樋口一葉「日記 ちりの中」⑦

きょうは、明治27年3月9日から14日までです。 

九日  雨。今日は銀こんの大典(1)也。都市府県をしなべて、こころごころの祝意を表するに狂するが如しとか 聞しが、折あしき雨にて、さのみはにぎはしからぬやにきく。菊池の奥方、高齢をもて恩賜金(おんしきん)をたまはりたるよし。亡老君(なきらうくん)の五年祭をかねて、祝儀(しうぎ)あるべきよし沙汰ありければ、母君いはゐ物もちゆく。歌一首をそふ。
 めづらしき御いはゐにさへ逢(あひ)にあひて
  君かさぬらん千代も八千代も
よからねどかくなん。此タベ、樋口くら(2)来る。
十日 くら逗留。雨天。
十一日 おなじく雨天。山下直一(なほかず)君死去の報(しらせ)来る。すべて夢とのみ あきる。
十二日 母君、山下 君を弔(とぶら)ふ。 おくら、猪三郎(3)のもとにゆく。禿木子(とくぼくし)及孤蝶君(こてふぎみ)来訪(4)。孤蝶君は故馬場辰猪(たつゐ)君(5)の令弟(おととぎみ)なるよし。二十(はたち)の上いくつならん。慷既悲歌(かうがいひか)(6)の士なるよし。語々癖(ごごへき)あり。「不平不平」のことばを聞く。うれしき人也。
十三日 晴れ。真砂丁(まさごちやう)に久佐賀を訪(と)ふ。日没帰宅。おくらいまだ帰らず。
十四日 田中君を訪ふ。かずよみせんとて也。タベはがきを出したれど、行(ゆき)ちがひてかれよりも文(ふみ)を出したるよし。「今日は小石川師君と共に鍋島家(なべしまけ)(7)に参賀の事あり」とて、支度中(したくちゆう)也。例之(れいの)龍子ぬしが一条、いよいよ、二十五日発会(ほつくわい)と発表に成ぬ。 されば右披露(みぎひろう)をかねて、鍋島家の恩顧(おんこ)をあほがん為、今日の結構はある也けり。田中ぬし出でさられし後(のち)、一人残りて暫時(しばらく)かずよみす。題は三十題成し。醜聞紛々(しうぶんふんぶん)。田中君の内情みゆる。

(1)3月9日に催された大婚二十五年御祝典。明治天皇と昭憲皇太后の結婚25周年、すなわち銀婚式を祝った。
(2)父則義の弟、喜作の次女。長男の幸作を、上野桜木町の丸茂病院に入院させるために訪れたようだ。丸茂病院は、丸茂文良とその妻むねが経営していた外科と皮膚科の病院。
(3)小学館全集の脚注には「下谷区千束町二丁目二十五の広瀬伊三郎。くらとは義理の従姉弟の関係」とある。
(4)馬場 孤蝶(1869 - 1940)は、土佐の人で、本名は勝弥。明治22(1889)年、明治学院2年に入学し、島崎藤村、戸川秋骨と同級になった。卒業後、各地で中学の英語教師を勤め、その間の1893年1月創刊の『文学界』に秋から加わり、詩、小説、随筆を載せた。3月に一葉宅を訪れたころは、本郷区龍岡町に住んでいたという。
(5)孤蝶の兄。土佐出身で、慶応義塾に学び、1870年藩命で英国に留学、法学などを学んだ。帰国後、啓蒙運動で活躍。1881年自由党結成に参加、自由民権思想の啓蒙に努め、同時に法学教育に尽力した。明治19年に渡米し、アメリカ紙で日本の藩閥政府を批判するなどしたが、21年11月、肺結核と肺炎のためフィラデルフィアのペンシルヴァニア大学病院で死んだ。享年38歳。
(6)社会の乱れや自分の不運などを憤り、悲壮な詩を歌って嘆くこと。
(7)最後の佐賀藩主で、元老院議官、貴院議員などを勤めた鍋島直大の邸宅。夫人の栄子や令嬢たちが、中島歌子から和歌の手ほどきを受けた。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から


九日。雨。今日は天皇陛下ご結婚二十五年記念大典の日。全国各府県や都市でそれぞれに盛 大にお祝いするとか聞いていたが、折悪しくこの雨でそれほど賑やかではないとか。菊池の奥様が高齢のゆえをもって皇室から恩賜金を賜わったとのこと。御主人の故菊池隆吉氏の六年祭をかねてお祝いがあるとのことで、母上はお祝いの品を持って行かれる。私の歌もお添えする。
 珍しき御祝にさへ逢ひに逢ひて君かさぬらん千代も八千代も
あまり上手には詠めませんでした。夕方、樋口くらさんが見える。
十日。くらさん逗留する。 雨。
十一日。同じく雨。山下直一さん死去の報せが来る。すべて夢のようであきれるばかり。
十二日。母上は山下の家に弔問に行かれる。おくらさんは伊三郎の所に行く。「文学界」同人の平田禿木、馬場孤蝶両氏来訪。孤蝶氏は故馬場辰猪氏の令弟とのこと。年齢は二十の上いくつでしょうか。慷慨悲歌の熱血漢とのこと。話しぶりに癖があり、「不平、不平」と連発される。嬉しい感じのする人でした。

  春雨十首の数詠み歌の中から
   朝の春雨
 臥しながら聞きしはいつぞ朝市の立ち居苦しき春雨の空
   夜の春雨
 春雨の音を枕に聞く夜半ぞ昔の花の夢は見えける
   春雨に対して志を言ふ
 あづさ弓やよ春雨にもの言はむ恵むは露の草木ば
   田家の春雨
 立ち出でて見れば春雨かすむなりわが夫(せ)や帰る小田の中道
   閑居の春雨
 春雨のふる物語聞かせてん小窓までこよ庭の鶯

十三日。晴。真砂町に久佐賀を訪ねる。日が暮れて帰る。おくらはまだ帰ってこない。
十四日。田中みの子さんを訪ねる。歌の数詠みをしようと思ったからでした。昨夕はがきを出しておいたのですが、行き違いに彼女からも手紙を出したとか。今日は中島先生と一緒に鍋島侯爵家のお祝いに出席するとかいっ て、その支度中でした。例の三宅龍子さんの歌塾開設のことは、いよいよ二十五日が発会と発表された。そこでその披露をかねて、鍋島家のご恩顧を受けるために今日の事が 計画されたのでしょう。田中さんが出て行かれた後一人残ってお弟子さんたちに暫く歌の数詠みの指導をする。題は三十題でした。みの子さんについての醜聞をあれこれと聞く。みの子さんの生活の内情が見えるようでした。

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