樋口一葉「たけくらべ」6
きょうから第3章に入ります。
三
解かば足にもとどく(1)べき毛髪《かみ》を、根あがりに堅くつめて(2)、前髪大きく髷《まげ》おもたげの、赭熊《しやぐま》(3)といふ名は恐ろしけれど、此髷《これ》をこの頃の流行《はやり》とて、良家《よきしゆ》の令嬢《むすめご》も遊ばさるるぞかし。色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど、締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてては美人の鑑《かがみ》に遠けれど、物いふ声の細く清《すず》しき、人を見る目の愛敬《あいけう》あふれて、身のこなしの活々《いきいき》したるは快き物なり。柿色に蝶鳥《てふとり》を染めたる大形の浴衣《ゆかた》きて、黒襦子《くろじゆす》(4)と染分《そめわけ》絞り(5)の昼夜帯《ちうやおび》(6)胸だかに、足にはぬり木履《ぼくり》(7)、ここらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の帰りに首筋白々と(8)手拭《てぬぐひ》さげたる立姿を、「今三年の後《のち》に見たし」と廓《くるわ》がへりの若者は申しき。
(1)女主人公である美登利が、はなやかな容貌や服装を大写しながら紹介されていきます。
(2)髪をうえに束ね、元結でしっかり結んで。
(3)ちぢれた毛で作った入れ毛でふくらませて髪。花柳界から、当時は女学生にも流行っていた。
(4)黒い襦子。襦子は、織物の表面に経(たていと)か、緯(よこいと)だけを浮かせたもので、表面はなめらかでつやがある。
(5)水浅黄と緋色など二色以上に染め分けた絞り染め。
(6)表と裏に異なる布を縫い合わせて仕立てた帯。
(7)後ろが丸くて高く、色を塗った娘向けの下駄。
(8)おとなのような化粧をして。
大黒屋《だいこくや》(9)の美登利《みどり》(10)とて、生国《せうこく》は紀州(11)、言葉のいささか訛《なま》れるも可愛《かわゆ》く、第一は切れ離れ(12)よき気象を喜ばぬ人なし。子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人(13)が全盛の余波《なごり》、延《ひ》いては遣手《やりて》新造《しんぞ》(14)が姉への世辞にも、「美いちやん、人形をお買ひなされ、これはほんの手鞠代《てまりだい》」と、くれる(15)に恩を着せねば、貰《もら》ふ身のありがたくも覚えず、まくはまくは(16)、同級の女生徒二十人に揃《そろ》ひのごむ鞠《まり》を与へし(17)はおろかの事、馴染《なじみ》の筆やに店《たな》ざらしの手遊《てあそび》を買しめて喜ばせし事もあり。さりとは日々夜々《にちにちやや》の散財、この歳《とし》この身分にて叶《かな》ふべきにあらず。末は何となる身ぞ(18)。両親ありながら大目に見て、あらき詞《ことば》をかけたる事も無く、楼の主《あるじ》が大切がる様子《さま》も怪しきに、聞けば養女にもあらず、親戚《しんせき》にてはもとよりなく、姉なる人が身売りの当時、鑑定《めきき》に来たりし楼の主が誘ひにまかせ、この地に活計《たつき》もとむとて、親子三人《みたり》が旅衣、たち出《いで》し(19)はこの訳、それより奥は何なれや、今は寮のあづかりをして母は遊女の仕立物、父は小格子《こがうし》の書記(20)になりぬ。この身は遊芸、手芸、学校にも通はせられて、そのほかは心のまま、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで、見聞くは三味《さみ》に太鼓にあけ紫《むらさき》のなり形(21)、はじめ藤色絞りの半襟《はんゑり》を袷《あはせ》にかけて(22)着て歩るきしに、田舎者《いなか》者と、町内の娘どもに笑はれしを口惜《くや》しがりて、三日三夜《みよ》泣きつづけし事もありしが、今は我れより人々を嘲《あざけ》りて、野暮な姿と打《うち》つけ(23)の悪《にく》まれ口を、言ひ返すものもなくなりぬ。
(9)妓楼の名。
(10)禿(遊女に使われる少女)によくある名前。
(11)紀伊。南海道六か国の一国で、現在の和歌山県と三重県の南部にあたる。
(12)金ばなれがよい、気前がよいこと。
(13)大巻という花魁を指している。
(14)「遣手」は遊女の世話をする老女で、「新造」は遊女につき従う若い遊女。
(15)ここでは、金銭を与える。
(16)気前よく与えることだ。
(17)当時、ごむ鞠は高価で、ふつうは糸かがりの鞠で遊んでいた。
(18)美登利の運命について読者に期待を抱かせている。
(19)「たち出づ」は、出て来る。衣を断つと旅立つとの掛詞になっている。
(20)会計係。
(21)三味線や太鼓の音を聞いて明け暮れし、朱や紫の派手な色の衣装の女たちの姿を見る。「あけ」は「明け」と「朱」の掛詞。
(22)半襟は襦袢にかけるもので、袷にかけるのは野暮ったい感じ。藤色の絞りというのも、あかぬけない。
(23)むきだし。無遠慮。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
解けば足にもとどくに違いない髪を、根あがりに堅くつめて前髪大きく髷(まげ)重たげな、赭熊(しゃぐま)というその結いかたの名は恐ろしいけれど、これをこの頃の流行(はやり)だといってよい家の令嬢(むすめご)もなさることよ、色白く鼻筋通って、ロもとは小さくないけれど締まっているので醜くはなく、一つ一つを取り上げると美人の鑑(かがみ)には遠いけれど、もの言う声の細くすずしい ことや、人を見る目に愛敬があふれていて、身のこなしのいきいきしているのは快いものである、柿色に蝶鳥を染めた大柄の浴衣を着て、黒繻子(くろじゅす)と染分(そめわけ)絞りの昼夜帯(ちゅうやおび)を胸高に締め、足にはぬり木履(ぼくり)のここらあたりにも多くは見かけない高いのを履き、朝湯の帰りに白白とした頸筋に手拭いを提げた立姿を目にすると、もう三年あとに見たいと廓がえりの若者は言ったもの、それは大黒屋の美登利といって生まれは紀州、言葉がいささか訛(なま)っているのも可愛く、第一には気前のいい気性を喜ばない人はいない、子供に似合わない銀貨入れの重さも道理、姉にあたる人が全盛の華魁なのでそのおこぼれ、さらには遣手新造(やりてしんぞ)が姉への機嫌取りにも、美(み)いちゃん人形をお買いなされ、これはほんの手鞠代と、くれるのに恩を着せないので貰う方はありがたくも感じす、ばらまくはばらまくは、同級の女生徒二十人に揃いのごむ鞠を与えたのは序のロ、馴染みの筆屋に店(たな)ざらしになっていた玩具を買い占めて喜ばせたこともある、それでも毎日毎日の散財がこの年この身分でできるはずもなく、末はいったい何になる身なのか、両親がありながら大目に見て荒 い言葉をかけたこともなく、華魁楼の主(あるじ)がこの子を大切がるさまも怪しいところを、聞けば養女でもなく親戚でももとよりなく、姉にあたる人が身売りした当時、鑑定(めきき)に来た楼の主に誘われるままに、この土地で暮らしを立てたいと思った親子三人が旅姿で、やって来たのはこういうわけ、それ以上に立ち入れば何があるのか、ともかく今は寮のあずかりをしながら母は遊女の仕立物、父は小格子の書記になっているもの、この美登利は遊芸手芸学校にも通わされて、そのほかは思いのまま、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで見聞きするのは三味線に太鼓に朱(あけ)や紫の着物の色柄具合、移って来た初めは藤色絞りの半襟を袷(あわせ)にかけて着て歩いた折りに、田舎者田舎者と町内の娘どもに笑われたのを口惜しがって、三日三晩泣き続けたこともあったが、今は自分から人々を嘲って、野暮な姿とむき出しの憎まれ口を叩いても、言い返す者もいなくなった次第、
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