一葉日記「塵之中」4
きょうは、明治26年7月20日からです。
廿日 薄曇り。家は十時といふに引払ひぬ。此ほどのこと、すべて書つづくべきにあらず。
此家(このいへ)は下谷よりよし原がよひの只一筋道(ただひとすぢみち)にて(1)、タがたよりとどろく車の音、 飛(とび)ちがふ燈火(ともしび)の光り、たとへんに詞(ことば)なし。行く車は午前一時までも絶えず(2)、かへる車(3)は三時よりひゞきはじめぬ。もの深き本郷の静かなる宿より移りて、ここにはじめて寐(い)ぬる夜(よ)の心地、まだ生れ出でて覚えなかりき。家は長屋だてなれば、壁一重(かべひとへ) には人力ひ くおとこども住むめり。「商(あきな)ひをはじめての後はいかならむ。其ものどももお客なれば、気げんにさからはじとつとむるにこそ。『くるわ近く人気(じんき)あしき処』と人々語りきかせたるが、男気(をとこげ)なき家の、いかにあなづられてくやしき事ども多からむ。何事もわれ一人はよし。母 は 老ひたり、邦子はいまだ世間をしらず、そがおもひわづらふ気色(けしき)を見るも哀(あはれ)也。さてあきなひはいかにして始むべき」など、千々(ちぢ)にこころのくだけぬ。蚊のいと多き処にて(4)、藪蚊(やぶか)といふ大きなるがタ暮よりうなり出(いづ)る、おそろしきまで也。「この蚊なくならんほどは、綿入(わたいれ)きる時ぞ」とさる人のいひしが、冬までかくてあらんこと侘(わび)し。
井戸はよき水なれども深し。何事もなれなば、かく心ぼそくのみあるべきならず。知る人も出来、あきなひに得意もふゆべし。そは憂しとても程なき事也。唯(ただ)かく落(おち)はふれ行ての末に、うかぶ瀬(5)なくして朽(くち)も終らば、つひのよに斯(か)の君(6)に面(おもて)を合はする時もなく、忘られて、忘られはてて、我が恋は行雲(ゆくくも)のうはの空に消ゆべし(7)。昨日(きのふ)まですみける家は、かの人のあしをとどめたる事もあり。まれには、まれまれには、何事ぞの序(ついで)に、家居(いへゐ)の さまなりとも思ひ出でて、「我といふものありけり」とだにしのばれなば生けるよの甲斐(かひ)ならましを、行(ゆく)ゑもしれずかげを消して、かくあやしぎ塵の中にまじはりぬる後、よし何事のよすがありておもひ出られぬとも、夫(それ)は「哀(あは)れふびん」などの情(なさけ)にはあらで、「終(つひ)に此(この)よを清く送り難く、にごりににごりぬる浅ましの身」とおもひ落され、更にかへりみらるべきにあらず。かくお もひにおもへば、むねつとふさがりていとどねぶりがたく、暁の鳥はやう聞えぬ。此宵(こよひ)は大雷(おほかみなり)にて、稲(いな)づま恐ろしく光る。
廿一日 夕べより降けこよひ(稲づま恐ろしく光る。) る雨なごりなく晴れて、いとしのぎよし。はがきしたゝめて、これかれ十軒ほど出す。今宵は少し寐られたり。
(1)坂本通りから三島神社の角を東へ曲ると、揚屋町の非常門までが直線状の茶屋町通りとなる。山の手、日本橋方面からの近道にあたり、交通量が多かった。
(2)吉原の店は午前2時ごろまで開いていたという。
(3)朝帰り客の。
(4)竜泉寺町を舞台にした「たけくらべ」にも「欠伸(あくび)の数も尽きて、払ふとすれど名物の蚊に首筋額ぎわしたたか螫(さ)され」などとある。
(5)没落した人が苦境を抜け出てひとなみの人生にもどる機会。
(6)半井桃水。
(7)この経験が「ゆく雲」の素材になったとみられる。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
二十日。薄曇。家を引き払ったのは十時でした。この間の事情はとても書き尽くすことは出来ない。
この家は下谷から吉原へ通うただ一本の道筋にあるので、夕方から響く車の音や入り乱れる車の提灯の燈りなどは全くたとえようもない。行く車は午前一時までも絶えず、帰る車は三時ごろから響き始める。通りから引込んだ本郷の静かな家から移って来て、ここでの初めての気持ちは、生まれて初めてのものでした。家は長屋なので壁一重向こうには人力車を引く男たちが住んでいるらしい。商売を始めればこんな人たちもお客なので機嫌を害さないようにつとめねばなるまい。遊廓の近くで人情や気風も悪い所だというので、男気(おとこげ)のない我家はどんなにか軽蔑されてくやしい思いもすることでしょう。何事も私一人は我慢も出来ようが、 母は年老いており、邦子はまだ世間を知らないし、色々心配している様子を見るのも可哀相な気がする。さて商売はどのように始めたらよいのかと色々に心を砕くばかりでした。ここは蚊がとても多い所で、藪蚊という大きなのがタ方から唸るようにでてくる様子は本当に恐ろしい気がする。この蚊が出なくなるころはもう綿入れを着る季節だと人が言うが、冬までこんな状態が続くのかと思うとわびしい。
井戸は水質はよいが深いので汲むのは大変。何事も馴れてくれば、こんなに心細いことばかりでもあるまい。知り合いも出来てお客も増えるだろう。わびしいといってもそう長い期間ではあるまいと思う。然し、このまま落ちぶれ果ててしまって、一生涯あのお方にお会いすることも出来ず、忘れられてしまって、私の恋は流れる雲のように空しく消えてしまうのだろうか。昨日まで住んでいた家にはあの方がお見えになったこともあり、時には、いやほんの時たまにでも何かの折にはあの家の様子でも思い出して、ついでに私という者がいたということだけでも思い出して下さるなら、私もこの世に生まれた甲斐があったと言えるでしょうが、何処へ行ったのか行方も判らなくなって、遂にはこんなみじめな塵の中に埋もれてしまっては、かりに何かの都合で思い出されたとしても、それは私に対する哀れみの感情ではなく、この世を美しく生きることも出来ず穢れはててしまった浅ましい女だとさげずんで、もう二度と思い出して下さることもないでしょう。あれこれと次から次に思い続けると、もう胸は一杯になって眠ることも出来ないうちに早くも夜が明けたのでした。夜はひどい雷で稲妻が恐ろしいほど光っていた。
二十一日。昨夜からの雨はすっかり晴れて大変凌ぎよい。はがきを書いてあれこれ十軒ほどに出す。今夜は少し眠ることが出来た。
コメント
コメントを投稿