ、何時(いつ)とはなしに坂も登りぬ。
(1)錦手の絵柄を創るのに心を凝らして。
(2)米沢透綾(すきや)。山形県の米沢地方産の、透けて見えるような薄くさらりとした絹織物。「米沢」と「数寄屋」はどちらも花街として賑わった旧日本橋区の町名でもある。こうした地名の縁と絹織物名を掛けて「米沢数寄屋」としたのか。
(3)『長恨歌』に「太液(たいえき)の芙蓉未央(びおう)の柳、芙蓉は面の如く柳は眉の如し」(太液池の芙蓉、未央宮の柳。芙蓉は(楊貴妃の)顔のようで、柳は眉のようだ)。芙蓉と柳は対句になっている。
(4)うすく彩ること、つまり薄化粧。
(5)日本髪の髷(まげ)の根元に結ぶ飾り。
(6)竹や柴などで目をあらく編んだ垣。ここでは、それに菊が取り合せられた模様になっている。
(7)流水に紅葉(もみじ)の葉を散らした模様の名。『古今和歌集』(283)「龍田河紅葉乱れてながるめりわたらば錦中やたえなむ」(よみ人しらず)による。
(8)窮屈。
(9)冠木門。左右の門柱の上部に横木(冠木)を貫き渡した門。現在は屋根のないものをいうことが多い。
(10)車体を黒く塗ったお抱え人力車。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』井辻朱美訳「うもれ木」から
金襴手(きんらんで)の絵柄のことよりない目には、見えるものがみなその絵柄と映るのでした。細づくりの格子戸の前には、米沢の透綾(すきや)を着たなまめかしい女性が、黒繻子(くろじゆす)の帯をしめ、腰つきもほっそりとして、芙蓉のおもてに薄化粧、艶な黒髪に根かけの飾りの趣味もよくたたずんでいます。さてもうつくしいことだ、このうつくしくあろうとする女心を、おれの陶画の上に移してみたい、力を貸してはくれぬであろうか、と魂を宙に吸われつつ見つめますと、女性は「まあ、薄気味の悪いひと」と家の中に逃げこんでしまいましたので、とりとめもないかんがえがわれながらばからしくなり、ふりむきもせずまた数歩ゆきますと、三つばかりの男の子がよちよちと駆け出してきて、見ますと、浴衣の上にはおったちゃんちゃんこのもようはおお、まがきに菊の崩し型です。そうだ、こんどの香炉にあのもようを描きまわすのもおもしろいであろう。たしか龍田川もようとの注文であったな。いや、おれの腕でおれか描くのに、遠慮するのも窮屈だ。師匠の言いつけ以外は、ひとの意見をきいたことのないこの籟三が、貧乏ゆえに意志をまげるのもいやなこと。しかしそうは言っても、この片意地者の兄ゆえ、世間の娘なみのこともできず、家事に追いつかわれているお蝶。妹のことを思えば、えらそうに兄の権威をふりまわすこともできないが、お蝶もなりゆきとあきらめてくれているようでもある。それはそれとして、時節がくれば、妹にもいつかは花が咲くであろう。冠木門(かぶきもん)に黒ぬりの馬車を出入りさせ、奥様とあがめられるようになってもふしぎはない。ああ、その冠木門もよいが、それよりもりっぱな人物を夫にしてやりたいもの、となにがなしに妹の将来など案じてふっと目をあげれば、いまも想像していたとおりの冠木門には「篠原辰雄」といかめしい表札がかかっています。さてもみごとな屋敷である。主人はどのようなひとで、身分はいかに、愛国の志のあるひとなら、日本古来の美術の不振や画工たちの不遇の状况を説けば、ひょっとして親身になってくれるかもしれない。と、夢にも知らないひとに望みを託すような狂気じみた心持ちにもなって、あれを思い、これを思いしながら、いつとはなしに坂ものぼっておりました。
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