樋口一葉「たけくらべ」16
きょうは第7章の後半部です。
祭りは昨日《きのふ》に過ぎて、そのあくる日より美登利の学校へ通ふ事ふつと跡たえしは、問ふまでもなく、額《ひたい》の泥の洗ふても消えがたき(1)恥辱《ちぢよく》を、身にしみて口惜《くや》しければぞかし、「表町とて横町とて、同じ教場(2)におし並べば、朋輩《ほうばい》(3)に変りは無き筈《はず》を、をかしき分け隔て(4)に常日頃意地を持ち、我れは女の(5)、とても敵《かな》ひがたき弱味をば付目《つけめ》にして、まつりの夜《よ》の処為《しうち》はいかなる卑怯《ひきやう》ぞや。長吉のわからずやは誰《た》れも知る乱暴の上なし(6)なれど、信如の尻《しり》おしなくは、あれほどに思ひ切りて表町をば暴《あら》し得じ。人前をば物識《ものしり》らしく温順《すなほ》につくりて、陰に廻りて機関《からくり》の糸を引し(7)は、藤本の仕業に極《きわ》まりぬ。よし級は上にせよ、学《もの》は出来るにせよ、龍華寺さまの若旦那《わかだんな》にせよ、大黒屋の美登利、紙一枚の(8)お世話にも預からぬ物を、あのやうに乞食呼《よば》はりして貰《もら》ふ恩(9)はなし。龍華寺はどれほど立派な檀家《だんか》ありと知らねど、我が姉《あね》さま三年の馴染《なじみ》(10)に、銀行の川《かわ》様(11)、兜町《かぶとてう》(12)の米《よね》様もあり、議員の短小《ちい》さま、根曳《ねびき》(13)して奥さまにと仰《おほ》せられしを、心意気気に入らねば、姉さま嫌ひてお受けはせざりしが、あの方とても世には名高きお人と遣手衆《やりてしゆ》の言はれし。嘘《うそ》ならば聞いて見よ、大黒やに大巻のゐずはあの楼《いゑ》は闇《やみ》とかや。さればお店《みせ》の旦那とても、父《とと》さん母《かか》さん我が身をも粗畧《そりやく》には遊ばさず、常々大切がりて、床の間にお据へなされし瀬戸物の大黒様をば、我れいつぞや座敷の中にて羽根つくとて騒ぎし時、同じく並びし花瓶《はないけ》を仆《たほ》し、散々に破損《けが》をさせしに、旦那次の間に御酒《ごしゆ》めし上りながら、『美登利、お転婆が過ぎるの』と言はれしばかり、小言はなかりき。他の人ならば一通り(14)の怒りではあるまじと、女子衆《をんなしゆ》(15)達にあとあとまで羨《うらや》まれしも、必竟《ひつきやう》(16)は姉さまの威光ぞかし。我れ寮住居《ずまい》に人の留守居はしたりとも、姉は大黒屋の大巻、長吉風情《ふぜい》(17)に負《ひ》けを取るべき身にもあらず、龍華寺の坊さまにいぢめられんは心外」と、これより学校へ通ふ事おもしろからず、我ままの本性、あなどられしが口惜《くや》しさに、石筆《せきひつ》(18)を折り墨をすて、書物《ほん》も十露盤《そろばん》も入《い》らぬ物にして(19)、仲よき友と埒《らち》もなく(20)遊びぬ。
(1)額の泥は洗えば消えるが、洗っても消えない心の。
(2)教室。
(3)同じ先生についたりしている仲間。
(4)妙な差別。
(5)自分は女のことであるし。
(6)この上ない乱暴者。
(7)からくり人形の糸をあやつるように、横町組の連中を背後で操った。
(8)紙一枚ほどのわずかなものも。下に打消の語を伴って、まったくないことを強調している。
(9)恩恵。
(10)なじみ客
(11)花柳界では、客の名を姓のはじめだけを取って略す呼び方をする。「米様」も同様。
(12)東京都中央区日本橋の地名。明治11年に東京株式取引所が設立されて日本の代表的証券街となった。転じて、株式市場の意にも用いられる。ここでは、株屋のこと。
(13)身請け。遊女や芸者の身代金を代わりに払って請け出すこと。
(14) 尋常。物事の程度が普通であること。
(15)女中。下女。
(16)畢竟。つまるところ。結局。
(17)のようなもの。の類。
(18)蝋石を加工して鉛筆状にしたもの。石盤に文字や絵をかくのに用いる。
(19)読み書きそろばんといわれた当時の教育をなげ出して。
(20)たわいもなく。勝手気ままに。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
祭は昨日のこととなったそのあくる日から美登利の学校通いがふっと途絶えたのは、訊くまでもなく額に泥をつけられたことの洗っても消えない恥辱を、身にしみて口惜しく思うからに決まっている、表町でも横町でも同じ教室におし並べば朋輩に変わりはないはずなのに、おかしな分け隔てで常日頃から意地を持ち、自分が女ということで、とてもかなわない弱みにつけ込んで、祭の夜の仕打ちはどんなに卑怯だったか、長吉のわからずやは誰もが知るきわめつけの乱暴者だけれど、信如の尻押しがなければあれほどに思い切って、表町を荒らせないだろう、人前では物知りらしく素直さをつくろって、陰に回ってからくりの糸を引いたのは藤本のしわざに決まっている、たとえ学年は上でも、勉強はできても、龍華寺様の若旦那でも、この大黒屋の美登利は紙一枚のお世話に もなっていないものを、あのように乞食呼ばわりして貰う恩はない、龍華寺はどれほど立派な檀家があるのか知らないけれど、自分の姉(あね)様の三年の馴染みには銀行の川様、兜町の米(よね)様もいて、議員の短小(ちい)様は身請けして奥様にとおおせられたのに、心意気が気に入らなかったので姉様は嫌ってお受けしなかったのだが、あの方だって世間に名高いお人と遣手衆が言ったもの、嘘と思うなら聞いてみろ、大黒屋に大巻がいなければあの楼は闇という評判、だからお店の旦那だって父(とと)さんと母(かか)さんとこの自分をいい加減にはなさらない、常々大切がって床の間にお据えなさっている瀬戸物の大黒様を、自分がいつだったか座敷の中で羽根をつこうとして騒いだ時、同じように並んだ花瓶を倒して、さんざんに疵をつけたのに、旦那は次の間でお酒を召し上がりながら、美登利お転婆(てんば)が過ぎるのうと言われただけで小言はなかったもの、ほかの人がやったのなら一通りの怒りではすまなかっただろうと、女衆たちにあとあとまで羨まれたのも煎じ詰めれば姉様の威光なのだから、自分は寮住まいなので人の留守番はしているけれども姉は大黒屋の大巻、長吉ふぜいに引けを取るような身ではない、龍華寺の坊様にいじめられるのは心外と、この先学校へ通うことが面白くなく、わがままの本性をあなどられた口惜しさに、石筆を折り墨を捨て、本も算盤(そろばん)もいらない物として、仲のよい友達ととりとめもなく遊ぶのだった。
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