塵中日記 ①
きょうから改めて「塵中日記(ちりのなかにつき)」(表書年月「十一月」。署名「夏子」)としてつづられた日記に移ります。「今是集」は、明治26年11月14日で終っていましたが、この新たな日記では、前文につづいて翌日の明治26年11月15日からはじまっています。
人しらぬ花もこそさけいざさらば
なほ分け入らむはるのやま道
わたつみの沖にうかべる大ふねの
何方(いづこ)までゆくおもひ成(なる)らむ
さとれば去此不遠(こしふをん)、 まよへば十万億土(じふまんおくど)(1)
雲まよふタベの空に月はあれど(2)
おぼつかなしやみち暗くして
有無(うむ)ふたつなし一切無量(いつさいむりやう)(3)
花ちらすかぜのやどりも何かとはむ(4)
ながれにまかす谷川のみづ十一月十五日 師君を小石川にとふ。七月之(の)十九日に別れけるより、今日をはじめて也。かたみにいはんとする事多かり。思ひせまりては涙さへさしぐみて、とみには詞(ことば)も出ず。およそ半としがほどに、かはりけるよの中のさまざまを、正木のかづら(5)散々(ちりぢり)にかひつくれば、
水野せむ子(6)ぬし、会津侯(こう)に嫁(か)せられたる。
龍子(たつこ)ぬしの子うみたる(7)。女子(をんなのこ)にて、しかもすこやかに大きなる子のよし。
中村礼子ぬしの、つまをむかへて又さりたる。師君が養子(8)を呼(よび)たる。大野さだ子(9)のうせける。加藤のつま(10)の足痛(そくつう)になやむなる。
猶、社中にあたらしき弟子のましたるなど、種々(さまざま)多かり。かかるが中に、旧(ふるき)に依(より)て旧(もと)にことならざるは稽古の土曜日なる。日の短長(たんちやう)を問はず、二題四首、詠花にたはぶれ、月をもて遊び、うきよはよしや浪たたばたて、風ふかばふけ、枕言葉に風情(ふぜい)をやしなひ、野川の名処に文学のたらざるをおぎなふ、仙人界ののどやかなる。さては梅之(うめの)や、くちなし園(11)がをかしきなからひ などのみぞ、ことなりたる処もなきや。
(1)阿弥陀仏の教えをさとれば、極楽浄土はここから遠くない心のなかにあるが、迷えば阿弥陀仏のいる浄土は十万億土も離れた遥か遠いところにあるという意。浄土教の教え(観無量寿経)をわかりやすく表した言葉。
(2)和泉式部の歌「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月(暗い道からさらに暗い道へと入りこんでいます。遥か遠くまでどうか私を照らしてほしい、山の端にかかる月よ)」を踏まえている。
(3)「ある・ない」「生・滅」「善・悪」といったといった二分する考えを超え(不二)、すべてが阿弥陀仏の救いの中にある(一切無量)という真理を説いている。
(4)『古今集』(春下)に「花散らす風の宿りはたれか知る我に教へよ行きてうらみむ(桜の花を散らす風の宿をだれか知っているだろうか。私に教えてくれ。行って恨み言を言おう)」。
(5)真拆の葛(まさきのかずら)。テイカカズラ、またはツルマサキの古名といい、上代、神事に用いられた。「古今和歌集」の仮名序に「松の葉の散りうせずしてまさきの葛長く伝はり」に基づく修辞。
(6)旧沼津藩主水野忠敬の長女、銓子。
(7)田辺龍子(花圃)は、明治25年に三宅雪嶺と結婚し、長女の多美子を産んだ。
(8)大阪の安場善助の次男、廉吉。
(9)歌人の大野定子。明治6年に、初の女性教師として東京の礫川小学校で読書、習字、裁縫などを教えるようになり、13年には学習院の裁縫教師となった。2万首をこえる和歌を残した。明治26年7月18日死去。
(10)中島歌子の両親は水戸藩御用達宿「池田屋」の加藤佐右衛門の夫婦養子となっていた。養家の未亡人と見られている。
(11)「梅之や」は、田中みの子の、「くちなし園」は 小出粲(つばら)の歌号。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
人知らぬ花もこそ咲けいざさらばなほ分け入らむ春の山道
わたつみの沖にうかべる大船の何方(いづこ)まで行く思ひなる らむ
悟れば浄土は此処を去ること遠からず、迷へば十万億土の彼方
雲まよふタベの空に月はあれどおぼつかなしや道暗くして
有と無の区別があるのではなく、全ては無量花散らす風の宿りも何か訪はむ流れにまかす谷川の水
十一月十五日。中島歌子先生を小石川の萩の舎塾にお訪ねする。七月十九日にお別れして以来今日が初めてです。お互いに話したいことで一杯です。思いが胸にせまり涙さえ溢れてすぐには言葉も出てこない。およそ半年の間にすっかり変わった萩の舎のことを切れ切れながら書きつけてみよう。
水野銓子さんが会津藩主に嫁がれたこと。三宅龍子さんが出産なさって、女の子で元気な大きなお子さんだったとのこと。中村礼子さんが養子を迎え、また別れたとのこと。歌子先生が養子を入れられたこと。大野さだ子さんが亡くなったこと。加藤未亡人が足痛で苦しんでおられること。また塾には新しい弟子がふえたこと、など沢山あった。変わることが多い中にあって昔通りに変わらないものは、稽古が土曜日であること、勉強は夏冬を問わずいつも二題四首であること。花や月の美しさを詠むことに心を砕き、世間では何が起ころうと気にも掛けず、作歌の言葉に工夫を凝らし、自然の名所を訪ねては文学の心を養うなど昔に変わらぬ風流人ののどかな世界です。また田中みの子さんと小出粲先生との浮いた噂など、全く昔のままです。
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