樋口一葉「たけくらべ」⑲
きょうから第9章に入ります。
九
如是我聞《によぜがもん》(1)、仏説阿弥陀経《ぶつせつあみだけう》(2)、声は松風に和《くわ》して、心のちりも吹払はるべき御寺様《おんてらさま》の庫裏《くり》(3)より、生魚《なまうを》あぶる烟《けぶ》なびきて、卵塔場《らんたうば》(4)に嬰子《やや》の襁褓《むつき》ほしたるなど、お宗旨によりて搆《かま》ひなき事(5)なれども、法師を木のはしと心得たる(6)目よりは、そぞろに腥《なまぐさ》く覚ゆるぞかし。
(1)経典の冒頭に記される語で、このように私は聞いた、という意。
(2)浄土三部経の一つ。阿弥陀の極楽浄土のすがたをたたえ、この仏の名を称えて、その浄土に往生することを勧めた経典で、浄土宗や真宗で用いる。
(3)本尊への供物や住僧の食事の調理などをするところ。
(4)墓地。墓場。
(5)むかしから浄土真宗では妻帯が許され、明治5年以降は法的に、他の宗派でも許可された。
(6)『枕草子』(第7段)に、「思はむ子を法師になしたらむこそ心ぐるしけれ。ただ、木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ」とある。
龍華寺の大和尚《だいおしよう》、身代(7)と共に肥へ太りたる腹なりいかにも美事に、色つやの好《よ》きこと、如何なる賞《ほ》め言葉を参らせたらばよかるべき。桜色にもあらず、緋桃《ひもも》の花でもなし、剃《そ》りたてたる頭《つむり》より顔より首筋にいたるまで、銅色《あかがねいろ》の照りに一点のにごりもなく、白髪《しらが》もまじる太き眉《まゆ》をあげて、心まかせの大笑ひなさるる時は、本堂の如来《によらい》さま(8)驚きて台座より転《まろ》び落給《おちたま》はんかと危ぶまるるやうなり。
御新造《ごしんぞ》(9)はいまだ四十の上を幾らも越さで、色白に髪の毛薄く、丸髷《まるまげ》も小さく結ひて(10)見ぐるしからぬまでの人がら、参詣人《さんけいにん》へも愛想よく、門前の花屋が口悪る嚊《かか》も兎角《とかく》の陰口を言はぬを見れば、着ふるしの浴衣《ゆかた》、総菜《そうざい》のお残りなど、おのづからの御恩も蒙《かうむ》るなるべし。もとは檀家《だんか》の一人なりしが、早くに良人《おつと》を失なひて、寄る辺なき身の暫時《しばらく》ここにお針やとひ同様、口さへ濡《ぬ》らさせて(11)下さらばとて、洗ひ濯《そそ》ぎよりはじめてお菜ごしらへは素《もと》よりの事、墓場の掃除に男衆《おとこしゆ》の手を助くるまで働けば、和尚さま経済より割出して(12)の御不憫《ごふびん》かかり(13)、年は二十から違うて見ともなき事は女も心得ながら、行《ゆ》き処《どころ》なき身なれば、結句よき死場処(14)と人目を恥ぢぬ(15)やうになりけり。にがにがしき事なれども、女の心だて悪るからねば檀家の者もさのみは咎《とが》めず、総領(16)の花といふを懐胎《もうけ》し頃、檀家の中にも世話好きの名ある坂本の油屋が隠居さま、仲人といふも異な物なれど、進めたてて表向きのものにしける。
(7)財産。資産。
(8)阿弥陀如来像。
(9)他人の妻の敬称。
(10)地味で上品な人柄が表されている。
(11)食べさせてさえ。
(12)損得勘定から。
(13)お手がついて。肉体関係が生じ。
(14)最後のすみか。
(15)同棲を隠し立てしない。
(16)一番上の子。ここでは、長女。
信如もこの人の腹より生れて男女《なんによ》二人の同胞《きようだい》、一人は如法《によほう》の(17)変屈ものにて、一日部屋の中にまぢまぢ(18)と陰気らしき生れなれど、姉のお花は皮薄《かわうす》(19)の二重腮《にぢうあご》かわゆらしく出来たる子なれば、美人といふにはあらねども、年頃といひ人の評判もよく、素人《しろうと》(20)にして捨てて置くは惜しい物の中に加へぬ。さりとてお寺の娘に左《ひだ》り褄《づま》(21)、お釈迦《しやか》が三味《しやみ》ひく世(22)は知らず、人の聞え(23)少しは憚《はば》かられて、田町《たまち》の通りに葉茶屋(24)の店を奇麗にしつらへ、帳場格子(25)のうちにこの娘《こ》を据へて愛敬を売らすれば、秤《はか》りの目(26)は兎に角勘定しらず(27)の若い者など、何がなしに寄つて、大方毎夜十二時を聞くまで店に客のかげ絶えたる事なし。(17)型どおりの。
(18)気遅れして、はっきりした言動がとれない。もじもじ。
(19)きめが細かく透き通るように色の白い肌。
(20)芸者ら「玄人」に対して言っている。
(21)芸者のこと。左手で褄を取って歩くところから。
(22)途方もなく乱れて、筋道の立たない世の中。
(23)世の聞こえ。世間の評判やうわさ。
(24)お茶の葉を売る店。客を遊女屋へ案内する引手茶屋や往来の人に茶を供する水茶屋と区別して用いている。
(25)商店などで帳場のかこいに立てる、低いついたて格子。
(26)目方。
(27)勘定など問題でない。
いそがしきは大和尚、貸金の取たて、店への見廻り、法用(28)のあれこれ、月の幾日《いくか》は説教日の定めもあり、帳面くるやら経よむやら、かくては身躰《からだ》のつづき難しと、夕暮れの椽先《ゑんさき》に花むしろ(29)を敷かせ、片肌ぬぎに団扇《うちわ》づかひしながら大盃《おほさかづき》に泡盛《あわもり》(30)をなみなみと注《つ》がせて、さかなは好物の蒲焼《かばやき》を表町のむさし屋(31)へあらい処(32)をとの誂《あつら》へ、承りてゆく使ひ番は信如の役なるに、その嫌やなること骨にしみて、路を歩くにも上を見し事なく、筋向ふの筆やに子供づれの声を聞けば、我が事を誹《そし》らるるかと情なく、そしらぬ顔に鰻屋《うなぎや》の門《かど》を過ぎては、四辺《あたり》に人目の隙《すき》をうかがひ、立戻つて駆け入る時の心地、「我身限つて腥《なまぐさ》きものは食べまじ」と思ひぬ。(28)法要。法事。
(29)いろんな色に染めた藺草(いぐさ)を織り込んだござ。ひんやりして涼しい。
(30)粟や米を原料とする沖縄特産の焼酎。
(31)実際にあったうなぎ屋。
(32)大串。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
九
如是我聞、仏説阿弥陀経、声は松風と合わさって心のちりも吹き払われるはずのお寺様の庫裏(くり)から生魚をあぶる烟がなびいたり、卵塔場(らんとうば)に赤児のおむつを干してあったりするのは、お宗旨によってかまわないことだけれども、法師を木のはしと心得ている目からは、どうもなまぐさく感じることよ、龍華寺の大和尚の財産と一緒に肥え太った腹はいかにも見事で、色つやのよいのはどのような褒め言葉を差し上げればよいものか、桜色でもなく、緋桃(ひもも)の花の色でもない、剃り立てた頭から顔から頸筋にいたるまで銅色(あかがねいろ)の照りは一点のにごりもなく、白髪もまじる太い眉を上げて心のままに大笑いをなさる時は、本堂の如来様が驚いて台座から転び落ちなさるのではないかとあやぶまれるようである、御新造はまだ四十をいくらも越していなくて、色白で髪の毛が薄く、丸髷も小さく結って見苦しくなくするような人柄、参詣人へも愛想がよく門前の花屋のロ悪嬶(くちわるかか)もあれこれ悪口を言わないところを見ると、着古しの浴衣や、惣菜のお残りなどの御恩をきっと蒙っているのだろう、もとは檀家の一人であったが早くに夫を失って寄る辺(べ)ない身になった時しばらくここにお針子同様に住み込み、食べさせてさえいただければといって洗い濯(すす)ぎから始まり食事の支度はもちろんのこと、墓場の掃除の際にも男衆の手伝いをするほど働いたので、和尚様は損得勘定からお情けをかけ、年は二十から違っていてみっともないことは女も心得てはいたが、行きどころのない身なので結局ここがよい死に場所と人目を恥じないようになった次第、苦々しいことだけれども女の気立てが悪くないので檀家の者もさしては咎めず、上の子の花というのをもうけた頃、檀家の中でも世話好きと言われる坂本の油屋の隠居様が仲人というのも変なものだけれどしきりに勧めて世間で通るかたちにしたもの、信如もこの人の腹から生まれて男女二人のきょうだい、一人は典型的な偏屈者であって一日部屋の中でまじまじとしており陰気臭い生まれつきだけれど、師のお花は美しい肌に二重顎の可愛らしい子なので、美人というのではないけれども年頃でもあるため人の評判もよく、素人にして放っておくのは惜しい者の一人に加えられているのだった、そうはいってもお寺の娘で芸者とは、お釈迦様が三味線をひく世の中ならいざ知らず外聞が少しは憚られて、田町の通りに葉茶屋の店をきれいにつくり、帳場格子の内にこの子を据えて愛敬を売らせると、秤の目はともかく勘定などは念頭にない若い者などが、何とはなしに立ち寄ってたいてい毎晩十二 時の知らせを聞くまで店に客の気配の絶えることがない、いそがしいのは大和尚、貸金の取り立て、店への見回り、法要のあれこれ、月に幾日かは説教日の定めもあり帳面をめくるやら経をよむやらこれでは体がつづかないとタ暮れの縁先に 花むしろを敷かせ、片肌ぬいで団扇を使いながら大盃に泡盛をなみなみとつがせて、さかなは好物の蒲焼を表町のむさし屋へあらいところをと言って誂(あつら)える、言いつけられて行くお使いは信如の役だが、その厭なこと骨にしみて、道を歩くにも上を見ることがなく、筋向こうの筆屋に子供らの声を聞くと自分のことをそしられているのではと考えて情けなく、そ知らぬ顔で鰻屋の門を過ぎてはあたりに人目がないのを見はからい、戻って駆け込む時の心地と来たら、自分だけはなまぐさい物を食べまいと思うのだった。
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