一葉日記「塵之中」5
きょうは、明治26年7月22日からです。
二十二日 晴れ。今日は土曜日也。小石川の積古日いかならむとおもひやらる。母君、中橋の伊せ利(1)を訪(と)ふ。あきなひの事につきて也。送籍(そうせき)(2)のことたのみに久保木へ手紙出す。昨日今日は、家内(うち)の掃除、つくろひなどにてひまなし。
廿三日 晴れ。朝より伊せ利きたる。店に棚つりなどして午前(ひるまへ)をすぐ。午後(ひるすぎ)、かへるさながら問屋にかけ合ひくれんといふ。「誰にまれ諸共(もろとも)に」とあるに、「さらば我を伴ひ給へ」とて共にゆく。門跡前(もんぜきまへ)に中村屋忠七とよべるが(3)、伊せりの昔し馴染(なじみ)なるよしにて、此処(ここ)へ周旋す。「五円計(ばかり)の品ととのヘくれよ(4)」といふ。手つけとして一円渡す。明日、荷はもち込むべき約束。伊せ利は、「明後朝(あさつてあさ)、かざりつけに来たらむ」といふ。諸事し終へてかへる。此五円の金も、今は手もとになし。かねて伊三郎の、「夫(それ)ほどはかならず調(こしら)へん」といひけるをあてになしけるなれば、 母君直(すぐ)に三間丁(さんげんちやう)(5)に趣く。 おもふままならぬこそ浮(うき)よ成けりな。伊三(いさ)が妻(6)、昨夜(ゆうべ)より急病にて、旅の空といひ、持てる金も多からざる上、さる人にあづけたる金の返らざるなどにて、右左(みぎひだり)むくよしもなき処へ、故(ふる)さと(7)に残したる妻も俄(にはか)のわづらひにて、留守の騒ぎ大方ならざるよし。「秋蚕(あきご)のはきたて(8)にかかりける最中、男子(をとこ)なくして侘合(わびあ)へるもさこそと思へば、此地の人の病ひ少しひま見えば、一度ふる郷(さと)にかへりて又なす方(かた)もあらむ」など、「かしこにもいと難儀の折からなり」といふ。「扨(さて)はせんなし。この上は西村の方を」といふ。今日、上野君(9)来訪されたり。
(1)京橋区中橋広小路に住んでいた石井利兵衛。荒物などを扱う雑貨商と見られている。
(2)民法の旧規定で、婚姻や養子縁組などにより、その人の戸籍を他家の戸籍に送り移すこと。戸籍用紙に人別の登記事項と戸主の氏名や身分を記して送籍状を作り、原籍地の区長から入籍地の区長へ送った。
(3)「門跡」は、本願寺の称。ここでは東本願寺のこと。屋号は栄寿軒といい、荒物問屋と石けん造りを商売にしていたという。
(4)小学館全集の脚注には「調達した金を三等分して、三分の一を家賃に、三分の一を仕入れに、残りの三分の一を生活費と店の模様替えに使う考えであった。『仕入帳』によれば、五円五十銭の品を最初に仕入れている。生活費は十円を必要とするので、不足分は伊三郎から借りるつもりであった。しかし、すでに家賃と生活費に手持金をまわしてしまい、急いで伊三郎のもとに赴いたのである」とある。
(5)浅草三間町。当時の東京市浅草区に所属。
(6)伊三郎のめかけ、おわか。
(7)山梨県の大藤村。伊三郎は、出稼ぎのようにして上京したという。
(8)「秋蚕」は、7月下旬以降に飼育される蚕。 「はけたて」は、養蚕で、卵からかえったばかりの蚕を蚕卵紙から掃き取って他の紙か蚕座へ移すことをいう。かなりの重労働。
(9)上野兵蔵。
廿四日 早朝うす曇り。 母君、小石川(10)に行く。正午(ひる)ちかくまで帰り給はず。問屋より今日荷の来べき約なれば、「いか様(やう)にせん」と案じわづらふ。十二時、母君帰宅。 西村にて、「とと のひ難し」といひけるよし。かねて道具を引受けくるる約にて、送り置ける其料(そのしろ)二十金がほど、「早々(はやくはやく)」といひけるを、「来月まで」といひ延びに成しなれど、かかるいそぎの折から他に道もなし。「五円にてもよし、今直(すぐ)にを」とみそか母君の給ひけれど、「三十日(みそか)ちかくにはあり、いかにして」と断りしかば、「さらば、何ほどなりとも出来るほどをととのヘくれよ、かかる次第なれば」と、事のわけをうち明(あか)してたのみたまひけれど、「いかにしても出来がたし」と断りける上、 「お常(11)などの失礼なる詞(ことば)いひける」よしの給ふ。「かへるさに久保木にも頼みけれども、かしこにても出来ず。いかにせむ」との給ふ。「さてはせんなし。先づ問屋の方に断りいひ置(おか)ん」とて、直(すぐ)に家を出づ。 田中(12)より車にてはしらす。今荷ごしらへの最中(さいちゅう)成しかば、事つくろひて一日二日(いちにちふつか)の猶予(いうよ)をいひ入る。ここはわけもなくすみけり。これより直(すぐ)に伊せ利にも断りいひやる。日没少し前、母君、三間丁を訪ふ。伊三郎すでに帰国の後(あと)也。 此夜、かれがもとへ金子(きんす)たのみの文(ふみ)を出す。 国子と共に吉原にあそぶ。一々記(いちいちしる)すことかたし。此日母君、三枝(さえぐさ)を訪(と)ふ。
(10)小石川表町の西村釧之助宅。
(11)釧之助の妹。
(12)田中町。吉原遊廓の大門の前にある町。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
二十二日。晴。今日は土曜日なので萩の舎の稽古はどうしているだろうか思いやられる。母上は商売の相談に日本橋中橋の伊勢利を訪ねて行かれる。移転手続を頼む手紙を久保木に出す。昨日今日は家の中の掃除や整理で忙しい。
二十三日。晴。朝から伊勢利が来る。店に棚を吊ったりして午前を過ごす。午後帰りがけに問屋と交渉してくれるという。
「誰か 一人、一緒に交渉に来てもらいたい」
というので、
「では私を連れて行って」
といって、一緒に行く。浅草東本願寺別院門跡前の中村屋忠七という人が伊勢利の昔馴染だというので紹介される。五円ほどの品を取揃えてくれるように頼み、手付けとして一円渡す。明日荷物は届ける約束で、伊勢利は明後日の朝に飾り付けに来るということで、すべて話がついて帰る。しかしこの五円の金は今は手元にない。前から伊三郎がその程度の金ならば必ず準備するといったのを、当てにしてのことなので、母上はすぐに三間町の伊三郎の所に行かれる。本当に思うようにならないのが浮世というものよ。伊三郎は、
「実は東京の妻が昨夜から急病で、その上私は旅先にいるような身で持っている金も多くなく、それに別の人に預けた金も返らず、どうにも動きがとれないのです。故郷に残している妻もまた急病で、私の留守のことでもあり大騒ぎとなり、それにまた秋蚕の世話に追われている最中で、男手が足りず困っているというので、この東京の妻の病気が少し快くなったら一度山梨に帰って今後の方針を考えようと思っているのです。田舎でもひどく困っているので」
と話したとのこと。これではどうにもならない。この上は西村釧之助に頼むよりほかはないということになる。今日、上野兵蔵氏が見えた。
二十四日。早朝、薄曇。母上は小石川の西村の所に行かれる。正午近くまで帰って来られない。問屋からは今日荷が着く約束なので、どうしたらよいか心を悩ます。十二時に母上帰宅。西村の言い分では、どうしても調達出来ないとのこと。かねて引き受けてくれるという約束で送っておいた道具類の代金二十円ほどを、できるだけ急いでと頼んだが、来月まで待ってくれと言うことで延び延びになっていたのだが、
「こんな急ぎの時でもあり、他に方法もないので、そのうちの五円でもよいから今すぐに」
と母上は言われたのだが、
「月末近いことでもあり、どうしても都合がつかない」
と断ったので、
「では幾らでもよいから、出来るだけを何とかしてほしい。実はこういう訳なので」
と、 事の次第を打ち明けて頼まれたのですが、
「何と言われようとも駄目です」
と断り、さらにそればかりでなく釧之助の妹のお常が失礼なことを言ったとのこと。
「帰りに久保木にも寄って頼んでみたが、そこでも出来なかった。どうしたらよかろう」
とおっしゃる。こうなってはどうにも仕方がない。まず問屋の方に断りを言っておこうということになって、私はすぐに家を出る。田中町あたりから車で走らせる。丁度荷造りの最中だったので、適当に話して一日二日待ってもらうように頼む。ここはわけもなくすんだ。それからすぐに伊勢利にも断りを言ってやる。日暮れ少し前に母上は三間町に行かれる。伊三郎は既に帰国してしまっていた。夜、彼のもとにお金を頼む手紙を出す。邦子と 一緒に吉原を散歩。 一々詳しくは書けない。母上は今日三枝氏の所にも訪ねて行かれた 。
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