一葉日記「塵之中」1
きょうから、下谷区龍泉寺町での生活が記録された一葉の日記「塵之中」です。明治26年7月15日から始まります。
十五日(1)より家さがし(2)に出づ。朝日のかげまだ見え初(そめ)ぬ ほどより、和泉丁(いづみちやう)、 二長町(にちやうまち)(3)、 浅草にかけても 鳥越(とりごえ)より柳原(やなぎはら)、蔵前(くらまへ)あたり(4)まで行く。此度(このたび)のおもひたちは、もとより店(みせ)つきの立派なるも願はず、 場処のすぐれたるをものぞまず。「料(れう)ひくくして(5)人目にたつまじきあたりを」とのさだめなれば、つとめて小家(こいへ)がちにむさむさとせし処をのみ尋ぬ。はやうより(6)世に落(おち)はふれて(7)、たよりなくささやかなる処にのみすみけるものから(8)、猶門格子(かどがうし)はかならずあり、庭には木立(こだち)あり、家には床あるものとならひける を、天井(てんじやう)といはば、くろくすすけて 仰ぐも憂く、柱ゆがみ、ゆかひくく、軒は軒につづき、勝手もとは勝手元に並らびぬ。さるが上(9)に、大方は畳もなく、ふすまもなく、唯(ただ)家といふ名計(ばかり)をかす成けり。はじめのほどは、あまりの事にあきれて、戸のそとより見けるばかり、入て尋ぬべき心地もせざりしが、「かくて行々(ゆきゆき)たりとも、はてもなし。とまれ(10)訪(と)はん」とて、其(その)隣の家につきてとふ。親切にこれかれ語りて聞かするもあり、にくにく敷(しく)、「差配(さはい)(11)に行きて問ひ給へ」といふもあり。差配と聞えし男の四十計(ばかり)にて、かしらはげたるが、帳場格子(ちやうばがうし)(12)やうなるものをひかへて、そろばんはじき居るうしろに、中元の礼にやもらひけん、ささやかなる砂糖袋(13)、さては素麺(そうめん)などやうのものをひしと(14)ならべて、いと大風(おはふう)(15)にものいふもにくし。
(1)日記の表書きには「廿六年七月」(明治26年7月)。署名は「なつ子」となっている。
(2)店を出すための家。
(3)神田区和泉町(神田和泉町)、下谷区二長町(現在の台東区台東1~2丁目の一部)。
(4)浅草区西鳥越町、元鳥越町、向柳原、御蔵前片町。二長町南隣の商業地区。
(5)家賃が安く。
(6)芝区高輪北町に住んでいたころからを指すとみられる。
(7)落ちぶれ、さすらって。
(8)住んでいたとはいえ。
(9)その上。
(10)ともかく。いずれにせよ。
(11)貸家を管理する人。差配人。
(12)商店などで、帳付けや勘定をする帳場のかこいに立てる、低いついたて格子。多くは二つ折りか三つ折り。
(13)出入りの商人が中元の贈り物にするもっとも一般的な品だった。
(14)びっしり。
(15)えらぶって人を見くだすような態度。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドロエー、1993.12)から
(七月) 十五日から家探しに出かける。朝日がまだ登らない頃から神田の和泉町、 二長町、 また浅草にか けても鳥越町、柳原町、 蔵前町あたりまで行く。今度の家探しは店舗の立派なのや場所柄のよい所を望んでいるのではない。家賃が安く、人目にたたない所をと考えているので、 つとめて小家が多くむさくるしい場所ばかりを探して歩く。もう長い間落ちぶれて細々と小さな家にばかり住んできたとは言っても、家には門や格子戸は必ずあり、庭には木立ちがあり、座敷には床の間があったのに、どの家も天井は黒くすすけて、見るのも不愉快で、 柱はゆがみ床は低く、軒続きの長屋で勝手元も隣のと並んでいる。その上殆どは畳もなく襖もない。ただ家という名前をつけただけのものです。初めのうちはあまりのことにあきれて、 外から覗くだけで中に入って見る気にもならなかったが、こんな調子では切りがないので、 ともかくも尋ねようと思って隣の家で様子を聞く。親切に話してくれる者もあれば、迷惑そうに 「差配人に聞きなさい」 という者もある。その差配人という男は四十歳ばかりで、 頭は禿げ、帳場格子の向こうに坐って算盤をはじいている。その後ろには中元に貰った品であろう小さな砂糖袋や素麺などをずらりと並べ、ひどく威張って話すのも憎らしい。
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