樋口一葉「蓬生日記一」⑥
きょうの日記は、明治24年9月25日と26日の前半。一葉は上野の図書館へ行き『日本紀』などを借ります。
廿五日 晴天成り。小石川の例の月なみ会、この月のいたくのびて(1)今日催すなり。師の君例(いつも)のなやましうせさせたまふ頃なれば、おのれに「はやうより来(こ)よかし」との給はせしみ詞(ことば)もあなれば、十時頃よりして参りぬ。この時七重君(しちじゆうぎみ)も一(ひと)たび定めの旅宿(やど)にかへられぬ。来会者は十八、九名成けん。点取「秋の鳥」てふ題成けり。甲乙は伊東の夏ぬし、おのれとふたり成けり。賞にはうるはしき柿のみ給へり。家に帰りしは日のやうやうくらく成る程成しかば、母君途中までむかひさせ給ひき。此夜お鉱の君よりはがき来る。いたくつかれて今宵も早く打ふしぬ。
廿六日 空少し曇る。早朝千村礼三(ちむられいざう)ぬし、正朔(しやうさく)君と共に来る。 おのれは図書館にふみ見んとてはやう出ぬ。道にて今野はる(2)の商品陳列館(3)に出勤するに逢(あひ)て、伴ひて行(ゆく)。外(ほか)にも今一人居たり。少し早過(はやすぎ)たりけん、まだ館は開かず(4)。「さは恰(あたか)もよし、真下(ました)の槇子(まきこ)とじが墓参りせばや。今日は彼岸の終りの日なるを」とて、谷中へ行。寺僧も今寐起(ねおき)たる計(ばかり)成き。あかくむ(5)も花たづそふるも悲しきものから、いと嬉し。絶(たえ)ず苔(こけ)のしたに聞らむ(6)松風に袂(たもと)ぬらして、手(た)むけもあえず先(まづ)打なげかれぬ。 さるべき子どもなどもなきにしあらず。有ながらはたいかなればか、花手向(たむけ)たる人もなく、水かれ、墓はかはきにたり。しばしおろがみてこゝをば出づ。常なき世とはえおもはじとすれど、猶(なほ)このはかなごとや、みをもはなれざりけり。かしこはまだ開かず。しばし立(たち)つくしてやがて入ぬ。『日本紀』(7)及『花月草紙』(8)『月次消息(つきなみせうそく)』(9)をかりてみる。神代(かみよ)の巻の解(げ)しがたきをしゐてとかんとすれば、あやしうねむくさへ成ぬ。『花月草紙』にねぶりをさまして、『月なみ消息』の流暢(りうちやう)なるをうらやましうおもふもかひなし。
(1)通常は毎月九日だった。
(2)明治23年の邦子宛の書簡に「伊東之春と申娘」とあることから、伊東家から中島へ紹介された以前の小間使いと見られている。
(3)上野公園内の第3回内国勧業博覧会(明治22年)の建物を改築して、産業奨励のための施設がもうけられていた。
(4)図書館の開館は、8時半だったようだ。
(5)供養のため墓石に水を注ぐこと。
(6)『新古今』巻八に「定家朝臣母、身まかりてのち、秋ごろ墓所ちかき堂にとまりてよみ侍りける」として、藤原俊成の「まれにくる夜はもかなしき松風をたえずや苔の下にきくらん」という歌がある。
(7)日本書紀。養老4年(720)成立。神代から持統天皇までを漢文の編年体で記しているが、神代巻と神武紀を閲覧したらしい。
(8)松平定信の随筆。6巻。寛政8 (1796) ~享和3 (1803) 年の間に成立。定信が老中辞職後、擬古文で記した。『筆すさび』『わか艸』の無題の日記の後に「何にまれ花さへ実さへ薫さへ始より得んとてはいかで得ん」の部分を引いて覚書している。
(9)江戸時代中期の女性歌人鵜殿余野子の著した書簡文範疇を、江戸中期から後期にかけての国学者、書家の加藤千蔭が浄書した。一葉『通俗書簡文』に影響を与えている。
二十五日。晴。萩の舎の月例会が今月はひどく延びて、今日開かれた。歌子先生がご病気で、私に来るようにとのお言葉もあったので、十時頃に出かける。その時七重郎氏も決めてあった旅館に帰られた。月例会の出席者は十八、九名だった。点取りは「秋の鳥」という題で、 一位と二位は伊東夏子さんと私だった。賞には綺麗に色づいた柿を戴く。家に帰たのはやゝ暗くなる頃だったので、母上が途中まで迎えに来られた。夜、稲葉のお鉱さんからはがきが来る。 ひどく疲れたので、今夜は早く床に人る。
二十六日。少し曇。朝早く千村礼三氏が稲葉の正朔君と一緒に来る。私は図書館に本を見ようと早く出かける。途中、今野はるさんが商品陳列館に出勤するのに逢って一緒に行く。他にもう一人連れの人がいた。図書館に着いた時は、少し早過ぎたのか、まだ開館していなかった。そこで、ちょうどよい折だから真下槙子さんのお墓参りをしよう、今日はお彼岸の終わりの日だからと思って谷中(やなか)の墓地へ行く。寺のお坊さんも今起きたばかりだった。お水やお花を供えるのも悲しい思いで一杯になったが、一方お詣りできたのは嬉しいことでした。松吹く風の音の寂しさに、いつも苔の下でこの音を聞いていらっしゃるのだろうと思うと、まず涙があふれるのでした。お子さんなどもない訳ではないのに、どうした訳かお花を供える人もなく、お水もなく、墓石は乾いていた。しばらくお詣りをして、ここを出る。人生は無常だとは思い たくないが、然し、やはりこんな悲しい事が身近にあるものです。図書館はまだ開いてなくて、しばらく待って入る。日本書紀、花月草紙、月次(つきなみ)消息を借りて読む。書紀の神代の巻が難解で、苦労して読むうちに眠くなる。花月草紙では眠けをさまし、月次消息では、その流暢な文章をうらやましく思い、我が身の才を嘆くばかりでした。
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