樋口一葉「たけくらべ」⑮
きょうから第7章に入ります。
七
龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動会とて水《みづ》の谷《や》の原(1)にせし事ありしが、つな引、鞠《まり》なげ、縄とびの遊びに興をそへて、長き日の暮るるを忘れし、その折の事とや。信如、いかにしたるか平常《へいぜい》の沈着《おちつき》に似ず、池のほとり(2)の松が根につまづきて赤土道《あかつちみち》に手をつきたれば、羽織の袂《たもと》も泥になりて見にくかりしを、ゐあはせたる美登利みかねて、我が紅《くれない》の絹はんけち(3)を取出《とりいだ》し、「これにてお拭《ふ》きなされ」と介抱をなしけるに、友達の中なる嫉妬《やきもち》や見つけて、「藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉《うれ》しさうに礼を言つたは可笑《をか》しいではないか。大方《おほかた》美登利さんは藤本の女房《かみさん》になるのであらう、お寺の女房なら大黒さま(4)と言ふのだ」などと取沙汰《とりさた》しける。
信如元来《ぐわんらい》かかる事を人の上に聞くも嫌ひにて、苦き顔して横を向く質《たち》なれば、我が事として我慢のなるべきや。それよりは(5)美登利といふ名を聞くごとに恐ろしく、又あの事を言ひ出すかと胸の中もやくやして(6)、何とも言はれぬ厭《い》やな気持なり。さりながら事ごとに怒りつける訳にもゆかねば、なるだけは知らぬ躰《てい》をして、平気をつくりて、むづかしき顔をしてやり過ぎる心なれど、さし向ひて物などを問はれたる時の当惑さ、大方は知りませぬの一ト言にて済ませど、苦しき汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり。
(1)現在の台東区、金杉から竜泉にかけてあった原っぱ。
(2)水の谷の原 の真ん中には池があった。
(3)当時の流行。後に出てくる「紅入り友仙」のように「紅」は美登利のシンボルカラーとも見られる。
(4)僧侶の妻。大黒天は、もともと厨(くりや)にまつられた神であるところから、寺院の飯たき女をいい、さらに私妾や妻をもいうようになったという。ここでは、それに美登利のいる「大黒屋」もかけている。
(5)それから後は。
(6)もやもや。気持ちがうつうつとして晴れない。
美登利はさる事も心にとまらねば、最初《はじめ》は、「藤本さん藤本さん」と親しく物いひかけ、学校退《ひ》けての帰りがけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、「これ、こんなうつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私《わたし》には折れぬ。信《のぶ》さんは背《せい》が高ければお手が届きましよ。後生《ごせう》(7)、折つて下され」と一むれの中にては年長《としかさ》なるを見かけて頼めば、流石《さすが》に信如袖《そで》ふり切りて行《ゆき》すぎる事もならず、さりとて人の思はく(8)いよいよ愁《つ》らければ、手近の枝を引寄せて好悪《よしあし》かまはず(9)申訳ばかりに折りて、投つけるやうにすたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬《あいけう》の無き人と惘《あき》れし事もありしが、度《たび》かさなりての末には、自《おのづか》ら故意《わざと》の意地悪のやうに思はれて、「人にはさもなきに、我れにばかり愁《つ》らき処為《しうち》をみせ、物を問へば碌《ろく》な返事した事なく、傍《そば》へゆけば逃げる、はなしを為《す》れば怒る、陰気らしい(10)、気のつまる、どうして好《よ》いやら機嫌の取りやうも無い。あのやうな六《む》づかしや(11)は、思ひのままに捻《ひね》れて(12)怒つて意地わるがしたいならんに、友達と思はずは口を利くも入らぬ事」と美登利少し疳《かん》にさはりて、用のなければ摺《す》れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶《あいさつ》など思ひもかけず、唯《ただ》いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて(13)、舟も筏《いかだ》も此処《ここ》には御法度《ごはつと》(14)、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ。(7)お願いですから。
(8)他人が二人の仲をどう思うかということ。
(9)花や枝ぶりが好いか悪いかを考えず。やりきれない信如の気持ちがあらわれている。
(10)陰気臭い。
(11)難屋。気むずかしい人。
(12)ひねくれて。
(13)気持ちに大きな隔たりができて。
(14)二人の間に心の通じ合いが禁じられていること。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
七
龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ともに学校は育英舎である、先の四月の末の時期、桜は散って青葉のか げに藤の花見という頃、春季の大運動会を水の谷(や)の原で催したことがあ ったが、つな引き、鞠なげ、縄とびの遊びに盛り上がって長い日の暮れるのを忘れたその折りのことだという、信如はどうしたのか平生の落ちつきに似合わず、池のほとりの松の根につまずいて赤土道に手をついたため、羽織の袂も泥まみれになって見苦しいのを、居合わせた美登利が見かねて自分の紅の絹はんけちを取り出し、これでお拭きなされと介抱をしたところ、友達の中のやきもち焼きが見つけて、藤本は坊主の癖に女と話をして、嬉しそうに礼を言ったのはおかしいではないか、おおかた美登利さんは藤本のかみさんになるのであろう、お寺のかみさんなら大黒様と言うのだなどと騒ぎ立てた、信如は元来こういうことを人について聞くのも嫌いで、苦い顔をして横を向く質(たち)だから、自分のこととして聞いては我慢できるはずがない、それからは美登利という名前を聞くたびに恐ろしく、また友達がああいうことを言い出すかと胸の中がもやくやして、何とも言えない厭な気持ちである、しかしながらことあるごとに怒りつけるわけにもゆかないので、できる限り知らないふりをして、平気を装って、むずかしい顔をしてやり過ごすつもりなのだが、さし向かいでものなどを尋ねられた時のまごつくこと、たいていは知りませぬのひとことですませるけれども、苦しい汗が体中に流れて心細い思いである、美登利はそんなことも気がつかないから、初めは藤本さん藤本さんと親しく話しかけ、学校が終わっての帰りがけに、自分が一足先を歩いていて道端に珍しい花などを見つけたりすると、遅れて来る信如を待って、こんな美しい花が咲いているのに、枝が高くて私には折れない、信(のぶ)さんは背が高いからお手が届きましょ、後生だから折ってくだされと一群れの中では年かさなのを目に留めて頼むので、さすがに信如は袖を振り切って行き過ぎることもできず、そうはいっても人の思惑はいよいよつらいため、手近の枝を引き寄せてよしあしをかまわず申しわけばかりに折って、投げつけるようにすたすたと行き過ぎるその態度を、何とも愛敬のない人と呆れたこともあったが、たびかさなって来るとしまいにはおのずとわざとの意地悪のように感じられて、ほかの人にはそうでもないのに自分にばかりつらい仕打ちを見せ、ものを尋ねればろくな返事をしたこともなく、そばへ行けば逃げる、話をすれば怒る、陰気臭い気がつまる、どうしたらよいのか機嫌の取りようもない、あのような気むずかしやは思い切りひねくれて怒って意地悪がしたいのだろうから、友達と思わなければ口をきくこともないと美登利は少し疳(かん)にさわって、用がない折りにはすれ違ってもものを言ったことがなく、途中で逢ったところで挨拶など思いもよらず、ただいつとなく二人の間に大きな川が一つ横たわって、舟も筏もここには御法度(ごはつと)とばかりに、岸に沿って思い思いの道を歩くのだった。
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