塵中日記 ⑧
きょうは、明治26年12月17日からです。
十七日 寒気いふべくもなし。母君のことをおもふに、くに子も我も終日(ひねもす)むねいたくて、ともすれば涙のみなり。
十八日 夕ぐれちかく、後屋敷より広太郎(1)来る。我れよりのふみにつきて、雨宮の談(はな)しもあり、「そのまま有(ある)べきに非(あら)ず」とて、出京したる成るべし。されども、請求に対しても異論ありげなるロぶり見ゆ。「何はとまれ、此人来(く)べきをしらば、母君をら長途(ちやうと)の旅にも出し参らせじを、雨宮よりも此人よりも一通の状(ふみ)も来らざりしぞ残りをしき」など、帰りて後(のち)、邦子とかたる。
十九日 伊三郎が留守宅に利金(りきん)持参。待(まつ)ち山(2)下に凧(たこ)を仕入る。母君のもとに一書出さんとおもへど、広太郎が、「電報をうつべき」よしいひけるまま、「さは、今日あすがほどには帰り給ふべし」とて、そのまままつ。
廿日 まだたよりなし。
廿一日 いまだし。日々夜々(ひびよよ)、くに子とかたるは此こと也。たがひに覚(おぼ)つかなさのあまりは、ものいひする事もあり。此日頃、大方なみだ也。
廿一日、雨宮よりふみ来る。十九日出(で)にして、しかも母君来甲(らいかふ)のこと一字もなく、広太郎が上京の事もなし。「談判(かけあひ)の都合あしからず。一週間内にはともかくもなるべし」とて、かれよりが志しを以(もつ)て金(きん)五円為替(かはせ)にて送る。此人に金子(きんす) かりんとにはあらざるを。
廿二日 何事のたよりも聞えず。
廿四日 伊三郎が宅に行く。広太郎、昨日(きのふ)帰郷なしけるよし。
廿五日 伊三郎が妻来る。「今日明日(けふあす)には帰京なるべし」など語る。
廿六日之夕(のゆふべ)、母君帰京。旅づかれもなくいと嬉し。後屋敷にての談判(かけあひ)は、すべてしるしつくるあたはず。母君が一銭之金(かね)をももち帰り給はざるにて、大方はしるべし。帰路(かへり)の路用(ろよう)は宇助(うすけ)よりさし出したるよし。
二十七日 初雪ふる。母君一日やすみ給ふ。天知子より状(ふみ)あり。
二十八日 母君寺参り(3)。伊せ利より通運便(4)にて金子(きんす)五円五拾銭来る。奥田の元金ならびに利金なり(5)。天知子よりもひとしく金壱円半送り来る。『文学界』十二号に出したる「ことのね」の原稿料なり。平田君より状(ふみ)来る。「今日より大宮の方(はう)(6)にゆく」よし。「新年また逢はん」などあり。
二十九日 奥田に金(かね)持参。神田にかひ出しをなし、小石川師君に歳暮(せいぼ) の進物(しんもつ)持参。くら子どのにあふ。はなし多し。ここは又別天地なり。
三十日 もちをつく。金壱円。上野君父子(おやこ)歳暮に来る。議会解散。
三十一日 あきなひ多し。二時まで起居(おきゐ)る。
(1)後屋敷村の芦沢卯助の長男。
(2)待乳山。隅田川右岸、いまの台東区浅草七丁目にある小丘。古くは入津の目標となった。歓喜天をまつる待乳山聖天(本龍院)がある。
(3)兄の泉太郎の命日。泉太郎は、大蔵省出納局雇となったが、明治 20年12 月 27 日に肺結核で死亡した(享年 23 歳)。
(4)民間の通運業者を通じて行われる送金。返済金と見られている。
(5)小学館全集の脚注によると「1回返済分の元金は2円50銭。利息は2円か3円であった」という。
(6)埼玉県の旧大宮市の一部にあたる、土屋村の伯父の家を訪ねたとみられている。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
十七日。寒さが言いようもないほど厳しい。母上のことを思うと邦子も私も終日胸が痛く、 ともすると涙ぐむのでした。
十八日。夕暮れ近く後屋敷から芦沢廣太郎が来る。こちらからの手紙のことについて雨宮からの話もあり、そのままにしておけないというので上京して来たのでしょう。しかしこちらからの返金請求については異論ありけな口ぶりでした。廣太郎が帰った後で、
「何はともあれ、この人が来ることがわかっていたら、母上を山梨までもの長旅にお出 ししたりはしなかったのに。雨宮からも、此の人からも一通の手紙も来なかったのが本当に口惜しい」
などと邦子と話したのでした。
十九日。伊三郎の留守宅に例の「日なし」の利息を持って行く。待乳山の問屋で凧を仕入れる。母上に手紙を出そうと思ったが、廣太郎が電報を打っと言っていたので、そうすると母上は今日明日にはお帰りのことと思って、そのままに待つ。
二十日。まだ便りがない 。
二十一日。今日もまだない。昼も夜も邦子と話すのはこの事ばかり。お互いに心細くて、そのあまりに時には言い争いになることもある。ここ数日は涙の明け暮れです。
二十二日。雨宮から手紙が来る。十九日に出したもので、しかも母上が甲府へ着いたことも、廣太郎が上京したことも、一字も書いてない。芦沢との交渉の結果は悪い方ではなく、一週間以内には解決するだろうと書いてあり、また彼からの志として金五円を為替で送ってくる。別にこの人からお金を借りようとしたのではないのに。
二十三日。何の便りもない。
二十四日。伊三郎の家に行く。廣太郎は昨日山梨に帰ったとのこと。
二十五日。伊三郎の妻が来る。母上は今日明日には帰京なさるだろうなどと話す。
二十六日の夕暮れ母上帰京。お疲れもないようで大変嬉しい。後屋敷での交渉は複雑で、そのすべてを書き記すことは出来ない。母上が一銭のお金も持ち帰ることが出来なかったことで、大体のことは想像できる。帰りの旅費は芦沢卯助が出したとのこと。
二十七日。初雪が降る。母上は今日一日はゆっくりなさる。星野天知氏から手紙が来る。
二十八日。母上は寺詣り。伊勢利から通運便で五円五十銭が届く。これは奥田へ支払う元金と 利息の分。星野天知氏からも同じ要領で一円五十銭送ってくる。これは 「文学界」十二月号に出した 「琴の音」の原稿料。平田禿木氏からも手紙が来る。今日から大宮の家に行くとか、また新年に逢おうなどとある。
二十九日。奥田のところにお金を持って行く。神田で買出しをし、萩の舎の中島先生にお歳暮を持って行く。先生の妹の中島くら子さん にお会いする。色々とお話が多かった。萩の舎の塾は全く別世界のようです。
三十日。餅をつく。代金一円。上野兵蔵氏父子がお歳暮に見える。議会解散。
三十一日。買いにくる客が多い。二時まで起きている。
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