一葉日記「塵之中」7

きょうは、明治26年7月26日からです。


廿六日 雨。早朝、西村に手がみを出す。字句つとめてうやうやしく、ひたすらにたのみてやる。母君、中之町(なかのちやう)へ仕立ものの事につきて参り給ふ。午後(ひるすぎ)出来あがりたるをもて又ゆく。我れも母も、今日は例之(いつもの)血の道にてふしたり。母君、日没少し前、三間丁に見舞にゆく。あしき方(かた)成しよし。今日は終日(ひねもす)ひややかにして、わた入羽(いれば)をり(1)きる人も見うけたり。

  あはれいかにことしの秋はみにしまむ
     すみもならはぬやどのタかぜ

  いづれぞやうきにえたへで入(いり)そむる
      み山のおくと塵の中とは(2)

「御隠居様」など呼ばれけるは昨日(きのふ)也。「ここに移りぬる後は、たれ一人むかしを知る人もあらじ。あやしき町風(まちふう)の詞(ことば)にこそいはれん」といひしに、隣の妻(3)の、「御隠居様」とやはりいふ。処がら伊せの浜をぎ(4)、もとの名をよばれんとしもおもはざりしを。


(1) 表地と裏地のあいだに綿を入れた羽織。
(2)浮世の苦しみから逃れるのには、深山の奥と俗塵の世とのどちらがよいのだろうか。
(3)伊勢屋の妻。
(4)「難波の葦は伊勢の浜荻」。難波でいう葦は、伊勢で浜荻と呼ばれるものだ。同じ物の名や風俗、習慣が場所によって異なることを喩えていう。『莬玖波集』に「草の名も所によりて変はるなりなにはのあしはいせのはまをぎ」(草の名前もその土地によって変わるものだよ。難波でいう葦は、伊勢で浜荻と呼ばれるものである)。

廿七日 晴れなれどもすずし。すずしといはんよりは冷(ひや)ややかなる方(ほう)也。廿四日の寒暖計正午時(ひるどき)九十三、四度ありしに(5)、其夜(そのよる)より下(さが)りに下りて、廿五日は七十度より八十度、夜に入ては六十度にさへ成ぬ。昨日も今日も七十度代成り。午後(ひるすぎ)、区役処より呼出し来る(6)。戸籍の事につきて也。母君、地主(7)に印(いん)もらひに行く。西村来る。金子(きんす)、たのみやりたるほど、ととのひ難(がた)しとて、三円持参。
又もえ上(あが)りたるは
相馬家(さうまけ)の事件(8)いかにおさまらんとすらむ。
大石辞して、大鳥君の兼任されけるより(9)、朝鮮人共の勢ひつよく成けるやにきく。
天台道士杉浦君(10)、『朝日』の紙上に「日支の関係」を論ず。さりよと覚ゆる事多し。
廿八日  晴れ。寒暖計八十度なり。午前(ひるまへ)、区役処に趣く。戸籍の上に少し違ひ たる 処ありて、本郷の区役処に照会するなど、今日中にはまたととのひ難し。此夜、お若たのみにより伊三郎へ文(ふみ)を出す。

(5)華氏温度。華氏90度は、摂氏32.2度、華氏80度は摂氏26.7度、華氏70度は摂氏21.1度、華氏60度は摂氏15.6度。
(6)下谷区役所。本郷区役所送籍状が届き、入籍の届出を要請した呼出しとみられる。
(7)浅草区の質商、今井喜八。入籍の届出には地主の印が必要だった。
(8)相馬事件。奥州の旧相馬藩主相馬誠胤をめぐって10年以上も世間をさわがせた。誠胤は14歳で家督を相続したが精神変調の兆候を示し、居室に監禁された。これを主家のっとりの陰謀と考えた家臣の錦織剛清が私擅監禁罪で告発、これをきっかけでお家騒動となった。
(9)防穀令事件の処理に絡んで、朝鮮駐在弁理公使だった大石正巳が辞任し、大鳥圭介が清国公使と朝鮮公使を兼務した。
(10)『日本人』の創刊などに関わり国粋主義を唱道した杉浦重剛(1855 - 1924)。7月26日・27日付の『東京朝日新聞』に掲載された。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から


二十六日。 雨。 早朝釧之助に手紙を出す。文章はできるだけ鄭重に書き、ひたすら頼んでやる。母上は仲之町に仕立物のことで行かれる。午後出来あがったのを持ってまた行かれる。私も母上も今日はいつもの血の道で時々横になる。母上は日暮れ少し前に三間町に病気見舞に行かれる。よくないようだったとのこと。今日は終日冷え冷えとして、綿入れ羽織を着る人も見かけた。

  あはれいかに今年の秋は身に沁(し)まむ住みもならはぬ宿のタ風

  いづれぞや憂きにえ耐へで入りそむる深山(みたま)の奥と塵の中とは

母のことをご隠居様などと呼ばれたのは昨日までのこと。 此処に移 ってから後は、誰一人として昔を知る人はいないだろう。下品な下町風な言葉で呼ばれるだろうと話していたのに、隣の奥さんがご隠居様とやっばり言う。場所が場所だけに、元の名で呼ばれようとは思いもよらぬことでした。

二十七日。晴天だが涼しい。涼しいというより冷ややかな感じ。二十四日の温度は正午で九十三、四度とあったが、その夜からどんどん下がって二十五日は七十度から八十度、夜になって六十度に下がった。昨日も今日も七十度台。午後、下谷区役所から入籍手続のことで呼び出しが来る。母上は地主の所に印をもらいに行かれる。西村が来る。お金は、頼んだほどは準備できなかったとい って三円持ってくる。
また再燃してきた問題は
〇奥州相馬家の家督相続問題はどう納まるのだろう。
〇大石朝鮮公使が辞任して大鳥支那公使が兼任したことによって、朝鮮人が勢力を強めてきたと聞く。
〇天台道士杉浦重剛氏が「朝日」紙上で日支関係を論じている。その通りだと思われることが多い。

二十八日。晴。温度は八十度。午前区役所に行く。戸籍の上に少し違っている所があって、 本郷の区役所に照会するなど、今日中には済みそうにない。夜、お若の頼みで、山梨に帰っている伊三郎に手紙を出す。

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