樋口一葉「たけくらべ」20

 きょうは第9章の後半です。

父親《てておや》和尚は何処《どこ》までもさばけたる(1)人にて、少しは欲深の名にたてども、人の風説《うはさ》に耳をかたぶけるやうな小胆《せうたん》にてはなく、手の暇あらば熊手の内職もして見やうといふ気風なれば、霜月の酉《とり》(2)には論なく門前の明地《あきち》(3)に簪《かんざし》の店を開き、御新造に手拭ひかぶらせて縁喜《ゑんぎ》(4)のいいのをと呼ばせる趣向、はじめは恥かしき事に思ひけれど、軒ならび素人の手業《てわざ》にて莫大《ばくだい》の儲《もう》けと聞くに、この雑踏の中といひ、誰れも思ひ寄らぬ(5)事なれば、日暮れよりは目にも立つまじと思案して、昼間は花屋の女房に手伝はせ、夜に入りては自身《みづから》をり立て呼たつるに、欲なれやいつしか恥かしさも失せて、思はず声《こわ》だかに、「負ましよ負ましよ」と跡を追ふ(6)やうになりぬ。人波にもまれて買手も眼《まなこ》の眩《くら》みし(7)折なれば、現在後世《ごせ》(8)ねがひに一昨日《おとつひ》来たりし門前も忘れて、「簪《かんざし》三本(9)七十五銭」と懸直《かけね》すれば、「五本ついたを三銭(10)ならば」と直切《ねぎ》つて行く、世はぬば玉(11)闇《やみ》の(12)儲《もうけ》はこのほかにもあるべし。

(1)世慣れしている。気が利いている。
(2)酉の市。
(3)空地。
(4)縁起。縁起のいいかんざしを売る。
(5)お寺の奥さんが商売をしているとは思わない。
(6)お客の。
(7)心を奪われて、正常な判断ができなくなる。
(8)現に、極楽往生を。
(9)紙一枚にかんざしが3本か5本さしてある。
(10)「73銭」のことを略している。
(11)「闇」の枕詞。
(12)ひそかな。

信如はかかる事どもいかにも心ぐるしく、よし檀家の耳には入らずとも、近辺の人々が思はく、子供仲間の噂にも龍華寺では簪の店を出して、信さんが母《かか》さんの狂気面《きちがひづら》して売つてゐたなどと言はれもするやと恥かしく、「そんな事は止《よ》しにしたがようござりませう」と止めし事もありしが、大和尚《だいおしやう》大笑ひに笑ひすてて、「黙つてゐろ、黙つてゐろ、貴様などが知らぬ事だわ」とて丸々(13)相手にしてはくれず、朝念仏に夕勘定(14)、そろばん手にしてにこにこと遊ばさるる顔つきは、我親ながら浅ましくして、なぜその頭《つむり》は丸《まろ》め給ひしぞと、恨めしくもなりぬ。
元来《もとより》一腹《ぷく》一対《つゐ》(15)の中に育ちて、他人交ぜずの穏かなる家の内なれば、さしてこの児《こ》を陰気ものに仕立あげる種はなけれども、性来おとなしき上に我が言ふ事の用ひられねば、兎角《とかく》に物のおもしろからず、父が仕業も母の処作《しよさ》も姉の教育《したて》も、悉皆《しつかい》(16)あやまりのやうに思はるれど、言ふて聞かれぬ物ぞと諦《あきら》めれば、うら悲しき様に情なく、友朋輩《ほうばい》は変屈者の意地わると目ざせども(17)、自《おのづか》ら沈みゐる心の底の弱きこと、我が陰口を露ばかりも(18)いふ者ありと聞けば、立出でて喧嘩口論の勇気もなく、部屋にとぢ籠《こも》つて、人に面《おもて》の合はされぬ臆病《おくびやう》至極の身なりけるを、学校にての出来ぶりといひ、身分がらの(19)卑しからぬにつけても、然《さ》る弱虫とは知る者なく、「龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうに真《しん》(20)があつて気になる奴」と憎くがるものもありけらし。
(13)全く。全然。「坊主頭の丸いのにつながる」との見方もある。
(14)天台宗で、朝、法華懺法を行い、夕に念仏を唱える例時作法を修することを「朝題目に夕念仏」というが、こうした言い方のもじりか。夕方は銭勘定に忙しく、念仏どころではない。
同じ父母から生まれた兄弟姉妹。一腹一生。
(16)全部。すべて。
(17)見なしているが。
(18)わずかばかりも。
(19)僧侶の子としての。
(20)芯。煮えきらずに固い部分。子どもらしく評している。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から


父親の和尚はどこまでもさばけた人であって、少しは欲深と言われるけれども人の噂に耳をかたむけるような小心者ではなく、手があくなら熊手づくりの内職もしてみせようという気風だから、十一月の酉の日にはもちろん門前の空地に簪(かんざし)の店を開き、御新造に手拭をかぶらせて縁起のよい のをと呼びかけさせるしかけ、御新造は初めは恥かしいことに思ったけれど、軒並み素人の商売で莫大な儲けがあると聞くと、この雑踏の中でもあるし誰も思いもよらないことなのだから日暮れ以降は目にもつかないだろうと考えて、昼間は花屋の女房に手伝わせ、夜になってからはみずから立って呼び立てていたら、欲なのだろうかいつの間にか恥かしさもなくなって、思わず声高に負けましょ負けましょと客のあとを追うようになったのだった、人ごみにもまれて買手も目の眩んだ折りなので、現在いるのが来世の思し召しを願いに一昨日(おととい)来た門前なのも忘れて、御新造が簪三本七十五銭と掛け値をすれば、五本ついたのを七十三銭ならと値切って行く、世間には闇商売の儲けはこのほかにもあるというもの、しかし信如はこういうことでも実に心苦しく、たとえ檀家の耳には入らなくても近辺の人々の思惑や、子供仲間の噂でも龍華寺では簪の店を出して、信さんの母(かか)さんが気違い面(づら)して売っていたなどと言われたりするのではと恥かしく、そんなことはよしにした方がようござりましょうと止めたこともあったが、大和尚は大笑いに笑いすてて、黙っていろ、黙っていろ貴様などの知ったことではないわと言ってまるで相手にはしてくれず、朝は念仏夕ベは勘定、算盤(そろばん)を手にしてにこにことなさっている顔つきは自分の親ながら浅ましくて、何故その頭をまるめなさったのかと恨めしくもなるのだった。

もともと実の両親きようだいの中に育って他人の交じらない穏やかな家の中なので、さしてこの子を陰気者に仕立て上げる種はないのだが、生来おとなしい上に自分のいうことか聞き入れられないと面白くなく、父のすることも母のすることも姉のしつけも、すべてあやまりのように思えるけれど言っても聞いて貰えないものだからと諦めるとうら悲しいように情けなく、友達仲間は偏屈者で意地悪と見なすけれども自然に沈んでしまう心の根本はまあ弱いこと、自分の陰口を少しでも言う者があったと聞くと、出て行って喧嘩口論をする勇気もなく、部屋にとじ籠って人と顔を合わせられない臆病至極の身であったものを、学校でのできぶりや身分柄のいやしくなさのおかげでそんな弱虫とは知る者がなく、龍華寺の信如は生煮えの餅のように芯があって気になる奴と憎らしがる者もあるようであった。

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