樋口一葉「たけくらべ」13

 きょうは、第6章のつづきです。

いつしか我家の裏近く来れば、
「寄らないか、美登利さん。誰れもゐはしない。祖母《おばあ》さんも日がけ(1)を集めに出たらうし、己ればかりで淋しくてならない。いつか話した錦絵《にしきゑ》(2)を見せるからお寄りな、種々《いろいろ》のがあるから」
と袖《そで》を捉らへて離れぬに、美登利は無言にうなづいて、佗《わ》びた折戸(3)の庭口より入れば、広からねども鉢ものをかしく並びて、軒につり忍艸《しのぶ》(4)、これは正太が午《うま》の日の買物と見えぬ。理由《わけ》しらぬ人は小首やかたぶけん、町内一の財産家《ものもち》といふに、家内は祖母《ばば》と此子《これ》二人、万《よろづ》の鍵《かぎ》に下腹冷えて(5)留守は見渡しの総長屋(6)、流石《さすが》に錠前くだく(7)もあらざりき。

(1)貸金の元利を日割りにして、毎日取り立てる金銭。
(2)多色刷りの浮世絵版画。錦のように精緻で美しい。
(3)どことなく古ぼけて見すぼらしい開き戸。
(4)シノブの根茎をたばねて舟の形や井桁などいろいろの形につくり、夏、軒先につるして涼味をそえるもの。
(5)高利貸しなので金庫など多くの鍵を身に付けていると下腹が冷えてくる。
(6)留守がちなこの家を見守るのは、田中屋の貸家である見渡すかぎり広がる長屋だ。
(7)泥棒にはいる。

正太は先へあがりて、風入りのよき場処《ところ》を見たてて、
「此処《ここ》へ来ぬか」
と団扇《うちわ》の気あつかひ(8)、十三の子供にはませ過ぎてをかし(9)。古くより持つたへし錦絵かずかず取出《とりいだ》し、褒めらるるを嬉しく、
「美登利さん、昔しの羽子板を見せよう。これは己れの母《かか》さんが、お邸《やしき》(10)に奉公してゐる頃いただいたのだとさ。をかしいではないか、この大きい事、人の顔も今のとは違ふね。ああ、この母さんが生きてゐるといいが、己れが三つの歳《とし》死んで、お父《とつ》さんは在るけれど(11)、田舎の実家へ帰つてしまつたから、今は祖母《おばあ》さんばかりさ。お前は浦山《うらやま》しいね」
と無端《そぞろ》に親の事を言ひ出せば、
「それ絵がぬれる、男が泣く物ではない」
と美登利に言はれて、
「己れは気が弱いのかしら、時々種々《いろいろ》の事を思ひ出すよ。まだ今時分はいいけれど、冬の月夜なにかに田町《たまち》あたりを集めに廻ると、土手まで来て幾度も泣いた事がある。何、さむい位で泣きはしない。なぜだか自分も知らぬが、種々《いろいろ》の事を考へるよ。ああ、一昨年《おととし》から己れも日がけの集めに廻るさ。祖母《おばあ》さんは年寄りだから、そのうちにも夜るは(12)危ないし、目が悪るいから、印形《いんげう》(13)を押たり何かに不自由だからね。今まで幾人《いくたり》も男を使つたけれど、老人《としより》に子供だから馬鹿にして、思ふやうには動いてくれぬと祖母《おばあ》さんが言つてゐたつけ。己れがもう少し大人になると質屋を出さして、昔しの通りでなくとも、田中屋の看板をかけると楽しみにしてゐるよ。

(8)気づかい。心配。
(9)作者自身の批評。土地がらも暗示している。
(10)江戸時代の旗本の邸などのことをいっているのか。
(11)父は婿養子と見られ、祖母と合わなかったのか実家にもどらざるをえなくなったようだ。
(12)いつでも危険だけれど、とくに夜は。
(13)印。印章。

朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。




《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から

いつの間にか自分の家の近くに来ると、寄らないか美登利さん、誰もいはしない、お祖母(ばあ)さんも日がけを集めに出たろうし、俺ばかりで淋しくてならない、いつか話した錦絵を見せるからお寄りな、いろいろなのがあるから、と袖を捉えて離れないものだから、美登利は無言でうなすいて、もの淋しげな折戸の庭口から入ると、中は広くはないけれども鉢ものをうまく並べて、軒には釣り忍艸(しのぶ)、これは正太の午(うま) の日の買物と思われたこと、わけを知らない人は小首をかしげるだろう町内一の財産家(ものもち)というのに、家族は祖母(ばば)とこの子の二人、 一万個ほどの鍵を下げ て下腹を冷やしていながら留守の時はまわりがすべて長屋なので、さすがにこの家の錠前をくだく者もなかったということ、正太は先に上がって風通しのよい所を見つくろい、ここへ来ないかと団扇も出す気の遣いよう、十三の子供にしてはませ過ぎていておかしい。
古くから持ち伝えた錦絵の数々を取り出し、褒められるのを嬉しく思い美登利さん昔の羽子板を見せよう、これは俺の母(かか)さんがお屋敷に奉公している頃いただいたのだとさ、おかしいではないかこの大きいこと、人の顔も今のとは違うね、ああこの母(かか)さんが生きているとよいが、俺が三つの年に死んで、お父(とつ)さんはあるけれど田舎の実家へ帰ってしまったから今はお祖母(ばあ)さんばかりさ、おまえは羨ましいねとやたらに親のことを言い出すと、それ絵がぬれる、男が泣くものではないと美登利に言われて、俺は気が弱いのかしら、時々いろいろなことを思い出すよ、まだ今時分はいいけれど、冬の月夜なんかに田町あたりを集めに回ると十手まで来て幾度も泣いたことがある、なに寒いくらいで泣きはしない、何故だか自分でもわからないがいろいろなことを考えるよ、ああ一昨年(おととし)から俺も日がけの集めに回るさ、お祖母(ばあ)さんは年寄りだから集めるにも夜はあぶないし、目が悪いから印鑑を押したりなんかするのに不自由だからね、今まで幾人も男を使ったけれど、老人に子供だから馬鹿にして思うようには動いてくれぬとお相母(ばあ)さんが言っていたっけ、俺がもう少し大人になると質屋を出さして、昔の通りでなくとも田中屋の看板を掛けると楽しみにしているよ、

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