樋口一葉「たけくらべ」12

きょうから、第6章に入ります。

「めづらしい事、この炎天に雪が降りはせぬか。美登利が学校を嫌やがる(1)はよくよくの不機嫌、朝飯がすすまずば、後刻《のちかた》に鮨《やすけ》(2)でも誂《あつら》へようか。風邪にしては熱も無ければ、大方きのふの疲れ(3)と見える。太郎様(4)への朝参りは母《かか》さんが代理してやれば、御免こふむれ」とありしに、「いゑいゑ、姉《ねえ》さんの繁昌《はんじよう》するやうにと、私が願《ぐはん》をかけたのなれば、参らねば気が済まぬ。お賽銭《さいせん》下され、行つて来ます」と家を駆け出して、中田圃《なかたんぼ》(5)の稲荷《いなり》に鰐口《わにぐち》(6)ならして手を合せ、願ひは何ぞ、行きも帰りも首うなだれて、畦道《あぜみち》づたひ帰り来る美登利が姿、それと見て遠くより声をかけ、正太はかけ寄りて袂《たもと》を押へ、
「美登利さん、昨夕《ゆふべ》は御免よ」
と突然《だしぬけ》にあやまれば、
「何もお前に謝罪《わび》られる事は無い」
「それでも己《お》れが憎くまれて、己れが喧嘩《けんくわ》の相手だもの。お祖母《ばあ》さんが呼びにさへ来なければ帰りはしない、そんなに無暗《むやみ》に三五郎をも撃《ぶ》たしはしなかつた物を。今朝《けさ》三五郎の処へ見に行つたら、彼奴《あいつ》も泣いて口惜《くや》しがつた。己れは聞いてさへ口惜《くや》しい。

(1)夏休み中のはずだから、作者の勘違いか。
(2)「やすけ」は、握り鮨の異称。歌舞伎「義経千本桜」に登場する鮨屋にちなんで、その店の主人が代々「彌助」を名乗ったのに由来する。
(3)祭りの翌日と考えられる。
(4)太郎稲荷神社。吉原遊郭の裏手、浅草の田んぼの中にあった。
(5)吉原周辺の俗称。もともと吉原周囲には田圃が広がってのに由来する。
(6)神社仏閣の堂前に、布を編んだ太い綱とともにつるしてある円形の大きな鈴。中空で横長の裂け目があり、参詣者は綱を振って打ち鳴らす。

お前の顔へ長吉め、草履を投げたと言ふではないか。あの野郎、乱暴にもほどがある。だけれど美登利さん、堪忍しておくれよ、己れは知りながら逃げてゐたのではない。飯を掻込《かつこ》んで表へ出やうとすると、お祖母さんが湯に行くといふ、留守居をしてゐるうちの騒ぎだらう、本当《ほんと》に知らなかつたのだからね」
と、我が罪のやうに平あやまりに謝罪《あやまつ》て、
「痛みはせぬか」
と額際《ひたいぎわ》を見あげれば、美登利につこり笑ひて、
「何、負傷《けが》をするほどではない。それ(7)だが正さん、誰れが聞いても、私が長吉に草履を投げられたと言つてはいけないよ。もし万一《ひよつと》お母《つか》さんが聞きでもすると、私が叱かられるから、親でさへ頭《つむり》に手はあげぬものを、長吉づれ(8)が草履の泥を額にぬられては、踏まれたも同じだから」
とて、背《そむ》ける顔のいとをしく、
「本当に堪忍しておくれ、みんな己《お》れが悪るい。だから謝る、機嫌を直してくれないか。お前に怒られると(9)己れが困るものを」
話しつれて(10)
(7)そのこと。
(8)のようなやつ。
(9)純情な子どもらしさが表れている。
(10)話をしながら連れだって。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。



《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から

めずらしいこと、 この炎天に雪が降りはせぬか、美登利が学校を厭がるとはよくよくの不機嫌、朝飯(あさはん)がすすまないなら後で鮨(やすけ)でも取り寄せようか、風邪にしては熱もないのでおおかた昨日(きのう)の疲れと見える、太郎様への朝参りは母(かか)さんが代理してやるから勘弁して貰えと母親は言ったのだが、 いえいえ姉さんが繁盛するようにと私が願をかけたのだから参らねば気がすまない、お賽銭くたされ行って来ますと家を駆け出して、中田圃(なかたんぼ)の稲荷で鰐口を鳴らし手を合わせ、願いは何なのか行きも帰りも首うなだれて畔道づたいに帰って来る美登利の姿、それを見て遠くから声をかけ、正太は駆け寄って袂を押さえ、美登利さんゆうべ は御免よとだしぬけに謝ると、美登利は答えて何もおまえに詫びられることはない。それでも俺が憎まれて、俺が喧嘩の相手だもの、お祖母(ばあ)さんが呼びにさえ来なければ帰りはしない、そんなに無闇に三五郎をも打たしはしなかったものを、今朝三五郎の所へ見に行ったら、あいつも泣いて口惜しがった、俺は聞いてさえ口惜しい、おまえの顔へ長吉め草履を投げたというではないか、あの野郎乱暴にもほどがある、だけれど美登利さん堪忍しておくれよ、俺は知りながら逃げていたのではない、飯をかっ込んで表へ出ようとするとお祖母(ばあ)さんが風呂に行くと言う、留守番をしているうちの騒ぎだろう、本当に知らなかったのだからねと、自分の罪のように平謝りに謝って、痛みはしないかと額際を見上げれば、美登利はにっこり笑ってなに怪我をするほどではない、だけど正さん誰が聞いても私が長吉に草履を投げられたと言ってはいけないよ、もしひょっとお母(つか)さんか聞きでもすると私が叱られるから、親でさえ頭(つむり)に手は上げぬものを、長吉なんぞの草履の泥を額にぬられては踏まれたも同じだからと言って、顔をそむけるさまかいとおしく、正太はほんとに堪忍しておくれ、みんな俺が悪い、だから謝る、機嫌を直してくれないか、おまえに怒られると俺が困るのだからと話していたのだが、

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