「塵中につ記」①

 日記は続きますが、きょうから「塵中につ記」としてつづったものに入ります。表書きの年月は「二十七年三月」、署名は「夏子」となっています。

おもひたつことあり。うたふらく。
  すきかへす人こそなけれ敷島(しきしま)の
   うたのあらす田(だ)あれにあれしを(1)
いでや、あれにあれしは敷島のうた計(ばかり)か、道徳すたれて人情かみの如くうすく、朝野の人士(じんし)、私利をこれ事として国是(こくぜ)の道を講ずるものなく、世はいかさまにならんとすらん。かひなき女子(をなご)の何事を思ひ立たりとも及ぶまじきをしれど、われは 一日の安きをむさぼりて、百世の憂(うれひ)を念とせざるものならず。かすか成といへども人の 一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生(ししやう)いとはず天地の法(のり)にしたがひて働かんとする時、大丈夫(ますらを)も愚人(ぐじん)も、男も女も、何のけぢめか有るべき。笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ。わが心はすでに天地とひとつに成ぬ。わがこころざしは国家の大本(おほもと)にあり。わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のゑじきに成らんを期(ご)す。われつとむるといへども賞をまたず、労するといへどもむくひを望まねば、前後せばまらず、左右ひろかるべし。いでさらば、分厘(ふんりん)のあらそひ(2)に此一身をつながるるべからず。去就(きよしう)は風の前の塵にひとし、 心をいたむる事かはと、此あきなひのみせをとぢんとす。
国子はものにたえしのぶのき気象(きしやう)とぼし。この分厘にいたくあきたる比(ころ)とて、前後の慮(おもんばかり)なく、「やめにせばや」とひたすらすすむ。母君も、「かく塵の中にうごめき居(を)らん(3)よりは、小さしといへども門構(もんがま)への家に入(い)り、やはらかき衣類(きもの)にてもかさねまほしき」が願ひなり。されば、わがもとのこころはしるやしらずや、両人(ふたり)ともにすすむる事せつ也。されども、年比(としごろ)うり尽し、かり尽しぬる後の事とて、此みせをとぢぬるのち、何方(どこ)より一銭の入金もあるまじきをおもへば、ここに思慮はめぐらさざるべからず。さらばとて、運動の方法(てだて)をさだむ。まづかぢ町(ちやう)なる遠銀(ゑんぎん)(4)に金子(きんす)五十円の調達を申しこむ。こは、父君存生(ぞんじやう)の比(ころ)より、つねに二、三百の金はかし置たる人なる上、しかも商法手びろく、おもてを売る人にさへあれば、「はじめてのこととて(5)、つれなくはよも」と、かかりし也。此金額多からずといへども、行先をあやぶむ人は、俄(にはか)にも決しかねて、「来月、花の成行(なりゆき)にて(6)」といふ。
二十六日 半井ぬしを訪(と)ふ。「これよりいよいよ小説の事ひろく成(な)してんのこころ構(がま)へあるに、此人の手あらば一(ひと)しほしかるべし(7)」と母君もの給へば也。年比(としごろ)のうき雲、唯家のうちだけにはれて(8)、此人のもとを表だちてとはるる様(やう)に成ぬる、うれしとも嬉し。まづふみを参らせて、在宅の有無を尋ねしに、「病気にて就褥(しうじよく)中なれど、いとはせ給はずは」と返事あり。此日空(そら)もようよろしからざりしかど、あづさ弓いる矢の如き心の、などしばしもとどまるべき。午後(ひるすぎ)より出づ。君はいたく青みやせて、みし面(おも)かげは何方(いづく)にか残るべき。別れぬるほどより一月(ひとつき)がほどもよき折なく、「なやみになやみて、かくは」といふ。哀(あは)れとも哀也。物がたりいとなやましげなるに、多くもなさでかへる。


(1)香川景樹の歌「しき島の歌のあらす田荒にけりあらすきかへせ歌の荒樔田(あらすだ)」(放っておかれた田が荒れるように、歌道はすっかり荒廃してしまった。新たに鋤き返すように歌の道を耕し直せ)によっていると見られる。
(2)わずかな利益を客と争う。商売のことをいっている。「分厘」は、ごくわずかな量、少し。「たけくらべ」に「分厘(ふんりん)の価値も無しと」とある。
(3)小学館全集の脚注によると、久佐賀義孝宛の書簡の中に「小溝の中に育ちて汚れのうちに死するうぢむし」という表現も見られる。
(4)鍛冶町の遠州屋石川銀次郎。かまぼこの製造販売業を営み、先代の宗助に一葉の父が金を貸していた。
(5)貸付け金の返済を受取ったことはあっても、樋口家側から借りるのは初めてだった。
(6)花見のときの売れ行きを見て。
(7)後に一葉を商業誌デビューさせることになる博文館の大橋乙羽に紹介したのも半井桃水だった。
(8)萩の舎の人たちには打ち明けられないことだが、桃水のところを訪ねることを家族だけはいちおう認めてくれた、という思い。


 朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




 《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から


心に思い立つことがあって、
 鋤き返す人こそなけれ敷島の歌のあらす田荒れに荒れしを
荒れてしまったのはこの和歌の道ばかりではない。道徳はすたれ、人情は紙のように薄くなり、政治家も一般の人も私利私欲ばかりを追求し、国家の発展を考える者もなく、 世の中はどうなるのでしょうか。力もない女が何を思い立ったところでどうにもならないことは分かってはいるが、私は今日一日だけの安楽にふけって百年後の憂えを考えない者ではない。たとえ僅かでも人間の心を持っている者が、生涯の情熱をそそいで、死をもいとわず、天地の法則に従って働こうとする時、賢人であろうと愚者であろうと、また男であろうと女であろうと何の区別があるでしょうか。この私を笑いたい者は笑い、謗りたい者は謗るがよい。私の心は既に天地自然と一体になっており、私の志は国家の大本にあるのです。力及ばす倒れ、私の屍は野に棄てられ痩犬の餌食となっても、それは望むところです。どんなに努力をし苦労をしたからといってその報酬を求めているのではないので、私の進む道は前後左右に広々としているのです。だから今のような僅かの利益を求めて争う商いの道にこの身を束縛しておくべきではないのです。その時その時の処世の術は風の前の塵のように変わるものです。何も心配することはないと考えて、この商売の店を閉じようと決心したのです。

邦子は辛抱する気性が乏しい。この一銭一厘の僅かの利益の商売にはすっかり飽きはてたといって、前後のこともよく考えずに店を閉じることばかりをしきりに勧める。母上もこんな塵の中の世界に埋もれているよりは、小さくとも門構えの家に住み、柔らかな衣服を身につけて生活したいのが願いでしょう。だから、私の本心を知っているのか知らないのか、二人とも熱心に店を閉じようという。しかしここ数年来家の衣類家財は殆ど売り尽くし、お金も借り尽くしてしまった後のことなので、店を閉じた後は一銭の収入もないことを思うと、ここは十分考えねばならない。そこで皆でその対策の方法を考える。まず鍛冶町の遠州屋石川銀次郎氏に金五 十円の調達を申し込む。これは父上の存命中の頃からいつも二、三百円のお金は貸しておいた人であり、商売も手広く、また顔役の人でもあり、これまでは貸金を取り立に行ったことはあっても、こちらから借金を申し込むのは初めてのことなので、すげない返事はまさかあるまいと思って申し込んだのです。この金額はそれ程多くはないといっても、先のことを心配する人としては急にも決定しかねて、来月花の頃の商売の成りゆきを見た上で決めようということになった。

(三月)二十六日。半井桃水先生をお訪ねする。これからはますます小説のことに手広く取り組んで行こうとの心構えも決まったし、また、
「この人の助けがあれば、一段と好都合になるだろう」
と母上も言って下さったからです。母上のこの言葉で、ここ数年来心にかかっていた浮雲が、たとえ家族の中だけであってもすっきりと晴れて、表だってお訪ね出来るようになったことは、何とも言いようがないほど嬉しい。まずお手紙をさしあげてご在宅の有無をお尋ねすると、
「病気で寝ているが、それでよろしければおいでをお待ちしています」
とのご返事があったのです。
この日は空模様もよくなかったが、射る矢のように飛んで行きたい気持ちは、もうじっとしておれなかったのです。午後からでかける。桃水先生はひどく顔色も悪く痩せて、 以前の面影はどこにも残 っていませんでした。
「あなたとお別れしてからというものは、ひと月とても元気な時はなく、病気に苦しめられてこんな状態です」
とおっしゃる。本当にお気の毒に可哀相に思ったのでした。お話なさるのもひどくお苦しそうなので、多くもお話しないで帰る。

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