塵中日記 ⑤
きょうは、明治26年11月27日から12月1日までの日記です。
二十七日 晴れ。天知子(てんちし)より状(ふみ)来る。 一両日中に米訪あるべきよしなり。
二十八日 はれ。国子、吉田君を訪(と)ふ。野々宮君のこと(1)につきて、悲惨のはなしあり。今日、前なる家より、「小児(こども)の誕生日也」とて赤飯(あかのめし)送らる。 いはゐもの持参。
二十九日 晴れ。禿木子(とくぼくし)より状(ふみ)来る。歌あり。
「音にきくさとのほとりに来てみれば
うべこころある人はすみけり」
とやありし。天知子よりの文(ふみ)は詞(ことば)のたくみあり。ものなれ顔にさらさらとしたるものから、いひもてゆけば、事好みたらむ様にもみゆめる。禿木子のは、まだわかく、 やはらかく、愛敬(あいきやう)ありてととのはざるしも、末たのもしき様(やう)也。今宵(こよひ)、くに子と共に吉原神社(2)の縁日みる。例之歌うたひが美音(びおん)をきく。
三十日 雨。
十二月一日 晴れ。『文学界』十一号来る。花圃女(くわほぢよ)が文章、 めづらしくみえたり。山の井勾当(こうたう)(3)がことを書しなるが、文辞(ぶんじ)いたく老成(らうせい)になりて、ここ疵(きず)とみゆる処もなく、ととのひゆきぬ。今の世に多からぬ女(をんな)文学者の中(うち)、この人などやときは木(ぎ)のたぐひにぞ、後(のち)のよまで伝はりぬべきなめり。おのづから家の筋、人ざまなどもうちあひて。
孤蝶子(こてふし)(4)が「さかわ川」、無声(5)が「哀縁(あいえん)」など、をかしき物なり。「哀縁」はおきて、「さかわ川」はいん文といふべき物にもあらず、五七の調(しらべ)にてうたふべき様(やう)にもあり、浄るりに似て散文躰(さんぶんたい)にもあり、今一息(ひといき)と見えたり。
いひふるしたるみじか歌(6)の、月花(つきはな)をはなれて、今のよの開(ひら)けゆく文物にともなひ難(がた)きあまり、新体(しんたい)などいふも出(いで)くめり。もとよりざえかしこく、学ひろき人々がものすのなめれど、猶わかう人(ど)が手になれるは、好みにかたより、すきにへんして(7)、あやしうこと様(やう)のものになれるもあり、ふる人(びと)の指さしわらふもげにと覚ゆることなきにしもあらず。さりとて、みそひと文字の古体にしたがひて、汽車汽船の便(たより)あるよに、ひとりうしぐるまゆるゆるとのみあるべきにあらず。 いかで天地の自然をもととして、変化の理(ことわり)にしたがひ、風雲のとらへがたき、人事のさまざまなる、三寸の筆の上に呼出(よびいだ)してしがな。さはいへ、かくおもふは我人共(われひととも)の願ひなるべけれど、そは天才といふ人の世に出ざるかぎり、成りたつまじきものなるにや。俗中に風流あり、風流のうちに大俗(だいぞく)あり。新たい詩歌の俗の様に覚えて、かのみぢか歌のみやびやかに聞ゆるは、ならはしのみのしかるにあらず、人の心に入(いり)て人の誠をうたひ、しかも開けゆくよの観念にともなはざれば也。詞(ことば)はひたすら俗をまねびたりとも、気いん高からば、おのづから調(しらべ)たかく聞えぬべし。さても学び易くしてうたひがたきは、猶この道の奥にぞある。
此夜、号外来る。議長(8)不信任問題上奏案(じやうそうあん)の可決なしたるよし。
(1)家族ぐるみでつきあっていた野々宮きく子。結婚に失敗し、12月20日付で盛岡女学校を依願退職したとされる。
(2)吉原遊廓を守護していた氏神様。吉原遊廓には入口と四隅に稲荷社が祀られていたが、明治14年にその五つの稲荷神社を合祀して生まれた。
(3)筝曲の師匠。浅草の雷門の前で筝を弾く辻芸人に落ちぶれた山の井勾当が描かれている。(4)馬場孤蝶(1869 - 1940)。『文学界』に同人として参加して発表した新体詩「酒匂川」。
(5)古藤庵無声。島崎藤村(1872 - 1943)の青年期の別号。
(6)短歌のこと。ここでは、新体詩に対する和歌のニュアンスで用いている。
(7)偏して。かたよる、一方に寄る意。
(8)星亨(1850 - 1901)。明治26年11月29日、相馬事件の被告弁護、取引所からの収賄疑惑などのため、衆議院で議長不信任案が可決されたが、星は議長辞職を拒否したため12月1日に議長不信任上奏案が可決された。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
(十一月) 二十七日。晴。星野天知氏から手紙が来る。 一両日中に来訪するとのこと。
二十八日。晴。邦子、吉田さんを訪ねる。野々宮菊子さんのことで悲しい話を聞いてくる。今日、前の家から子供の誕生日だといって赤飯をいただく。こちらからもお祝いをもって行く。
二十九日。晴。平田禿木さんから手紙が来る。歌もあった。その歌は、
音に聞くさとのほとりに来てみればうべ心ある人はすみけり
星野天知氏からの手紙は文章は上手で、いかにも物馴れてさっぱりとして風流を解するところがあるように見える。平田さんのはまだ若く柔かく、愛嬌があって未熟のところもあるが、将来性があるように見える。夜は邦子と共に吉原神社の縁日を見に行く。例の歌姫が美しい声で流し歩いているのを聞く。
三十日。雨。
十二月一日。晴。「文学界」十一号が送って来る。三宅花圃さんの文章が珍しく出ている。山の井勾当(こうとう)のことを書いた作品ですが、文章がすっかり円熟していて特に欠点と思われる所もなく、よく整っている。現代の数少ない女流作家の中で、この人こそ常に変わらぬ評価を得て後世にまで残る人でしょう。それに自然と家柄も人柄も立派に揃っているのですから。
馬場狐蝶氏の「酒匂(さかわ)川」、島崎藤村の「哀縁」などもすぐれた作品です。「哀縁」 はともかくとして、「酒匂川」 は単なる韻文などというものではなく、五七調で歌うことが出来るようでもあり、浄瑠璃に似た散文体のようでもあり、作品としては今一歩と思われた。
文壇の様子を見ると、伝統的な花鳥風月の短歌の世界から離れて、現代の文明開化の世にも急には順応出来ず、新体詩などというものが出てきたようです。もちろん才能も学問も立派な人たちが作ったようですが、今の若い人たちによって作られるものは、その人の好みに片寄り、 わざと風流を気取って、変におかしなものになってしまったものもある。相当の年輩の人たちが非難し嘲笑するのも当然だと思われることがないでもない。だからといって三十一文字の古い形式を守って、汽車汽船が動く文明開化の世に、自分だけ王朝の牛車に乗ってゆるゆると歩いて行くことは出来ない。何とかして、この天地自然の変化の理に従い、自然の微妙な姿や人 事の様々の姿を文章に書き表したいものです。そうは言っても、こう思うのは私ばかりの願いではなく、皆の願いでしょうが、これは天才と言われる人が出て来ないかぎりは成しとげられないものでしょうか。俗世間の中 に風流があり、風流の中に俗があるのです。新体詩が俗のように見えて短歌が優雅に聞こえるのは、長い習慣のためばかりではないのです。現代の詩歌がつまらないのは、人の心の中に入ってその真実の心を歌っていないからであり、また開けゆく時代の感情に一致していないからです。たとえ言葉は世俗的なものであっても心に気品高いものがあれば、その作品の調べは格調高いものになるでしょう。本当に学びやすくして作り難いというものはこの詩歌の道であり、その奥深い所は究め難いものです。
夜、号外が来る。衆議院議長星亨不信任の上奏案が可決されたとのこと。
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