一葉「うもれ木」2

 「うもれ木」のつづき。きょうは、第1回の後半です。


さればこそ売国の奸商(かんしやう)どもに左右されて、又も直下(ねさげ)又も直下げと、さらでもの痩(やせ)腕(うで)ねぢられながら、無明(むみやう)の夢まだ覚めもせず、これでは合はぬの割仕事(わりしごと)(1)に、時間を厭(いと)ひ費用(いりめ)を減じて、十を以(もつ)て一に更(か)ふる粗画濫筆(そぐわらんぴつ)、まだ昨日(きのふ)今日(けふ)絵の具台に据(すわ)りて、稽古(けいこ)は居(ゐ)ねぶりの白雲頭(しらくもあたま)(2)を、張りこかして手伝はする淵(ふち)がき腰がき(3)の模様、霞(かすみ)砂子(すなご)みだれ砂子(4)の乱れ書きに、美といふ字は拭(ぬぐ)ひさる絵のぐ雑巾の汚(よご)れ同様、さりとは雪(そゝ)がれぬ恥ならずや。この儘(まゝ)ならば今十年と指をらぬ間(ま)に、今戸(いまど)焼(やき)(5)の隣に座をしめて、荒(あら)もの屋(や)の店先に、砂まみれにならんも知れた物でなし。これほどのこと気のつかぬ、痴漢(うつけ)ばかりある筈(はず)なけれど、時の勢ひは出水(でみづ)の堤、切れかけたも同じこと、我等ふせぎはとんと不得手(ふえて)、先(まづ)は高見で見物が当世ぞと、頬杖(つらづゑ)つきて宙腰(ちうごし)の、ふらふらとせし了簡(れうけん)には、自己々々(おのれおのれ)が不熱心を、地震雷鳴(かみなり)おなじ並みに心得て、天だ天だと途方途轍(とてつ)もなき八つ当り、的になる天道さま気の毒なり。

(1)割に合わない仕事。
(2)しらくも(頭の毛のはえる部分にできる、えんどう豆大の白色、灰白色で円形の伝染性発疹)のできている頭。小僧や丁稚などを、ののしっていう場合にも用いられる。
(3)「淵」は縁、「腰」は下の部分。
(4)金銀箔の粉で、霞のたなびく形やばらばらに乱れた形に吹きつけた模様。
(5)台東区の今戸で産した焼き物。天正年間に始まるとされ、素焼きを主とし、日用雑器や瓦、人形などの玩具も作った。

然(さ)りながらそれも道理(ことわり)、身は蜻蜓洲(せいていしう)(6)幾十万の頭(かしら)かずに加はりて、竈(かまど)の烟(けぶり)(7)の立居(たちゐ)にまで、かしこき大御心(おほみこころ)なやませ奉る、辱(かたじけ)なき心得もせず、大日本帝国(だいにほんていこく)(8)の名誉といふ事、摩(も)みくちやにして掃(はき)だめの隅に、投げ出す様(やう)な罰(ばち)しらずが、其処等(そこら)あたりに珍らしからぬ世の中、憤るほど管(くだ)なる(9)べし。「さりとも我れは我が観念あり。握り初(そ)めたる筆の因果、よし狂(きやう)といはば言へ、愚(ぐ)と笑はば笑へ、千万(せんまん)の黄金(こがね)つんで来るとも換へぬ心を腕にみがきて、軽薄浮佻(けいはくふてう)を才子と呼ぶ明治の代(よ)に、愚直の価(あたひ)どれほどのもの、熱心の結果はいかに、斯道(しだう)の真(しん)は那辺(いづく)にあるか、よし人目には何(なに)とも見よ、我が心満足するほどの物つくり出(いだ)して、我れ入江(いりえ)籟三(らいざう)変物(へんぷつ)の名を、陶器歴史に残さんずもの、口惜(くちを)しや赤貧の身の、空(むな)しく志しを抱(いだ)ひて幾年間(いくねんかん)、このままならば胸中の奇計、何(なん)に向つて何時(いつ)描(ゑが)くべき。恨みはこれぞ、これ骨までの恨みぞ」と、取りしむる右の腕手(かひなたな)首(くび)ぶるぶると顫(ふる)へて、煮えよ腸(はらわた)、熱涙のみ込みつつ悲憤の声は現はさねど、誰れいふとなく慷(かう)慨(がい)先生(せんせい)と仇名して、酒席の噂(うはさ)はづれぬ代り、柴(しば)の戸(10)扣(たた)くもの稀々(まれまれ)なれば、友なく弟子なく女房なく、お蝶(てふ)とよぶ妹(いもと)相手にして、此処(ここ)高輪(たかなは)の如来寺(によらいじ)(11)前(まへ)に、夕顔垣(かき)にからみ、蚊やり火軒(のき)にけぶる佗住居(わびずまゐ)、渋団扇(しぶうちは)(12)に縁のある暮しをなしけり。

(6)あきつしま。日本の国の古称。記紀によれば、孝安天皇は「葛城の室の秋津島宮」で天下を治めたと伝承される。
(7)「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」(『新古今集』)。仁徳天皇が高殿に昇られ、人家から立ち上る炊事の煙が少ないことに気づいて諸税を停止し、困窮する庶民を救済したという逸話によっている。
(8)明治憲法時代の日本の国号。
(9)くだくだしい。くどい。煩わしい。
(10)柴を編んでつくった戸。転じて、粗末なすみかのこと。
(11)現在品川区西大井にある養玉院如来寺は、明治41年に移転するまで高輪にあった。
(12)渋柿から搾り取った柿渋をおもてに塗った、赤黒色の粗末なうちわ。貧乏神が持つとされた。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』井辻朱美訳「うもれ木」から


そんなていたらくだからこそ、売国の奸商たちによいように牛耳られ、安く安くと買いたたかれて、やせ腕をねじられるようなぐあいなのに、まだ愚かな夢から覚めもせず、とてものことに採算の合わぬ仕事なので、時間を惜しみ、費用をかけまいと、一枚描くところに、十枚描くような粗製濫造ぶり、やっときのう絵の具台の前にすわったばかりで、稽古といっても居眠りばかりしている、しらくも頭の小僧の頭をはたいて起こし、縁のもようや腰のもよう、また霞砂子やみだれ砂子のもよう描きをてつだわせるありさま。これでは美という字も、絵の具雑巾の汚れと同じで、恥もすすがれず、このままでゆけば、薩摩陶器も、十年もせぬうちに、今戸焼とならんで荒物屋に砂まみれになるかもしれません。それほどのことに気がつかぬ愚か者ばかりでもありますまいに、時の勢いというものは、大水に堤防が切れそうなのと同じで、画工にはいかんともしがたいものと諦め顔で、まずは高見の見物をするのが当世のやりかただと、頬杖をついての傍観、腰も定まらず、ふらふらと浮いた心根でいれば、自分の怠慢ゆえの不遇をも、地震や雷とひとしなみに考え、天災だといわんばかりの八つ当たりと もなるのですから、当たられるお天道さまこそ気の毒なものといえましょう。 しかしながらそれも道理、この日の本の幾十万の頭かずのひとりでありながら、竈(かまど)の煙の行方にまで大御心をなやませたてまつる、かたじけない天皇陛下のお志をすこしも解せず、大日本帝国の名誉をもみくちゃにまるめて、掃きだめの隅に捨てるような罰あたりがうようよしている世の中ですから、いちいち憤るまでもないことかもしれません。「だがそれでも、おれにはおれのかんがえがあり、いったん絵の道に進んだからは、狂人とも愚か者とも笑われてもよい、千万の黄金(こがね)をつまれても心をひるがえすつもりはなく、その堅い意志で腕をみがき、軽佻浮薄を才子と呼ぶ明治の時代に、愚直さにどれほどのことができるか、いちすな心になにができるか、この道の真価はどこにあるか、ひとがどう見ようとも、この自分に満足のゆく作品を作り出し、変人、入江籟三の名を陶器の歴史に残してみせたいものだ」と心ばかりははやっても、赤貧の身のくやしさ、むなしく志を抱いて幾年もたつのに、このまま時が過ぎてゆくのであれば、胸中にひめた幻の名作を、どんな素材に向かって、いつ描くことができるのか、そのことが恨めしい、骨にまでとおる恨みだと、握りしめた右手をぶるぶるふるわせ、腹の中は煮えくりかえるばかり、熱涙をごくりとのみくだして、さすがに悲憤の声はあげぬまでも、そんなありさまであれば、誰いうとなく、「慷慨(こうがい)先生」とあだ名され、酒席ではつねに取りざたされても、いぶせき家をおとずれる客人もまれとなり、友もなく弟子もなく、妻ももたず、お蝶という名の妹を相手に、ここ高輪の如来寺前に、タ顔が垣にからみ、蚊遣り火が軒さきにけむるわび住まいをかまえ、つましい暮らしをしておりました。

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