一葉日記「塵之中」6
きょうは、明治26年7月25日からです。
廿五日 晴れ。母君、中之町の伊せ久(きう)(1)におちよどの(2)を訪ふ。仕事のせ話(わ)(3)をたのみになり。心よく引うけくれたるよしにて、ゆかた一枚持参。「これを手みせに、これよりは 絶えせず世話をなさんといひける」よし。 国子、直(すぐ)に仕たてにかかる。此タベ、国子と共に三間丁に病人の安否をとひ、 帰路(かへるさ)、花川戸、待乳(まつち)山下(やました)、山谷(さんや)ぼりより日本づつみをかへる(4)。いぬる(5)まで国子と共に家(うち)の善後策を案ず。
(1)新吉原仲之町(江戸町二丁目)にあった引手茶屋(いったん客を迎えて、遊女屋に案内する茶屋)の伊勢久。
(2)木村千代。伊勢久の女中頭をしていたようだ。
(3)内職である仕立物のあっせん。
(4)三間町のある駒形橋西詰から今戸橋まで隅田川べりを進むと途中に花川戸町がある。山谷堀の河口の小高い丘、浅草寺末本龍院にあるのが待乳山。さらに日本堤が三ノ輪までつづいている。この道筋で一葉は、仕入れ先を何軒か物色して歩いたようだ。
(5)寝る。
「落ぶれてそでに涙のかかるとき人の心の奥ぞしらるる」とは、けにいひける言葉哉(かな)。たらぬことなき其むかしは、人はたれもたれも情(なさけ)ふかきもの、世はいつとてかはりなきものとのみ思ひてけるよ。人世之行路難(じんせいのかうろなん)は、人情反(はん)ぷく(6)の間(あひだ)にあるこそいみじけれ(7)。父兄(ちちあに)よにおはしましける昔しの人も、ここにかく落(おち)はふれぬる今日の人も、見るめに何のかはりは覚えざれど、心ざまのいろいろをみれば、浮世さながらうつろひぬる様(やう)にこそおぼゆれ。さればこそ人に義人君子(ぎじんくんし)とよばるるは少なく、貞女孝子(ていぢよかうし)子のまれなるぞ 道理なる。人は唯(ただ)、其時々の感情につかはれて一生をすごすもの成けりな。あはれ、はかなのよや。さりとては又哀れのよや。かの釧之助(8)が、我家に対して其むかし誠をはこびけるも、昨日今日のつれなき風情も、共に其こころのうつしゑ(9)成けり。今にもあれ、我が国子をゆるさん(10)といはば、手のうらを返さぬほどにそのあしらひの替りぬべきは必定(ひつぢやう)也。をかしや、うきよのさまざまなる。ここには又かかる恋もありけり。其かみは我家(わがうち)たかく、彼家(あのうち)いやしく、欲より入(いり)て我(わが)はらからを得んとこひ願ひけめ。やうやう移りかはりては、かしことみて我れ貧(ひん)なるから、恩をきせてをしいただかせんとや計りつらむ。夫(それ)にもしたがふべき気色の見えぬを、いとつらにくく、ロをしくおもひて、扨(さて)はこたびの事を時機(しほ)に、おもひのままにくるしめんとたくらみけるにや。こは我がおもひやり(11)の深きにて、あるひはさる事もあらざるべし、とはおもへども、彼(あ)れほどの家に五円、十円の金なき筈(はず)はあらず。よし家にあらずとて、友もあり知人(しるひと)もあり、男の身のなさんとならば成らぬべきかは。殊(こと)に母君のかしら下ぐる計(ばかり)にの給ひけるをや。とざまかうざまに(12)おもへど、かれは正(まさ)しく我れに仇(あだ)せんとなるべし。よし仇せんとならばあくまでせよ。樋口の家に二人残りける娘の、あはれ骨なしか、はらはた(13)なしか。道の前には羊にも成る(14)べし。仇とききて、うしろを見すべき我々にもあらず。虚無のうきよに好死処(よきしにどころ)あれば事たれり。何ぞや、釧之助風情が前にかしらをし下(さ)ぐるべきかは。上に母君おはしますにこそ何事もやすらかにと願ひもすれ、此一度(このひとたび)ふみを出して、其返事のも様に寄りては、とおもふ処ありけり。(6)心変わり。裏切り。
(7)ひどくつらいことだ。
(8)西村釧之助。前日、母が借金に出向いたが断られた。また、この年の4月には、妹くにへの釧之助の求婚を断っている。
(9)幻燈で映し出された映像。
(10)嫁にやる。
(11)先の見通し。洞察。
(12)あれやこれや。
(13)腹の据わった。
(14)道理に合った行いの前には羊のように従順にもなる。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
二十五日。晴。仕事の世話を頼みに母上は吉原仲之町の伊勢久にお千代さんを訪ねて行かれる。心よく引き受けてくれたとかで、浴衣を一枚持って帰られる。
「これで縫いぶりを見せてもらって、それによって今後ずっとお世話しましょう」
と言われたとのこと。邦子がすぐに仕立てにかかる。夕方邦子と三間町に病人の見舞に行き、帰りは花川戸から待乳山の下を通り、山谷堀に添って日本堤を帰る。寝るまで邦子と商売のことの善後策を考える。
落ちぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる
とは本当にうまく言った言葉です。生活に不自由のなかった昔は、人は誰でも情け深く世間はいつも変わりのないものとばかり思っていたのでした。人生の行路のむずかしいのは、この人情があてにならない所にあるのです。これはほんとに悲しいことです。父や兄がまだ存命中だった頃の昔の人も、このようにすっかり落ちぶれてしまった今の時代の人も、見た目には何の変わりもないように見えるが、その心の様子を見れば、世の移り変わりと同じようにすっかり変わってしまったと思われる。だからこそ義人とか君子とか言われる人は少なく、貞女や孝子と言われる人が少ないのも当然のことです。とかく人はその時々の感情に支配されて一生を過ごすものと言えよう。思えば何とはかない人の世よ、哀れな人の世よ。あの西村釧之助が我が樋ロ家に対して昔は真心を尽くしていたのも、また昨日今日の薄情な態度も、世情人情の移り変わりをそのまま見せつけるものです。今すぐにでも妹邦子との縁談を認めようとでも言うなら、掌を返すようにすぐその態度が変わるのはきまっている。浮世とはほんに面白いものよ。ここにはまたこんな変わった恋もあったことよ。昔は我家の方が生活程度が高く彼の家の方が貧乏だったので、欲から出て私の妹を手に入れようと願ったのでしょう。ところが時代が変わって先方が豊になりこちらが貧乏になったので、此度は恩を着せて押し頂かせようと考えたのでしょう。それにも従う様子を見せなかったので、ひどく憎々しく、くやしく思って、それで今度のことを機会に思いのままに苦しめてやろうとたくらんだのでしょう。こう思うのは私の思い過ごしで、あるいはそんなことはなかろうとも思われるが、しかし彼ほどの暮らしの家に五円十円のお金がないはずはあるまい。仮に家になくても友もあれば知人もある。男として何で出来ないことがあろう。ことに母上が頭を下げんばかりにして頼まれたのではないか。あれこれ思い巡らしてみるに、彼はまさしく私たちに害を加えようとしているのに違いない。よし害を加えようとするのなら勝手に加えるがよい。樋口の家に二人残った娘が、ああ骨なしか 腸(はらわた)なしかは見せてやろう。道理の前には羊のようにおとなしくもなろう。しかし敵と聞いてうしろを見せるような私たちではない。この空しい人の世に好い死に場所が得られるならそれで十分です。何をあの釧之助ごとき者の前に頭を下げようか。上に母上がおいでだからこそ万事おだやかにと願いもするが、もう我慢も出来ない。あと一度だけ手紙を出してみて、その返事次第ではただではおかぬぞと決意するところがあった。
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