樋口一葉「日記 ちりの中」⑤

きょうは、明治27年2月27日からです。

二月二十七日 田中君を牛込に訪(と)ふ。 新小川町を転じて、つくど前にうつりたるを知らざりしかば、尋ね侘(わび)にたり。柴又(しばまた)(1)に参詣(さんけい)して留守也。されども、切(せち)に逢はまほしきことあれば、此ままに帰らむもをしく、「さらば神田にかひ物して、又更にこん」とて出づ。 多丁(たちやう)に手遊(おもちや)類かひて、又ここにかへ る。田中君帰宅を待てかたる。伊東のぶ子(2)君も折ふし来訪。談(はなし)は中島の師が上なり。「品行(おこなひ)日々にみだれて、吝(けち)いよいよ甚敷(はなはだしく)、歌道に尽すここ ろは塵(ちり)ほども見えざるに、弟子のふえなんことをこれ求めて、我れ身しりぞきてより新来(しんらい)の弟子二十人にあまりぬ。よめる歌はと問へば、こぞの稽古納めに歌合(うたあはせ)したる十中の八、九は、手にはととのはず、語格みだれて歌といふべき風情(ふぜい)はなし。座に他の大人(うし)なかりしこそよけれ、なげかはしきおとろへ方」と聞ゆ。田中君などが詠草、「一月(ひとつき)にも十月(とつき)にも、満ぞくに直しなど与へられたる事なし」といふは、偽(いつはり)のみにもあらざるべし。かねて我が上にも知ることなれば、「かかるが中にこの有様を知りつくしたる龍子(たつこ)ぬしが、これに身を投じて家門を開かんとすと聞(きく)こそ、おぼろげのかんがヘにはあらざるべし。秋の紅葉(もみぢ)のさかりは今一時(いつとき)なる師が袖(そで)にすがりて、我世の春をむかへんとするの結構、此間(このあひだ)にかならずあるべし。鳥尾ぬしがことはもとより論ずるにたらず。師が甘(うま)き口に酔(ゑ)ひて、我が才学のほどをもおもはず、うきよに笑ひ草の種(たね)やまくらん。すべて、てんでんがたきの世」とかたる。「いでさらば、何事をも言はじ、おもはじ。我はもとよりうきよに捨て物の一身を、何のしわざにか歎くべき。田中ぬしはしからず。なまなかあらはし初(そめ)たる名を末弟(ばつてい)におされて、朝(あした)の霜の、此ままに消(きえ)なんはいかに口をしからずや。師に情(なさけ)なく、友に信(しん)なくとも、何か又そは厭(いと)ふにたらず。念(ねん)とする所は君が手腕(てなみ)のみ。うきよは三日(みつか)みぬ間の桜なれば(3)、君もむかしの君ならで、歌学大(おほい)にあがり給ひしか知らねど、我が知りたるままならば、此世はとまれ、天下後代(こうだい)に残してそしりなきほどの詠(えい)あるべしとも覚えず。いかで万障(ばんしやう)をなげうちて、歌道に心を尽し給はずや。我れもこれより君が為(ため)に、およぶ限りの相手にはなるべし。かずよみをもなし、各判(かくはん)をもなし、論議弁難もろ共(とも)にみがかでやは。我は今まで、小商人(こあきんど)の歌よむことをもなさざりしかど、君は常におこたりなくつとめ居たまひしに相違あるまじ。まが玉をみがくに他山の石を以(もつ)てす(4)とか。一人にてはいかでか」とすすむ。「君にそのこころおはしませば、我が喜びは上もなきぞ」と田中ぬし喜ぶ。此人もとより汚濁(にごり)の外(よそ)にたちてすみ渡りたるこころならぬはしれど、おもて清くしてうらにけがれをかくす龍子などのにくくいやしきに、よしけがれはけがれとして、多数(あまた)のすてたる此人に、せめては歌道にすすむ方(かた)だけをはげまさんとて也。右もにごれり、左もにごれり。師も、龍子も、此人も、何(いづ)れにごりのうちなるを、あれをすててこれをたすくるは、時のよはきを見るにしのびず、人はたのまぬ義をおこして、我れから苦悶に身をなやます我が浅はかさ、あはれむにたえたり。ものがたること多くして日も暮れぬ。車をもて送られぬ。


(1)
柴又帝釈天。現在の葛飾区柴又にある日蓮宗の寺院、経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)の通称。1629年、日忠が開山。本尊の帝釈天は日蓮の作と伝わる。近年では、映画「男はつらいよ」シリーズでは、渥美清演じる主人公・車寅次郎の実家が門前にある草団子屋という設定で、“寅さんのふるさと”としても知られる。
(2)「萩の舎」での一葉の同門、伊東夏子の母。
(3)世の中は三日見ぬ間の桜かな。桜の花がすぐに散ってしまうように、世の中の移り変わりの激しいことをたとえていう。江戸中期の俳人、大島蓼太の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」に基づく。蓼太は、いつの間にか桜が咲いていたことを詠んだが、「三日見ぬ間の」と誤伝されて、世の中を三日見ない間に散ってしまう桜にたとえる意となった。
(4)他山の石以て玉を攻(おさ)むべし。『詩経』(小雅・鶴鳴)から、よその山から出た質の悪い石でも、自分の玉を磨くのに役立てることができる意。ここでは、自分を「他山の石」(質の悪い石)にたとえて、謙遜(けんそん)を表現している。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から


二十七日。田中みの子さんを牛込に訪ねる。新小川町から牛込の筑土八幡前に移転されたのを知らなかったので探すのに苦労した。しかも柴又の帝釈天参詣に出かけて留守でした。 しかし是非逢いたいことがあるのでこのまま帰るのも残念で、神田で買物をしてまたもう一度来ようと思ってそこを出る。多町で玩具類を買って、ここへ戻ってくる。田中さんの帰宅を待って話す。伊東夏子さんの母親のぶ子さんも見える。話は塾の歌子先生のことに拡がる。先生の品行は日に日に乱れて行き、またますますけちになられ、和歌の道の為に尽くす心はすっかり見えなくなり、ただただ弟子がふえることばかりを願っておられる。私が身を引いてか ら新入門の弟子は二十名以上もいるという。
「お詠みなっているお歌はどんなでしょうか」
とお聞きすると、
「去年の十二月の稽古納めに歌合せをした時のお歌は殆どが助辞の使い方も不十分で、語法も乱れて、歌という風情は見られませんでした。他の先生方がお見えでなかったのが幸いでした。ほんとに歎かわしい衰え方です」
と語る。田中さんなどの詠草も一カ月たって も十カ月たっても満足に直してもらえなかったというのはまんざら嘘ばかりでもなさそうです。こんなことは私がまだいる時も経験して知っていることなので、
「こういう塾の事情をよくご存知の三宅龍子さんがこの中に入って行って歌塾を開こうとしていると聞くのは、決していい加減な考えではなかろうと思われるのです。秋の紅葉のような美しさの全盛の時期も、あとあまり長くは続くまいと思われる歌子先生に今のうちに取り入ってお いて、やがては先生に代って、我が世の春を迎えようとする思惑が、きっとあると見るべきでしょうね。鳥尾さんのことはもちろん論ずるまでもありません。先生の甘い言葉に酔わされて、自分の才能や学問のことも考えず、世間にもの笑いの種子を蒔くようなものです。お互いがそれぞれ敵同志の世の中ですよ」
と話す。私はもう何も言うまい。考えることもするまい。私はもともと捨ててしまった身でもあり、何がおこっても驚いたり歎いたりはしない。しかし田中さんはそういうわけにはいかない。ようやく出初めた名前を後輩の弟子に押しつぶされて、朝の霜のようにこのまま消えてしまうことにでもなれば、どんなにか口惜しいだろうと思ったので、
「たとえ先生に思いやりの心がなく、友に信義の誠がなくても、そんなことは気にしなくてもよいのです。一番大事なのはあなたの歌の実力だけです。『世の中は三日見ぬ間に桜かな』という諺もあるので、あなたも昔のままのあなたではなく歌の方も上達されたとは思いますが、 私の知っている昔のままでは、現代ばかりでなく後世にまで名を残して恥じないほどの歌を詠まれるとは思えません。だから万障を投げ捨てて歌の道に心を尽くして励みませんか。私も今後は出来る限りご相手になりましょう。数詠みもし、判者の役も引き受けて、批判したり、論難したりもして一緒に勉強しましょう。私は今日までは小商人として歌も詠んでいませんが、 あなたはずっと怠りなく努力してこられたに違いないと思います。『玉を磨くのに他山の石をもってする』 とも言います。 一人では出来ない事ですから、是非一緒に」
と勧めると、
「あなたにそのお心がおありなら、この上もない喜びです」
と田中さんも喜ばれる。
この田中みの子さんはもともと、汚れの外の澄んだ心の持主でないことは知っているが、 表面だけは美しく見せて裏に汚れを隠 して いる三宅龍子さんなどの憎く卑しいのに比べて、私はみの子さんを汚れは汚れとして認めた上で、多くの人から捨てられたこの人に、せめて歌の道に進むことだけは励ましてやりたいと思うのです。右も濁っている。左も濁っている。先生も、龍子も、この人も、すべて同じように濁っている中で、あれを捨ててこれを助けるというのは、時の流れに乗れないでいる弱い者を見るに忍びないからです。頼まれもしない義理のためにひとり苦労をする我が身の浅はかさは、哀れなものです。話すことが次々に多く日も暮れてしまった。車をいただいて帰る。

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