樋口一葉「たけくらべ」⑨

 きょうは第4章の後半です。

今の間(1)とかけ出して、韋駄天《いだてん》(2)とはこれをや、「あれ、あの飛びやう(3)が可笑しい」とて見送りし女子《おなご》どもの笑ふも無理ならず。
横ぶとりして背ひくく、頭《つむり》の形《なり》は才槌《さいづち》(4)とて首みぢかく、振むけての面《おもて》を見れば出額《でびたい》の獅子鼻《ししばな》(5)、反歯《そつぱ》の三五郎といふ仇名《あだな》おもふべし。色は論なく黒きに、感心なは目つき何処までもおどけて、両の頬《ほう》に笑《ゑ》くぼの愛敬、目かくしの福笑ひに見るやうな(6)眉《まゆ》のつき方も、さりとはをかしく罪の無き子なり、貧なれや、阿波《あわ》ちぢみ(7)の筒袖《つつそで》、「己《お》れは揃ひ(8)が間に合はなんだ」と知らぬ友には言ふぞかし。我れを頭《かしら》に六人の子供を、養ふ親も轅棒《かぢぼう》にすがる身(9)なり。五十軒(10)によき得意場《とくいば》は持《もち》たりとも、内証の車(11)は商買ものの外なれば詮《せん》なく、十三になれば片腕と、一昨年《おととし》より並木(12)の活判処《かつばんじよ》へも通ひしが、怠惰《なまけ》ものなれば十日の辛棒《しんぼう》つづかず、一ト月と同じ職もなくて、霜月《しもつき》より春へかけては突羽根《つくばね》(13)の内職、夏は検査場《ば》(14)の氷屋が手伝ひして、呼声をかしく客を引くに上手なれば、人には調法がられぬ。

(1)たちまち。またたく間に。
(2)仏法の守護神で、足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる。
(3)走りかた。
(4)才槌頭。額と後頭部が突き出て、才槌のようなかっこうをした頭をいう。
(5)獅子のように、低くて小鼻があぐらをかいている鼻。
(6)不ぞろいな目鼻立ちを形容している。
(7)徳島県産の安価な綿織物。
(8)揃いの祭り用浴衣。
(9)人力車夫。
(10)五十間茶屋。衣紋坂から大門までの道の両側にあった茶屋。
(11)家系のやりくり。内々の経済状態。
(12)浅草雷門から駒形橋にかけての地名。
(13)羽根つきのはね。
(14)遊廓の裏にあった衛生検査所。

去年《こぞ》は仁和賀《にわか》の台引き(15)に出《いで》しより、友達いやしがりて万年町《まんねんてう》(16)の呼名今に残れども、三五郎といへば滑稽者《おどけもの》と承知して、憎くむ者の無きも一徳なりし、田中屋は我が命の綱、親子が蒙《かう》むる御恩すくなからず、日歩《ひぶ》(17)とかや言ひて利金安からぬ借りなれど、これなくてはの金主様《きんしゆさま》、あだには思ふべしや。「三公《さんこう》、己《お》れが町へ遊びに来い」と呼ばれて嫌やとは言はれぬ義理あり。されども我れは横町に生れて横町に育ちたる身、住む地処《ぢしよ》は龍華寺のもの、家主《いゑぬし》は長吉が親なれば、表むき彼方《かなた》(18)に背《そむ》く事かなはず、内々《ないない》に此方《こつち》(19)の用をたして、にらまるる時の役廻りつらし。
(15)踊り屋台のひき手。
(16)下谷万年町。貧民窟として知られた。
(17)利息計算の単位を1日として定めた利率。元金100円について、1日何銭何厘何毛と表示される。
(18)横町組。長吉や信如。
(19)表町組。正太郎ら。

正太は筆やの店へ腰をかけて、待つ間のつれづれに忍ぶ恋路(20)を小声にうたへば、
「あれ、由断がならぬ」
と内儀《かみ》さまに笑はれて、何がなしに耳の根あかく、まぢくない(21)の高声に、
「皆《みんな》も来い」
と呼つれて表へ駆け出す出合頭《であいがしら》、
「正太は夕飯なぜ喰べぬ。遊びに耄《ほう》けて先刻《さつき》にから(22)呼ぶをも知らぬか。誰様《どなた》も又のちほど遊ばせて下され。これは御世話」
と筆やの妻にも挨拶《あいさつ》して、祖母《ばば》が自からの迎ひに、正太いやが言はれず、そのまま連れて帰らるるあとは俄《には》かに淋《さび》しく、人数《にんず》はさのみ変らねど、「あの子が見えねば大人までも寂しい。馬鹿さわぎもせねば、串談《じようだん》も三ちやんの様では無けれど、人好きのするは、金持の息子さんに珎《めづ》らしい愛敬《あいけう》」「何と御覧じたか、田中屋の後家さまがいやらしさを、あれで年は六十四、白粉《おしろい》をつけぬがめつけ物なれど(23)丸髷《まるまげ》の大きさ(24)、猫なで声して人の死ぬをも搆《かま》はず、大方臨終《おしまい》は金と情死《しんじう》なさるやら」「それでも此方《こち》ども(25)の頭《つむり》の上らぬはあの物(26)の御威光、さりとは(27)欲しや。廓内《なか》の大きい楼《うち》にも大分《だいぶ》の貸付があるらしう聞きました」と、大路に立ちて二三人の女房、よその財産《たから》を数へぬ。
(20)端唄に「忍ぶ恋路はさてはかなさよ、今度逢うのが命がけ、汚す涙の白粉も、その顔かくす無理な酒」。
(21)とりつくろう。うまくごまかすこと。
(22)さっきからの意。ここから、女房たちの会話によって田中屋の内情を間接的に知らせていく。
(23)まだいいけれど。
(24)大きいほど若いことを表している。
(25)わたしたち。
(26)おかね。
(27)本当に。


朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。





《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から


今こそと駆け出して韋駄天(いだてん)とはこれのことか、あれあの飛びようがおかしいと言って見送った娘どもが笑うのも無理はない、横太りして背がひくく、頭の形は才槌がたで頸みじかく、振り向いた顔を見れば出額(でびたい)の獅子っ鼻、反歯(そつぱ)の三五郎という仇名も思い起こせるだろう、色は全く黒いが感心なのは目つきがどこまでもおどけて両頬の笑くぼに愛敬のあること、目かくしの福笑いに見るような眉のつきかたも、それはそれはおかしく罪のない子である、貧しいのか阿波縮みの筒袖を着て、俺は揃いが間に合わなんだと事情を知らない友達には言ったりする、自分を先頭に六人の子供を、養う親も梶棒にすがる人力車夫の身、五十軒をよい得意先にしているけれども、家計は商売物の車とは別の火の車なのはしかたがなく、十三になったら稼ぎの片腕にと一昨年から並木の活版所へも通ったが、怠け者なので十日の辛抱がつづかず、 一月(ひとつき)と同じ職をつとめたことがなくて十一月から春にかけては突羽根(つくばね)つくりの内職、夏は県馬場の氷屋の手伝いをして、呼び声おかしく客を引くのが上手なので、人には重宝がられたもの、去年は仁和賀の屋台引きに出たことから、友達がいやしがって万年町の呼名が今も残っているけれども、三五郎といえばおどけ者と承知して憎む者がないのも一つの徳であったこと、田中屋は自分の命の綱、親子がこうむる御恩は少なくない、日歩(ひぶ)などといって利子の安くない借金だけれども、これなしではやっていかれない金主(きんしゅ)様を悪く思えるだろうか、正太に三公俺の町へ遊びに来いと呼ばれれば厭とは言えない義理がある、とはいえ自分は横町に生まれて横町に育った身、住む地所は龍華寺のもの、家主は長吉の親だから、表むきあちらにそむくことはできない、自分の事情でこっちの用をたして、にらまれる時の役回りはつらい。正太は筆屋の店先に腰をかけて、待つ間の退屈しのぎに忍ぶ恋路を小声でうたえば、あれ油断がならないとかみさまに笑われて、何とはなしに耳の根が赤くなり、照れ隠しの高声でみんなも来いと呼んで表に駆け出した出会い頭に、正太は夕飯(ゆうめし)を何故食べな い、遊びに呆けてさっきから呼ぶのも気がつかないのか 、どなたもまたのちほど遊ばせてくだされ、これはお世話様と筆屋の妻にも挨拶しての、祖母(ばば)じきじきの迎えに厭と言えず、そのまま連れて帰られた後は急に淋しくなり、人数はさほど変わらないのにあの子がいなければ大人までも淋しい、馬鹿騒ぎもしなければ冗談も三ちゃんのようではないけれど、人好きのするのは金持ちの息子さんには珍しい愛敬のせい、どうごらんになったか田中屋の後家様のいやらしさを、あれで年は六十四、白粉をつけないのがまだ救いたけれどあの丸髷の大きさ、猫なで声出して人の死ぬのもかまわない、おおかたおしまいは金と心中なさるんじゃないか、それでもこちらどもの頭が上がらないのは例のあの物の御威光、それでもあれはほしいもの、廓内(なか)の大きい楼(うち)にもだいぶの貸付けがあるらしゅう聞きましたと、大路に立って二三人の女房がよその財産を勘定したのだった。

コメント

人気の投稿