塵中日記 ⑨
きょうは、明治27年の元日、1月1日からです。
廿七年一月一日 あさのほど少し雪ちらつく。やがてはれたり。今日のせわしさ、たとふるにものなし。 終日(ひねもす)、くにと我れと立つくすが如し。礼者(1)なし。
二日 おなじく。 西村礼に来る。久保木来る。
三日 上野房蔵(ふさざう)来る。佐久間夫婦来る。
四日 伊三郎来る。神田にかひ出し。
五日より常の如し。
六日
七日 芝より兄君来る。むかひがはに同業出来る(2)。
八日よりあきなひひま也。
此ほどかくべき事なし。
十日 平田君より状(ふみ)来る。五日帰京したるよし。「今月の双紙(さうし)にも何か出しくれよ」とて也。末文に、古藤庵無声(ことうあんむせい)(3)が、我宅を訪ひ度(たき)よしかたりたり、とて紹介をなす。
これより年賀の状(ふみ)を出したるは、山梨にて野尻(のじり)兄弟、雨宮、古屋(ふるや)、越後の坂本ぬし(4)、札幌の関場君(5)、東京にては三宅(みやけ)、伊東、 田中、半井、桜井、喜多川君(6)ならびに兄君成り。かれより来たりたるは、此人々のほかに志方(しかた)君(7)などもあり。
十三日 午前(ひるまへ)、星野君はじめて来訪。かねておもひしにはかはりて、いとものなれがほに馴れ安げの人也。としの頃は三十計(みそぢばかり)にや。小作りにて色白く、 八丈もめんのきものに、黒もん付の羽をり、二重まわし(8)をはをりて来たりき。物語多かりしが、さのみはとて。
十四日
十五日 平田君より状(ふみ)来る。寺住(ずま)ひの寒さにおそれ、ちかくの横川医院とかいへるに転じたるよし。「そとのうち訪(と)はん」などありき。今日はあきなひいと忙(せは)し。
十六日 はれ。一日あきなひせはしくして、終日一寸(ひねもすいつすん)の暇なし。坂本君より状(ふみ)来る。新発田(しばた)区裁判処(9)之(の)判事に成けるよし。今宵よし原(はら)にまゆ玉(10)かふ。
十七日 晴れ。つねの如し。須藤君来訪。
十八日 晴れ。
十九日 はれ。終日(ひねもす)何事なし。今夜読書、暁にいたる。
二十日 はれ。植木屋寅次郎来る。午後(ひるすぎ)、平田君来訪。『文学界』寄稿之(の)こと尋ねに成り。 露伴子(ろはんし)作『五重塔』(11)。
男はすべて重りかに口かず多からざるぞよき。さればとて、こと更(さら)につくろひ顏ならんはにくけれど、万(よろづ)こころえがほになれなれ敷(しき)は、才(ざえ)たかく学ひろしとても、何となくあなどらるるぞかし。春の花のうるはしきけはあらずとも、天雲(あまぐも)たな曳(び)くたか山の、そぞろ尊く恐ろしき様(やう)にもあり、わづかにあふぎ見る様なる中に、何となくなつかしきけしきをふくみたらんぞよき。
(1)年賀にまわり歩く人。
(2)小学館全集の注には「上島金太郎によれば、石橋という楊枝屋、しかし、この「同業」は、荒物屋でなく、駄菓子屋のように感じられる。野沢ではなかろうか。この開店は、夏子(一葉)一家に大きな打撃を与えた」とある。
(3)島崎藤村。明治26~27年ころ、藤村はこのペンネームを用いていた。藤の花のような佐藤輔子から「藤」をとって「古藤庵」、たがいに恋を打ち明けることができない二人の姿から「無声」を名乗った、ともいわれている。
(4)野尻大助・理作の兄弟、雨宮源吉、たきの実家「古屋」の貞治、阪本(渋谷)三郎のこと。
(5)関場悦子。
(6)三宅龍子、伊東夏子、田中みの子、半井桃水、桜井鎌子、北川秀子。
(7)志方鍛。大阪市に住んでいた。
(8)男性用の和装防寒コート。インバネスの和装化したもので、袖ぐりが大きくあいて、ケープ風の袖がついている。
(9)新潟県の北蒲原郡新発田本村(かつての新発田城下の武家屋敷地)の簡易裁判所。
(10)柳などの枝に繭形にまるめた餅や団子などを数多くつけた、小正月の飾り物。その年の繭の収穫の多いことを祈って行なったが、後には枝に餠や菓子の玉をつけたり、七宝、宝船、千両箱、鯛、大福帳などをかたどった縁起物の飾りをつるしたりした。神社などで売っているのを買って神だなや部屋に飾る。
(11)幸田露伴の中編小説で、初期の代表作。明治24年から25年にかけて『国会』に連載。25年に青木嵩山堂から『小説 尾花集』として出版された。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
二十七年一月一日。朝のうち少し雪がちらっく。すぐ晴れる。今日の忙しさはたとえようがない 。終日邦子と私は店に立ちつくす。年賀の客はない。
二日。同じ。西村氏が年賀に来る。久保木の義兄も来る。
三日。上野の藤林房蔵氏が来る。佐久間岡右衛門夫妻が来る。
四日。伊三郎が来る。神田に買出し。
五日から平常の通り。
六日。
七日。芝から兄が来る。向かい側に同業の店が出来た。
八日から商いは暇になる。このところ書くこともない。
十日。平田氏から手紙が来る。五日に帰京したとの こと。今月の 「文学界」 にも何か書いてくれとのこと。終わりの方に、島崎藤村氏が私の家を訪ねたいと話していたと、氏を紹介してくれる。こちらから年賀状を出した人、山梨では野尻理作兄弟、越後の坂本(旧姓、渋谷)三郎氏、雨宮氏、古屋氏、札幌の関場悦子さん、東京では三宅花圃さん、 伊東夏子さん、田中みの子さん、半井桃水先生、桜井鎌子さん、北川秀子さん、それに芝の兄。先方から来たのはこの人々の他に大阪の志方さんなどのもあった。
十三日。午前、星野天知氏初めて来訪。前から想像していた人とはすっかり違って、いかにも世間馴れた近づき易い人です。年は三十歳ぐらいでしょうか。小柄で色白く、八丈木綿の着物に黒紋付の羽織、それに二重廻しの外套を着て来られた。お話も多かったが、ここにはとても書ききれない。
十四日。
十五日。平田氏から手紙が来る。寺住まいの寒さに我慢出来ず近くの横川医院とかいう家に移転したとかそのうちに訪ねたいなどとあった。今日は商いがひどく忙しい。
十六日。晴。 一日中商いが忙しくて少しの暇もない。坂本三郎氏から手紙が来る。新潟県新発田区裁判所の判事になったとのこと。今夜吉原で飾り物のまゆ玉を買う。
十七日。晴。いつもの通り。須藤氏来訪。
十八日。晴。
十九日。晴。終日何事もない。夜読書、 明け方まで読む。
二十日。晴。植木屋寅次郎が来る 。午後、 平田氏来訪。 「文学界」 への寄稿のことを聞きに来られたもので、 幸田露伴の 「五重塔」 を貸して下さる。男はすべて重々しく口数の多くないのがよい。だからといって、ことさらにわざとらしいのは嫌だが、万事何事も心得ているように世間馴れているのは、たとえ才能があり学問が広くても何となく軽蔑されるものです。春の花のような美しい気配はなくても、雲が棚引いている高い山のように何となく尊く恐ろしい所が あり、尊敬の念を起こさせると共にまた何となくなつかしさが感じられるのがよい。
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