一葉「塵中日記」①
きょうから「塵中日記(ちりのなかにつき)」という表題の日記に移ります。表書年月は「葉月」、署名は「樋口夏」とあります。
十一日 晴天。 朝まだき家を出(い)づ。北川君のもと(1)へ着けるが漸(やうや)く五時半頃なりけん。藤兵衛老人(2)の周旋にて、菓子ならびに手遊(てあそび)ものなどのかひ出しをなす。まだ生れ出てよりかかる処の景況を知らざる身には、そぞろ恐ろしきまでものはげし。正午(ひる)少し前、家に帰る。かざりつくるも遅しと計(ばかり)、かひに来たる子供あり。万(よろづ)ものなれずして、間違ひのみ多きもをかし。
十二日 はれ。母君は小石川、本郷、あのあたりに(3)礼参りに行き給ふ。今日のいそがしさは又無類(むるい)成き。さて売上(うりあげ)の金はと問へば、二十八、九銭成しなるべし。
十三日 はれ。かひ出しに多丁(たちやう)(4)へゆく。今日のうりあげは卅三銭。
十四日 晴れ。又多丁にゆく。帰路はくるま。今日のうりあけ三十九銭。
十五日 晴れ。今日も相応にうれたり。
十六日 雨。家のふしんをなす。商ひを始めざりし頃は、さのみにも思はざりし店つきの、兎角(とかく)に都合よからねば、これを直さんとて也。 一日にして事終る。今夜、野々宮君、大久保君(5)来訪。
(1)妹くにの友人の北川秀子。神田雉子町に住んでいた。
(2)秀子の父。藤兵衛は、駄菓子などの卸問屋を営んでいたため買出しのコツを心得ていた。
(3)西村、佐藤、久保木、菊池らの家。また、西片町の河村家には桃水が住んでいた。
(4)神田多町。駄菓子や玩具の問屋が多かったという。
(5)野々宮菊子の友人。
十七日 晴れ。多丁にかひ出しにゆく。今日、墺国(オーストリア)皇族(6)新橋に着。市中国旗をかかぐ。(6)オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者だったフランツ・フェルディナント大公(Ferdinand Franz)は親善のため、明治26(1893)年8月17日午前9時15分、新橋に到着し、午後 12 時 30 分、宮中へ参内し、明治天皇に謁見した。
十八日 朝来(あさより)あれもやうにて、風ものすさまじ。帰宅後、更に大音寺前(だいおんじまへ)(7)にせんべいをあつらへ、駒 に蝋燭(らふそく)の注文をなし、門跡前(もんぜきまへ)にしぶ団扇(うちは)をあがなひ来る。今日下駄をもとむ。跡歯(あとば)の白木(しらき)にて、さらさ形(がた)の革鼻緒(かはばなを)成し(8)が、代金二十銭成し。夕刻より雨に成る。風力さらに加りて、ほとんど嵐(あらし)に似たり。戸を明け置く事あたはざれば、はやくおろしてふしたり。
(7)浄土宗の大音寺(下谷区龍泉寺町52番地)の門前。
(8)インドの美しい模様染めの更紗の布地を草履や雪駄などの鼻緒の革素材として仕立てあげたもの。
十九日 晴れ。風あらし。午前(ひるまへ)より西村之母君来訪。例之縁辺の事(9)につきてはなしあり。タちかく帰宅されき。
明日は鎮守(ちんじゆ)なる千束神社(せんぞくじんじや)(10)の大祭(おほまつり)なり。今歳(ことし)は殊(こと)ににぎはしく、山車(だし)などをも引出(ひきいづ)るとて、人々さわぐ。隣りなる酒屋にて、両日間(ふつかかん)うり出しをなすとて、かざり樽(だる)(11)など積(つみ)たつるさま勇ましきに、思へば、我家(わがや)にても店つきのあまりに淋(さび)しからむは、時に取りて(12)策(さく)の得たる物にあらじ。さりとて、もとでを出して品をふやさん事は、出来うべきにもあらず。よし出来たりとて、さる当てもなき事に空しく金をつひやすべきにあらず。「いでや、中村やに行きて、かざり箱(13)少しあがなひ来(こ)ん」とて、夜(よる)に入りてより家を出づ。今宵即座に間に合はざりしかば、明日のあさ持参すべき約束にさだめて、まつち五十銭計(ばかり)をあがなひぬ。そは、金(かね)がさ少なくして、 見場(みば)のよければなり。今夜は更(ふく)るまで大多忙(おほいそがし)。
(9)西村釧之助の縁談。
(10)下谷区龍泉寺町の千束稲荷神社。当時は、千束郷の鎮守として下千束稲荷と上千束稲荷の二社があり、そのうち北の下千束稲荷にあたる。
(11)化粧縄をかけて飾った樽。奉納や景気づけで積み上げたようだ。
(12)こういう場合には。
(13)商品を並べて飾る木の箱。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
(八月)十一日。 晴。朝まだ暗いうちに家を出る。北川秀子さんの所へ着いたのはやっと五時半頃だったでしょう。秀子さんの父親の藤兵衛老人の世話で菓子や 玩具の買出しをする。生まれて以来、 まだ一、 んな所の景気を知らない私には何か恐ろしいまでに烈しいものでした。 正午少し前、家に帰る。飾り付けが終わらないうちに子供が買いに来た。 万 事もの馴れず失敗ばかりするのも可笑しい 。
十二日。晴。 母上は小石川や本郷あたりにお礼の挨拶に行かれる。今日の忙しさはまた比べようがない。しかし売上金はと言えば二十八、九銭だったようだ。
十三日。晴。神田多町に買出しに行く。今日の売上げは三十三銭。
十四日。晴。 また多町に行く。帰りは車。 今日の売上げ三十九銭。
十五日。晴。今日もかなり売れた。
十六日。雨。家の普請をする。商売をはじめないうちはそれ程にも思わなかった店の様子が、 あちこち不便な所があるのでこれを直す ための普請。一日で終わる。夜野々宮菊子さんとその友人大久保さんが見える。
十七日。晴。多町に買出しに行く。今日オーストリアの皇族が新橋に着かれ、市中は国旗をかかげる。
十八日。朝から荒れ模様で風が烈しい。帰宅後、再び大音寺前で煎餅を頼み、駒形で蝋燭を注文し、門跡前で渋団扇を買う。今日、下駄を買う。後歯が白木で、さ らさ模様の革の鼻緒。代金は二十銭。
夕方から雨になる。風がさらに烈しくなり、全く嵐のようだ。戸をあけておくことが出来ないので早く閉めて寝る。
十九日。 晴。風が烈しい。午前から西村釧之助の母親が見える。例によって邦子との縁談の事の話が出る。夕方近く帰られた。
明日はこの町の氏神の千束神社の夏祭。今年はとくに賑わしく山車なども引き出すといって人々は騒いでいる。隣の酒屋では二日間売出しをするとい って酒樽を積み上げて景気がよい。思えば我が家の店さきがあまりにも寂しいのは時節柄得策ではない。しかし元手を出して品物をふやすことは出来そうもない。たとえ出来たとしても、そんな当てもな い事に無駄な金を使うべきではない。ともかく中村屋へ行って飾り箱を少し求めようと、夜になって家を出る。今夜は間に合わないので、明朝持ってきて貰う約束でマッチを五十銭ばかり買う。これは金額が少なくて見栄がよいからです。今夜は夜が更けるまで大多忙。
コメント
コメントを投稿