樋口一葉「たけくらべ」⑭
きょうは、第6章の最後の場面です。
他処《よそ》の人は祖母さんを吝《けち》だと言ふけれど、己れの為に倹約《つましく》してくれるのだから気の毒でならない。集金《あつめ》に行くうちでも、通新町《とほりしんまち》(1)や何かに随分可愛想《かわいさう》なのが有るから、さぞお祖母さんを悪るくいふだらう、それを考へると己れは涙がこぼれる、やつぱり気が弱いのだね。今朝も三公(2)の家《うち》へ取りに行つたら(3)、奴《やつ》め身体《からだ》が痛い癖に、親父に知らすまいとして働いてゐた、それを見たら己れは口が利けなかつた、男が泣くてへのは可笑《をか》しいではないか、だから横町の野蕃漢《じやがたら》(4)に馬鹿にされるのだ」
と言ひかけて我が弱いを恥かしさうな顔色《かほいろ》、何心《なにごころ》なく美登利と見合す目つきの可愛《かわゆ》さ。
「お前の祭の姿《なり》は大層よく似合つて浦山《うらやま》しかつた。私も男だとあんな風がして見たい、誰れのよりもよく見えた」
と賞《ほ》められて、
「何だ己れなんぞ、お前こそ美くしいや。廓内《なか》の大巻《おほまき》(5)さんよりも奇麗だと皆《みんな》がいふよ。お前が姉であつたら、己れはどんなに肩身が広かろう。何処《どこ》へゆくにも追従《つい》て行つて大威張りに威張るがな。一人も兄弟がないから仕方がない。ねへ美登利さん、今度一処《いつしよ》に写真を取らないか、我《お》れは祭りの時の姿《なり》で、お前は透綾《すきや》(6)のあら縞《じま》(7)で意気な形《なり》をして、水道尻《すいだうじり》(8)の加藤(9)でうつさう、龍華寺の奴(10)が浦山しがるやうに。本当だぜ、彼奴《あいつ》は屹度《きつと》怒るよ、真青《まつさほ》になつて怒るよ、にゑ肝《かん》(11)だからね、赤くはならない、それとも笑ふかしら、笑はれても搆《かま》はない、大きく取つて看板に出たら(12)いいな、お前は嫌やかへ、嫌やのやうな顔だもの」
と恨めるもをかしく、
「変な顔にうつるとお前に嫌らはれるから」
とて美登利ふき出して、高笑ひの美音に御機嫌や直りし。
朝冷《あさすず》はいつしか過ぎて日かげの暑くなるに、
「正太さん、又晩によ、私の寮へも遊びにお出でな、燈籠《とうろう》ながして、お魚追ひましよ、池の橋が直つたれば怕《こわ》い事はない」
と言ひ捨《ず》てに立出《たちいづ》る美登利の姿、正太うれしげに見送つて美くしと思ひぬ。
(1)三ノ輪と千住大橋との間の細長い町。当時は、貧民街だったという。
(2)三五郎のこと。
(3)日がけの集金に行ったら。
(4)インドネシア・ジャワ島のジャカルタの古称。ジャワ島の近世以来の呼称でもある。ここでは、人をののしっていう野蛮人の意で、長吉をさしている。
(5)遊女をしている美登利の姉。
(6)「すきあや」の音変化で、透けて見えるような、薄くさらりとした絹織物。本来は、縦糸に絹糸、横糸に苧麻(ちょま)を使った。
(7)目のあらい縞もよう。
(8)吉原遊郭内にあった、郭内の上水道の終点周辺の名で、仲の町を奥まで進んだ突き当り。
(9)実在の写真館。加藤正吉が明治10年に開業した。
(10)信如を、正太郎がライバル視していることがうかがえる。
(11)内にこもるタイプのかんしゃく持ち。
(12)ショーウインドーに飾られたら。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
よその人はお祖母(ばあ)さんをけちだと言うけれど、俺のためにつましくしてくれるのだから気の毒でならない、集めに行くうちでも通新町(とおりしんまち)やなにかに随分かわいそうなのがあるから、さぞお祖母(ばあ)さんを悪く言うだろう、それを考えると俺は涙がこぼれる、やはり気が弱い のだね、今朝も三公の家へ取りに行ったら、奴め身体が痛い癖に親父に知らすまいとして働いていた、それを見たら俺はロがきけなかった、男が泣くてえのはおかしいではないか、だから横町の野蛮人(じやがたら)に馬鹿にされるのだと言いかけて自分が弱いのが恥かしそうな顔色、何ということもなく、美登利と見合わす目つきの可愛さ。おまえの祭の時の姿(なり)はたいそうよく似合って羨ましかった、私も男だとあんなふうがしてみたい、誰のよりもよく見えたと褒められて、何だ俺なんぞ、おまえこそ美しいや、廓内(なか)の大巻(おおまき)さんよりも奇麗だと皆が言うよ、おまえが姉であったら俺はどんなに肩身か広かろう、どこへ行くにもついて行って大いばりにいばるがな、一人もきょうだいがないからしかたがない、ねえ美登利さん今度一緒に写真を撮らないか、俺は祭の時の姿(なり)で、おまえは透綾(すきや)のあら縞で粋ななりをして、水道尻の加藤でうつそう、龍華寺の奴が羨ましがるように、本当だぜあいつはきっと怒るよ、真青になって怒るよ、にえ肝(かん)だからね、赤くはならない、それとも笑うかしら、笑われてもかまわない、大きく撮って看板に出たらいいな、おまえは厭かえ、厭のような顔だものと恨めしがるようなのもおかしく、変な顔にうつるとおまえに嫌われるからと言って美登利はふき出して、高笑いする美しい声音に御機嫌が直ったとわかる。
朝のすずしさはいつしか過ぎて日ざしが暑くなったので、正太さんまた晩によ、私の寮へも遊びにおいでな、燈籠ながして、お魚追いましょ、池の橋が直ったから恐い ことはな いと言い置いて立って行く美登利の姿、正太は嬉しげに見送って美しいと思ったものだった。
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