一葉「うもれ木」13
きょうは、第5回のつづきです。
その行ひその詞(ことば)、見るにつけ聞くにつけ、交(まじは)るにつけ睦(む)つむにつけ、籟三次第(しだい)に慕はしく尊(たつ)とく、口腐(くちくさ)れ(1)他人に扶助(ふじよ)は仰がじと定めし、我慢の角(つの)はこの人の前に折れて、鬱悶(うつもん)の心しのびがたく、我業(わがげふ)疲弊(ひへい)不振の物語より、
「斯道(しだう)挽回(ばんくわい)の志し一日の休む間(ま)なけれど、実(まこと)をいはば勢力なき身の聞き入れてくれてもなく、生中(なまなか)説くこと嗤笑(ものわら)ひになりて、はては後ろ指ささるること口惜(くちを)し。さりながらそれも道理(ことわり)、我れこの道に入(いり)たちて十六年、まだ一(ひ)と度(たび)の共進会(2)に名を掲げたることもなく、我れ自由の筆、貧ゆゑには縛(し)ばられねど、中々の直行にくまれて、問屋(とんや)うけよからねば、注文は廉価粗物(れんかそぶつ)の外(ほか)もなく、事(こと)心と合(がつ)せず、筆なにとして揮(ふる)はるべき。不満々々の塊(かた)まりは、何(なん)の世の中、あき盲目(めくら)ども、これ相応と投げ出しものにして、意匠もちひず鍛錬馬鹿(たんれんばか)らしく、品物の面(おもて)よごしてやれば、我が血涙を呑(の)みし粗物(3)も、彼(か)れ衣食の為(ため)にする粗物も、見る目に何(なん)の変りなく、口ほどもなき駄物師(だものし)(4)と嘲(あざ)けられて、我が名いよいよ地に落ちたり。季錬月鍛(きれんげつたん)(5)の筆、経営惨憺の意匠(6)、心にあつて物に描(ゑが)かず、我れ男子の身の精神一到(7)、猶(なほ)こと成(な)らぬ腑甲斐(ふがひ)なさ。世人明(めい)なきか我れもし惑へるか、誰れに寄つて語り合さん術(すべ)なく、冥々(めいめい)の内に(8)重ねし年幾年(いくねん)。君一(ひ)と度(た)びは斯道(しだう)の流れに立ちし人、汲(く)み知り給ふ事もあるべし。我が為(ため)の名案下(くだ)し給へ」
と、打明かす意中、辰雄しきりに歎じて止(や)まず、
(1)もし破ったら口が腐ってもよい。決心したことを決して破らないと誓うときに用いる。
(2)産業振興のため、産物や製品を集めて展覧し、その優劣を品評する会。明治初年代から各地で開催された。
(3)チャンスを与えられない籟三が無念の涙をのんで作った粗末な陶器。
(4)値打ちのない駄作しか作れない陶工。
(5)歳月や年季をかけて練り上げた。
(6)いろいろと苦心して心を悩ませながら工夫を凝らしたデザイン。
(7)「精神一到何事か成らざらん」(『朱子語類』から)。精神を集中して事に当たれば、どんなに難しいことでも成し遂げられないことはない。
(8)事情がはっきりせず、見通しの立たないままに。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』井辻朱美訳「うもれ木」から
籟三はかれの行い、かれの言葉を見るにつけ、聞くにつけ、交わるにつけ、睦みあうにつけ、しだいに心服し、尊敬の心はつのって、ロが腐っても他人に助けは求めるまいと張っていた我(が)も、このひとの前には折れて、煩悶の心をおさえきれずに、わが画業の思わしくないことから語り起こして、言うことには「この道をふたたび盛り返したいという志は、一日たりとも忘れはしないが、現実には、なんの力もないおれの言葉なぞ聞き入れてもらえるわけもなく、説いても物笑いになるばかり、後ろ指までさされるのがくやしいかぎりだ。おれはこの道に入って十六年、まだ一度も展覧会に出品したこともなく、自由の筆で、貧には縛られないつもりでいるが、なにしろ行動に遠慮がないものだから、問屋うけが悪く、注文も廉価な粗末な品物ばかり、これでは志にかなうわけもなく、筆のふるいようもない。憤懣やるかたなく、世の中は見る目のないやつらばかりだから、おまえらにはこれでたくさんだ、とばかりいいかげんに描きなぐって、さしたる工夫もせず、鍛錬も馬鹿らしく思えて、品物の面をよごす程度に絵をつけてやると、おれが血涙をのんで描いた品物も、俗物どもが生活のために描いた品物も、はた目にはなんの変わりもないので、ロほどにもないへたくそな画工と嘲られ、おれの名はますます落ちてしまった。日々、精進をきわめた筆、苦心惨憺してあみだした図柄も、心の中にのみあって、描くものがないという、男子たるものの一念が通らぬことのふがいなさ。世間に見る目がないのか、それともおれの不明なのか。このようなことを打ち明ける相手もなく、いつのまにか幾年もたってしまった。きみも一度は、この道に入ったひとだ。おれの思いも汲んでもらえるだろう。なにかよい知恵を貸してもらえないか」といつわりない心根をのぞかせたのでした。辰雄はしきりに嘆息し、
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