樋口一葉「たけくらべ」⑧
きょうから第4章に入ります。 祭の当日の情景を明るくリズミカルに描いていきます。
四
打つや鼓《つづみ》のしらべ、三味の音色《ねいろ》に事かかぬ場処《ばしよ》も、祭りは別物、酉《とり》の市《いち》(1)を除《の》けては一年一度の賑《にぎは》ひぞかし、三島《みしま》さま小野照《をのてる》さま(2)、お隣社《となり》づから負けまじの競ひ心(3)をかしく、横町も表も揃ひは同じ真岡《まおか》木綿(4)に町名くづし(5)を、去歳《こぞ》よりは好《よ》からぬ形《かた》とつぶやくもありし。口なし染の麻だすき(6)、なるほど(7)太きを好みて、十四五より以下なるは、達磨《だるま》、木兎《みみづく》、犬はり子(8)、さまざまの手遊《おもちや》を数多きほど見得にして、七つ九つ十一つくるもあり、大鈴小鈴背中にがらつかせて、駆け出す足袋《たび》はだしの勇ましく可笑《をか》し。
(1)11月の酉の日に行われる鷲(大鳥)神社の祭り。
(2)下谷にある小野照崎神社。小野篁を主祭神とする。
(3)隣接した神社の氏子たちが競争心を起こす。千束神社の氏子たちの心意気が示されている。
(4)栃木県の真岡特産の木綿。丈夫で質が良く、絹のような肌ざわり人気を得ていた。
(5)町名の文字を模様にしたもので、浴衣などに染める。
(6)くちなしの実で染めた黄色い麻のたすき。
(7)できるだけ。可能な限り。
(8)犬のかたちをした張り子のおもちゃ。
群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半天《しるしばんてん》(9)、色白の首筋に紺の腹がけ(10)、さりとは見なれぬ扮粧《いでたち》とおもふに、しごいて締めし帯の水浅黄《みづあさぎ》(11)も、見よや縮緬《ちりめん》(12)の上染《じようぞめ》、襟《ゑり》の印のあがり(13)も際立《きわだち》て、うしろ鉢巻きに山車《だし》の花一枝《いつし》、革緒《かわを》の雪駄《せつた》おとのみはすれど、馬鹿ばやし(14)の仲間《なかま》には入《い》らざりき。
(9)肩から袖口にかけて赤い筋の入った印半纏。襟や背に屋号、組名などが染めぬかれている。
(10)多くは紺木綿の、職人などがつける作業衣。胸から腹に当て、細い布ひもを背中で十文字に交差させてとめる。
(11)緑がかった明るい水色。
(12)縦糸に撚(よ)りのない生糸、横糸に強く撚りをかけた生糸を用いた絹布。
(13)染めあがり。
(14)笛、鉦(かね)、太鼓などを鳴らす、賑やかな祭りばやし。
夜宮《よみや》(15)は事なく過ぎて、今日一日(16)の日も夕ぐれ、筆やが店に寄合しは十二人、一人かけたる美登利が夕化粧の長さに、「まだかまだか」と正太は門《かど》へ出つ入りつして、
「呼んで来い、三五郎。お前はまだ大黒屋の寮へ行つた事があるまい。庭先から美登利さんと言へば聞える筈《はづ》。早く、早く」
と言ふに、
「それならば己《お》れが呼んで来る。万燈《まんどう》は此処《ここ》へあづけて行けば、誰れも蝋燭《ろうそく》ぬすむまい(17)。正太さん、番をたのむ」
とあるに、
「吝嗇《けち》な奴め、その手間で(18)早く行け」
と我が年したに叱《し》かられて、
「おつと来たさの次郎左衛門《じろざゑもん》(19)」
(15)前夜祭。
(16)祭りの当日。
(17)貧乏な三五郎にとっては蠟燭一本でも大事。
(18)そんなこと言っている間に。
(19)承知したという意のしゃれ。佐野次郎左衛門は、江戸中期、吉原の遊女八橋を恨んで八橋ほか多くの人を斬った。この事件は吉原百人斬りといわれ、歌舞伎化された。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
四
打つ鼓の調べ、三味の音色に事欠かない場所でも、祭はまた別のもの、酉の市を除いては一年に一度の賑わいなのだから、三島様に小野照様、お隣社(となり)同士おのずと負けまいとする競い心がおかしく、横町も表町も同じに揃えた真岡木綿に町名をくずし字で人れた浴衣を、去年のよりはよくない柄とつぶやく人もあったこと、くちなし染めの麻襷(あさだすき)はなるべく太いのを好んで、年が十四五より下の子供は、達磨、木(みみ)菟、犬はり子と、 さまざまな玩具を数の多いほど自慢にして、七つ九つ十一つける者もあり、大鈴小鈴を背中でがらがらいわせて、駆け出す足袋裸足姿は勇ましくもおかしい、群れを離れた田中の正太は赤筋入りの印半天(しるしばんてん)、色白の頸筋に紺の腹掛け、これはまた見馴れないいでたちと思うと、しごいて締めた帯の水浅黄も、見るがいい縮緬(ちりめん)の上染(じようぞ)め、襟の印の染め上がりも際立っていて、後ろ鉢巻に山車(だし)の花一枝、革緒の雪駄の音ばかりがするが、馬鹿ばやしの仲間には入っていなかったこと、宵宮(よいみや)は何事もなく過ぎて今日の日も時は夕暮れ、筆屋の店に集まったのは十二人、一人来ていない美登利のタ化粧の長さに、まだかまだかと正太は門を出ては入りながら、呼んで来い三五郎、おまえはまだ大黒屋の寮へ行ったことがあるまい、庭先から美登利さんと言えば聞こえるはず、早く、早くと言うので、三五郎はそれならば俺が呼んで来る、万燈はここへあずけて行けば誰も蝋燭(ろうそく)ぬすむまい、正太さん番をたのむと応じていたら、けちな奴め、そうしている間に早く行けと自分の年下に叱られて、おっと来たさの次郎左衛門、
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