「塵之中日記」②
明治27年3月の表書きのある「塵之中日記」のつづき。3月19日までです。
つとめは行なひ也、行(おこなひ)は徳也。徳つもりてはじめて人の感おこる。此感一代をつつみ、百世に渡り、風雨霜雪(さうせつ)やぶるによしなく、一言一世(いつせ)に功あり、一語人に益あり、こんこんたる流れは、濁(にごり)を清(きよき)にかへして、人世(じんせい)是非の標準さだまらんとす。我(わが)一身の欲をすて、たのしみを捨(すて)、しかして後にわがおもふままの世を得んとす。「花をも実をも、はじめより得んとしてはいかでか得ん」(1)とかき置(おき)し人も有(ある)をや。机上(きじやう)の論はもと虚(きよ)にあらず。虚にあらずと雖(いへども)、行ひ熟さざれば実(じつ)といふを得ず。論者(ろんしや)はおこなはず、おこなふものはいはず。いはずといへども、おこなひのあとはかくれやはする。是れを百世(ひやくせい)に残すといへども、畢竟(ひつきやう)は虚也、無なり。天地の誠は虚無のほかにある べからずといへども、人世(じんせい)の誠は道徳仁義のほかにあらず。これをたつとんでかれをすつるは愚(おろか)也、かれを取りてこれに背(そむく)もいまだし。虚は空にして実は存す。無はうらにして、有は表也。四時(しいじ)の順環(じゆんくわん)(2)、日月(じつげつ)の出入(でいり)、うきよはひとりゆかず、天地はひとり存(そん)せず。地に花あり、天に月あり。香(か)は空にして、色は目にうつる。あれも少(せう)とし難く、これも大とはいひ難し。されば、人世(じんせい)に事を行はんもの、かぎりなき空(くう)をつつんで、限りある実(じつ)をつとめざるべからず。一時の勇はいまだ勇といふべからず。一人の敵(かたき)とさしちがへたらんは、一軍(ひといくさ)にいか計(ばかり)のこうかはあらん。一を以(もつ)て十にあたる、いまだし。万人(ばんにん)の敵(かたき)にあたるは、 かの孫呉(そんご)(3)の兵法(ひやうはふ)にあらずや。奇正(きせい)(4)此内にあり。変化運用の妙、天地をつつんでしかも天地ののりをはなれず。これをしるものは偉大の人傑(じんけつ)となり、これをうしなふものは名もなき狂者(きちがひ)となる。さるからに、法(のり)は奇にして濁(にごり)にあらず。 清流一貫、古来今(いにしへよりいま)にいたる。 おもへば聖者は、行(ゆく)みづのながれのとどこほる所なからんぞうら山しき。
魚だにもすまぬかき根のいささ川
くむにもたらぬところ成けり (5)
十四日 おくら、 丸茂(まるも)医学士(6)のもとにゆく。幸作(かうさく)(7)が件につきて也。
十五日 雨。丸茂の事件、こと故なくととのひぬれば、 おくら帰国の途(と)につく。
十六日 はれ。吉原神社祭典。にはか(8)出来(いでく)る。此夜、母君とゆく。
十七日 はれ。広瀬伊三郎来る。お倉が事情(わけ)をきく。
十八日 はれ。久保木姉君ならびに秀太郎来訪。平日君よりはがき来る。「本月の『文学界』寄稿、可成(なるべく)沢山に得まほしき」よし。「二十一日頃までに」といふ。孤蝶子の伝言(ことづて)ならびに、その身も学校のいそがしさ片づき次第とはん、などあり。
十九日 はれ。木村ちよ殿(9)来る。酒肴を出す。当人の頼(たのみ)に寄(よリ)てなり。おなじくたのまれて、小堀何某(なにがし)、長堀何がしにはがき出す。
(1)松平定信の『花月草紙』によっている。
(2)四季がめぐり変わること。「四時」は、春、夏、秋、冬四つの季節の総称で、「順環」は循環。
(3)中国・春秋時代の兵法家である孫武と呉起。
(4)奇抜な手法と正当な方法。特に兵法では、奇襲と正面攻撃をいう。
(5)小学館全集の脚注には「退廃した環境の中で過した零細な生活をふりかえって、強い軽蔑を述べている。塵中生活に対する決別の意思を秘めている」とある。
(6)丸茂文良。日本初の放射線医学者で、一葉の最後の診療をした医師として知られる。1862年山梨県の生まれ。明治26(1893)年、上野桜木町に丸茂病院を開業した。くらは同郷の縁で相談に赴いたようだ。
(7)くらの兄とみられる。
(8)仁和賀。素人が街頭などで演じたこっけいな即興劇。例年は8月に行われるが、この年は繰り上げて3月15日から3日間行われたという。
(9)引手茶屋「伊勢久」のお千代とみられる。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
務めとは行いであり、行いは徳です。徳が積もって人に感動を与え、この感動が一生を貫き、 さらには百代にわたり、風雨霜雪も打ち砕くことも出来ず、その一語一句が世のため人のためになるものです。それが滾々(こんこん)として流れ広まり、濁を清に変え、人生の価値判断の基準となるのです。自分一身の欲を捨て楽しみを捨てて初めて自分の思うままの人生を生きて行けるのです。花も実も初めから得ようとすると、とても得られるものではないと書き残した人もあるのです。机上の理論ももちろん虚ではな い。しかしそれが実行にまで熟さなければ実とは言えない。理論家には実行が伴わず、実行家には言葉がない。言葉が無 いとはいっても行いの結果ははっきりと現れているのです。
しかし、その行いを百代の後に残しても、結局は虚であり、無なのです。天地の誠はこの虚無意外にはないのですが、人生の誠は道徳仁義であって、それ以外にはないのです、こちらを尊んであちらを棄てるのは愚かであり、あちらを取ってこちらに背くのもよいとはいえない。虚は空であり、実は実存です。無は裏であり有は表です。季節の巡りや日月の出入りを見てもわかるように、人生も天地も、それだけが勝手に動いているのではない。地には花があり天には月がある。花の香りは空に流れ、月の色は目に映る。そこには大小の差はない。だから人生で何かを行おうとする者は無限の空を内に抱いて、有限の実を行うのです。一時の勇気にはやるのは決して本当の勇気とはいえない。一人で一人の敵を打ち殺したといっても全軍にどれほどの効果があるといえるのでしょうか。一人で十人の敵を打っても十分とはいえない。一人で万人の敵に当たるのがあの孫子呉子の兵法です。奇も正もその兵法の中にあるのです。その変化運用の妙味は天地を包んでしかも天地の法則からはなれていない。これを知ることの出来る者は偉大な傑人となり、知ることの出来ない者は名もない狂人となる。だから法は奇であって濁ではない。清流は昔から今に至るまで一貫して流れている。思えば聖者の行いが水の流れのようにとどこおるところがないのは、まことに羨ましい限りです。一首の歌に托してみました。
魚だにもすまぬ垣根のいささ川汲むにもたらぬところなりけり
こん な所にも大自然があるのです。
(三月)十四日。 おくらは兄幸作の病気のことで入院の相談に丸茂医学士のところに行く。
十五日。 雨。 丸茂医師との入院の相談もまとまったので、おくらは山梨に帰る。
十六日。晴。吉原神社祭典。仁和加狂言が催される。夜、母上と見に行く。
十七日。晴。広瀬伊三郎が来る。おくらのことについて色々と話を聞く。
十八日。晴。 久保木の姉と秀太郎が来る。平田氏からはがきが来る。今月の 「文学界」 に寄稿のこと、なるべく沢山、しかも二十一日頃までにという。馬場孤蝶氏からの伝言、また自分も学校の忙しさが片付き次第訪ねるとある。
十九日。晴。伊勢久のお千代さんが見える。本人の希望もあってお酒を出す。また頼まれて小堀某、長堀某にはがきをだす。
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