樋口一葉「たけくらべ」34

 きょうは第16章の後半。「たけくらべ」の最後の部分です。


美登利はかの日を始めにして、生れかはりし様の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても(1)町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば、今に今にと(2)、空約束《からやくそく》はてしなく、さしもに(3)仲よしなりけれど、正太とさへに親しまず、いつも恥かし気に顔のみ赤めて、筆やの店に手踊(4)の活溌《かつぱつ》さは再び見るに難《かた》くなりける。人は怪しがりて、病ひの故《せい》かと危ぶむもあれども、母親一人ほほ笑みては、「今にお侠《きやん》(5)の本性は現れまする、これは中休み」と子細《わけ》ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、「女らしう温順《おとな》しうなつた」と褒めるもあれば、「折角の面白い子を種なし(6)にした」と誹《そし》るもあり。表町は俄《にはか》に火の消えしやう淋しくなりて、正太が美音《びおん》(7)も聞く事まれに、唯夜な夜なの弓張提燈《ゆみはりでうちん》(8)、あれは日がけの集めとしるく(9)、土手を行く影そぞろ寒げに、折ふし(10)供する三五郎の声のみ何時に変らず滑稽《おどけ》ては聞えぬ。

(1)少しも。全然。
(2)今すぐにも遊びに行くと。
(3)あんなに。
(4)手だけを動かす簡単な踊。
(5)おてんば。「きゃん」は「侠」の唐音。
(6)だいなし。
(7)きれいな音声。正太郎は歌うのが得意だった。
(8)竹を弓のように曲げ、その上下にひっかけて張り開くようにした提灯。
(9)はっきり分かる。
(10)ときどき。


龍華寺の信如が我が宗の修業の庭(11)に立出《たちいづ》る風説《うわさ》をも、美登利は絶えて聞かざりき、ありし意地(12)をばそのままに封じ込めて、此処しばらくの怪しの現象《さま》(13)に、我れを我れとも思はれず(14)、唯何事も恥かしうのみありけるに、或る霜の朝、水仙の作り花(15)を格子門《かうしもん》の外よりさし入れ置きし者のありけり。誰れの仕業と知るよしなけれど、美登利は何ゆゑとなく懐《なつ》かしき思ひにて、違ひ棚(16)の一輪ざしに入れて、淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに伝へ聞く、その明けの日(17)は信如が何がしの学林(18)袖の色かへぬ(19)べき当日なりしとぞ(20)。(終)

(11)自身の宗派の学校。
(12)かつて抱いていた信如に対する意地。
(13)初潮にともなう生理的・精神的な変調。
(14)ぼう然として言葉もでないさま。
(15)水仙の造花。美登利への信如の思いがこめられている。
(16)二枚の棚板を左右段違いに取り付けた棚。床の間の脇などに設ける。
(17)翌日。
(18)なんとかいう僧侶の学校。
(19)袖の色を黒染めに変える。出家することを意味する。
(20)であったということだ。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から

美登利はあの日を境にして生まれ変わったような身の振舞いで、用のある折りは廓の姉のもとにこそ通うが、決して町に遊ぶことはせず、友達が淋しがって誘いに行けば今に今にと空(から)約束ばかりがはてしなく続き、あれほどの仲よしであったのに正太とさえ親しくせず、いつも恥かしげに顔だけを赤らめて筆屋の店で手踊りした活発さは再び見るのが難しくなった こと、人は訝しんで病のせいかとあやぶんだりもしたが母親一人が微笑んでは、今におきゃんの本性あらわれまする、これは中休みとわけありげに言って、わからない人には何のこととも見当がつかず、女らしくおとなしくなったと褒める者もあればせっかくの面白い子をだいなしにしたとそしる者もあり、表町は急に火が消えたように淋しくなって、正太の美声を聞くことも稀で、ただ夜な夜なの弓張提燈、あれは日がけの集めとはっきりしていて土手を行く影が何とも寒そうで、時折りお供をする三五郎の声だけがいつになっても変わらずおどけて聞こえるのだった。

龍華寺の信如が自分の宗の修行の庭に入る噂をも美登利は絶えて聞かなかったもの、かつての意地をそのままに封じ込めて、ここしばらくの訝しいさまに自分を自分とも思えず、ただ何事も恥かしいばかりであったのだが、ある霜の降りた朝水仙の作り花を格子門の外から差し入れておいた者があった、誰のしたことか知るすべはなかったけれども、美登利は何故ともなく慕わしい思いがして違い棚の一輪ざしに 入れて淋しく清らかな姿をめでていたが、聞くともなしに伝え聞いたのはそのあくる日は信如が例の学校に入り袖の色を替えてしまったまさに当日であったこと。

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