樋口一葉「日記 ちりの中」①
きょうも明治27年2月23日の記録の続きですが、帳面を替えて「日記 ちりの中」としています。
ひるは少し過(すぎ)たるべし。耳なれたる とうふうりの声の聞ゆるに、おもへば菊坂の家にてかひなれたるそれなりけり。「あぶみ坂(1)上(ざかうへ)の静かなる処ぞ真砂丁(まさごちやう)三十二番地」と人をしゆるままに、とある下宿屋のよこをまがりて出れば、や がてもと住ける家の上なり。大路(おほぢ)よりは少し引入りて、黒ぬり塀(べい)にかしの木の植込み立たる、入るべき小道にしるしの板たてて、雨露(あめつゆ)にさらされたれば 文字はうすけれど、「天啓顕真術会(てんけいけんしんじゆつくわい)本部」とよまれたるにぞ、「此処(ここ)也」とむねとどろく。入りて玄関におとなへば、「おう」とあららかに答へて、書生成べし、十七、八の立(たち)ながら物いふ男、二間(けん)なる障子を五寸計(ばかり)あけてものいふ。「下谷(したや)辺(あたり)より参りたるものなれど、先生にこまごまお物語せまほしく、御人少(おひとずく)ななる折に御見(ごげん)ねがひたければ、何時(いつ)出(いで)てしかるべきにや、お取次(とりつぎ)給はるべし」といへば、「鑑定(2)におはしまさずや」ととふ。「いな、鑑定にはあらず」といふ。「さらば事故(3)にこそ。御名前は」と又とふに、「はじめて出(いで)たるなれば、通じ給ふとも名前の甲斐はなけれど、『秋月』と申させ給へ」とこたへけり。
(1)現在の文京区本郷4丁目20と31の間を南南東に上る長さ33mの坂。片側に石垣の連なる、細い坂道で、名前の由来は、形が鐙(あぶみ)に似ていた、鐙職人の子孫が住んでいた、などの説がある。
(2)顕真術による鑑定。心身の吉兆から相場の高低まで当てることができたという。明治27年2月11日の東京朝日新聞6面には、顕真術の広告記事が掲載された。広告には「顕真術は天地四季の活動変化妙用法に拠て物体物質に関係ある系線引力の盛衰気候正変数理の出没等よりして人体幽明の事柄は勿論苟も宇宙万物有機上凡て最初の起因を求め未然の結果過去の状況現在の如何を瞭然火を見る如く顕真する一大奇術」とある。
(3)人生相談のこと。
男入りて、しばしもあらず出(で)て来つるが、「何の事故にや。師は唯今直(ただいます)ぐにてもよろし」とある。こころ安きに先(まづ)うれしく、「さらばゆるし給へ」とみちびかる。襖一重(ふすまひとへ) のそなたは、其鑑定局(かんていきよく)なるべし。敷(しき)つめたる織物の流石(さすが)に見にくからず、十畳計(ばかり)なる処に、書棚、ちがひ棚 、黒棚など、何処(いづこ)の富家(ものもち)よりおくられけん、見るめまばゆし。額(がく)二つありしが、一つは「静心館」とやありし、今一つは 何(なに)成けん。床(とこ)は二幅対(にふくつゐ)の絹地の画(ゑ)也。床を背にして大きやかなる机をひかえ、火鉢の灰かきならし居るは其人ならん。年は四十計(ばかり)(4)にや、小男にして、音声(こわね)静かに盛(さかん)也し。机の前に大きなる火桶(ひをけ)あり て、そが前にしとね敷たる、「それにをよ」とて、しきりにすすむ。
(4)久佐賀義孝は、元治元(1864)年肥後国(現在の熊本県)の生まれで、明治27(1894)年2月には30歳くらいと見られる。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
正午を少し過ぎていたでしょうか、耳馴れた豆腐売りの声が聞こえてきた。思えば去年七月まで住んで いた菊坂の家で買い馴れていたその声でした。 鐙坂(あぶみざか)の上の静かな所が真砂町三十二番地で久佐賀の家だと教えられるままに、とある下宿屋の横を曲がって通 りに出ると、そこはもと住んでいた家の上のところでした。大通りから少し引き込んで黒塗り塀と樫の植込みの見える家がある。其処への小道の人口に案内板があり、雨露にさらされているので文字の墨は薄くなっているが、「天啓顕真術会本部」と読める。此処だと思うとさすがに胸がどきどきする。玄関に入って声をかけると、「おう」 と荒々しい声で答えて、書生でしょ うか、十七、八歳の男が、二間の障子を五寸ほど開けて立ちながら物を言う。
「私は下谷から来た者ですが、先生に詳しくお話いたしたいので、人の少ない折にお目にかかりたいと思います。何時お伺いすればよろしいでしょうか、お取次ぎ下さい」
「占いの鑑定ですか」
「いいえ、鑑定ではありません」
「では相談ですね。 お名前は?」
「初めて伺った者ですから名前を申しましてもお分かりにならな いと思いますが、秋月とお伝え下さい」と答えた。男は中に入ったかと思うとすぐ出て来て、
「何についての相談ですか。先生は今すぐでもよろしいそうです」
と言う。まずこれで安心と嬉しく思い 、
「では お願いします」
と言って、案内されて入る。襖一重隔てた奥の部屋が、その鑑定をする部屋のようです。敷きつめた敷物も流石に立派で、十畳ほどの部屋には書棚、違い棚、黒棚など、何処の富豪から贈られたのでしょうか、眩しいほどにきらきらと輝いている。額が二つ掛けてあり、一つには 「静心館」と書いてあったようですが、あと一つには何とあったでしょうか。床の間の掛軸は二幅対の絹地の画でした。その床を背にして大きな机に向かって坐り、手あぶり火鉢の灰を火箸でならしている人がその人でしょう。年は四十ばかりでしょうか、小男で、声は静かだが力がある。机の前には大きな火鉢があり、その前に座蒲団が敷いてある。それに坐れとしきりにすすめる。
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