樋口一葉「日記 ちりの中」④
きょうは、明治27年2月23日の最後のところと、25、26日です。
(2月23日)
「あはれ、自然の景を人間にうつして御覧ぜよ。はじめて我が性(うまれつき)の偶然ならざるを知り給ふべし。あやめ、撫子(なでしこ)さまざまの性(うまれつき)をうけて、おのがさまざまにほひ出(いづ)る、これこそは世の有様なれ。草木に植時(うゑどき)の機(をり)あるをしれど、人の事業に種まきの機節をはからざるは(1)、いと愚(おろか)ならずや。遠困、近因、来(きた)る処一筋(ひとすぢ)ならず。人々、只今(ただいま)の苦を知りて、根原の病ひをしらざれば、もだえはいたづらに空(くう)に散じて、つゐにもとをいやすによしなし。人さかりにしては、天の力も及ぶかたなし。盛(さかん)なる時は、我があづかりしる処ならず。我れは精神の病院に成て、痛苦の慰問者(ゐもんじや)に成て、人世(じんせい)のくすやになりて、ぼろ、白紙(しらかみ)、手ならひ草紙(ざうし)、あれをもこれをもかひあつめ、撰分(えりわけ)て、其むきむきの働きを為(な)させんとす。ぼろとすてたりける小袖(こそで)のちぎれも、道に寄(より)てすきかへさば、今日(こんにち)有用之新紙(のしんし)と成て、おほけなき御前(おまへ)に出る折もあり。ふるきをかへして新たにし、破れをととのへてまつたふするは、我が役(つとめ)なり。の給ふ処は我が賛成する処にして、君が性(うまれつき)は我が愛し度(たき)本願にかなへり。月花(つきはな)を愛し給ふ心の誠をもととしたらば、其ほかの出来ごとは瑣事(さじ)ならずや。小(ちひ)さき憂(うれひ)の大きに身にかかるは、日々の連用よろしからざるによる。運用の妙(めう)はここにありて、しかも運用はたやすき物也。本源のさとり開かれぬる後(のち)に、日々の運用何事かはあらん。さりながら、人を知る人の我を見るは少なきがごと、本源は知るといへども枝葉(えだは)にまよふは、こも又無理ならざる処ぞかし。我が会員、日本全国三万にあまれり。其人々、箇々(ここ)一様ならず。事によりては我れにまされるもあり、我れより師とあほぐもあれど、三世(さんぜ)にわたり(2)、一世を合(がつ)するは又別物(べつもの)にして」とかたり来(きた)る久佐賀も、いよいよこと多く成て、会員のもの語、鑑定者のさまざま、談じ来(きた)り談じさり、語々風(ごごふう)を生ず。我れも人も一見旧識(いつけんきうしき)の如し。ものがたり四時(しじ)にわたる。其うち、会員の質問に来たりしもの一人あり。大坂米相場(こめさうば)の高下(かうげ)、電話にて報じ来たるなど、ろうがはしく成ぬるに、「時もはや日暮れに成りぬ。我れもいささかかんがふべき事など聞き出(いで)たるに、今日はこれまで」とてたつ。 後藤大臣(3)、同じく夫人の尊敬一方(ひとかた)ならざるよし、および高島嘉衛門(かゑもん)(4)、井上円了(えんれう)(5)が哲学上の談話(ものがたり)など、かたる事多かりし。
(1)2月11日付の『東京朝日新聞』に、「凡て人々行ひの事業結婚配合植物其他身上に係る一切は最初着手関係の原因即ち各自の天の時適節に基くにあるべし蓋し古来より農夫植物師が種子を蒔き植物時の季節あることは聊か悟り居るも吾人が日常の万事働行着手関係時に季節あるを顧みざるは実に愚といふべし夫れ人間万事には凡て適度の時節あらざるはなし」とある。久佐賀は朝鮮に渡って、人類に関する季節学の研究をしたとされる。季節の循環と変動、それによって動植物や動物が生きるために作る周期が季節や気候の変化でどう影響されるかを探る。ここに出てくる「機」や「機節」は、時節を意味する朝鮮語の「시절(シジョル)」を意味する、と見られている。
(2)「師弟は三世」(師弟の縁は前世・現世・来世の3世につながる深い因縁で結ばれている)によっている。
(3)後藤象二郎。第2次伊藤内閣の農商務大臣だったが、明治27年1月に辞職した。
(4)高島嘉右衛門。実業家・易断家。号は呑象。横浜で材木商・建築請負業などを営み、東京・横浜間の鉄道・国道工事に尽力した一方、易学を研究し「高島易断書」を著した。
(5)哲学者・教育者。欧化思潮に対して東洋思想を強調し、仏教哲理を説いた。妖怪学の祖でもある。哲学館(現在の東洋大学)を設立。
二月二十五日 西村君来訪、午後(ひるすぎ)まではなす。平田君来訪されたるより、前者はかへる。例(いつも)のせまやかなる部屋(へや)の内に物がたること多し。五時まで遊ぶ。「女学雑誌」(6)に「田辺龍子、鳥尾ひろ子の、ならべて家門を開かるる」よし有けるとか。万感むねにせまりて、 今宵(こよひ)はねぶること難(かた)し。
二十六日 星野君来訪。『文学界』十四号原稿料持参。社を当月より三ノ輪(7)にうつされたるよし。車をまたせて直(すぐ)に帰宅す。
(6)明治18年に創刊された日本初の本格的女性誌。明治27年2月3日刊の『女学雑誌』第365号に「田辺花圃女史」として掲載された。「歌人中島うた子の高門弟たる田辺花圃女史は、師のすすめにより、鳥尾子の令嬢と力を合せて此度び新たに歌門を開かる」とある。
(7)下谷区三ノ輪町にあった古藤庵無声(島崎藤村)の家。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
「その自然の景色を人間 の上に置き換えてご覧なさい。その時初めて自分の本性というものが偶然でないことを理解なさるでしょう。あやめも撫子も、それぞれの本性を持っていて、それによってそれぞれに美しく咲く、これが世の中の姿というものです。草や木に植える時期があることを知っていても、人が事業をする時に着手の時期があることを考えないのは愚かなことです。物事の原因は遠い原因や近い原因などあり簡単ではない。今の目の前だけの苦しみを考えて、その真の原因を考えないなら、空しく苦しむだけに終わって根本から治すことは出来ないのです。人間は勢力が強い時は天の力もどうすることも出来ないのです。だから人の勢力が強い時は、私はそれに関係することは出来ない。私は精神の病院になって、心の苦痛を慰める者となって、人生の屑屋になって、ぼろ、白紙、習字帳などの屑をあれこれ買い集め、それを選り分けて、それぞれに適した仕事をさせようとするのです。ぼろとして捨てた着物の端切れでも、適当な方法で漉き直せば、役に立つ新しい紙となって立派な人の前にも出れるものです。古いものを新しいものに作り直し、破れを直して完全なものにするのは私の役目です。あなたがおっしゃる所は私の賛成する所であって、あなたの本性は私の本願にかなっている。月や花を愛される心の誠を根本となさるなら、その他の出来事はつまらない事ではないか。その小さな心配が大きく身にかかるというのは、日日の暮らしの仕方や心の持ち方がよろしくないからです。その運用の妙味はここにあって、しかも容易な事です。根本が理解出来れば毎日の運用は何でもないのです。しかし他人のことはよく見えても自分のことはよく見えないように、根本は一応理解していても、枝葉に迷うのはこれまた無理のない所です。私の会員は全国に三万以上もいる。その人たちはそれぞれに違っていて、一様ではない。事によっては私より優れている人もいる。私の方から先生と仰ぐ人もいるが、過去現在未来の三世にわたって考え、その中の現在という一世を占い予言するというのは、これはまた別の才能であって、・・・・・・」
と、久佐賀もますます口数が多くなり、会員の話、鑑定者の様子など話は尽きず、滔滔として話す話しぶりはまさに風を巻き起こすほどでした。私も彼も、他の人が見たら旧知のように見えた事でしょう。物語りは四時問にも及びました。そのうち、会員で質問に来た人が一人あり、大阪の米相場を電話で連絡してくるなど忙しくなり、時刻も日暮れになってきた。私も少しは考えてみるべき事も聞き出したので今日はこれまでにして席を立つ。後藤象二郎大臣夫妻が彼をひどく尊敬しているということ、また、高島嘉右衛門、井上円了氏の哲学上の話など色々多かった。
二月二十五日。 西村釧之助氏来訪。午後まで話す。平田氏が見えたので西村氏は帰る。例によって狭い部屋の中で話すことは多い。五時まで話す。「女学雑誌」に田辺龍子、鳥尾ひろ子さんの二人がともに歌塾を開くことが出ていたとのこと。万感胸に迫って、今夜はとても眠れない。
二十六日。星野氏来訪。「文学界」十四号の原稿料を持参。社を今月から下谷区三ノ輪に移されたとのこと。車を待たせてすぐに帰られた。
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