樋口一葉「たけくらべ」④
きょうは、第二章の中盤です。
「己《お》れのする事は乱暴だと人がいふ。乱暴かも知れないが、口惜《くや》しい事は口惜しいや。なあ、聞いとくれ信さん。去年も己れが処の末弟《すゑ》の奴と正太郎組の短小野郎《ちびやらう》と、万燈《まんどう》(13)のたたき合ひから始まつて、それといふと、奴の中間《なかま》がばらばらと飛出しやあがつて、どうだらう、小さな者の万燈を打《ぶち》こわしちまつて、胴揚《どうあげ》にしやがつて、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、間抜《まぬけ》に(14)背のたかい大人のやうな面《つら》をしてゐる団子屋の頓馬《とんま》が、頭《かしら》もあるものか尻尾《しつぽ》だ尻尾だ、豚の尻尾(15)だ、なんて悪口《あくこう》を言つたとさ。己《お》らあその時千束様《せんぞくさま》へねり込んでゐたもんだから、あとで聞いた時に、直様《じきさま》(16)仕かへしに行かうと言つたら、親父《とつ》さんに頭から小言《こごと》を喰《く》つて、その時も泣寐入《なきねいり》。一昨年《おととし》はそらね、お前も知つてる通り、筆屋の店(17)へ表町の若衆《わかいしゆ》が寄合《よりあつ》て、茶番(18)か何かやつたらう。あの時己《お》れが見に行つたら、横町は横町の趣向がありませうなんて、おつな事(19)を言ひやがつて、正太ばかり客にしたのも胸にある(20)わな。いくら金があるとつて(21)、質屋のくづれの高利貸が何たら様だ、あんな奴を生して置くより擲《たた》きころす方が世間のためだ。己《おい》らあ今度のまつりには、どうしても乱暴に仕掛て、取かへしを付けようと思ふよ。だから、信《のぶ》さん、友達がひに、それはお前が嫌やだといふのも知れてるけれども、どうぞ我《お》れの肩を持つて、横町組の恥《はぢ》をすすぐのだから、ね、おい、本家本元の唱歌だなんて威張《いば》りおる正太郎を、取《とつ》ちめてくれないか。我《お》れが私立の寐《ね》ぼけ生徒といはれれば、お前の事も同然だから、後生だ、どうぞ、助けると思つて、大万燈《おほまんどう》を振廻しておくれ。己《お》れは心《しん》から底から口惜《くや》しくつて、今度負けたら長吉の立端《たちば》は無い」
と無茶《むちや》にくやしがつて、大幅の肩(22)をゆすりぬ。
(13)万度。長い柄をとりつけてささげ持つ行灯。祭りなどで、四角い木のわくに紙を張って箱形につくり、絵や文字を書いたり、花などを飾ったりする。祭りの際、喧嘩の道具にもなった。
(14)やたらに。見当はずれに。
(15)最低のやつ。
(16)ただちに。すぐさま。
(17)筆や墨をはじめ紙や習字手本などの文具一般を売っていた、いまの文房具店。表町の子どもたちの遊び場になっていた。
(18)ありふれたものを材料に、身振り手振り口上などでおどけたことを演ずる滑稽寸劇。
(19)普通とちがい、一種のしゃれた情趣があるさま。ここでは、きいたふうなせりふ。
(20)心の中に考えるところがある。遺恨がある。
(21)いくら金があるからといって。以下、会話を生き生きとうつし取っていく。
(22)肩幅が広い。長吉は年長であることが示されている。
朗読は、YouTube「いちようざんまい」でどうぞ。
《現代語訳例》『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』(河出書房新社、2008.1)[訳・松浦理恵子]から
俺のすることは乱暴だと人が言う、乱暴かも知れないが口惜しいものは口惜しいや、なあ聞いとくれ信さん、去年も俺のところの末弟(すえ)の奴と正太郎組のちび野郎と万燈(まんどう)のたたき合いから始まって、それっと言うと奴の仲間がばらばらと飛び出しやあがって、どうだろう小さな者の万燈をぶちこわしちまって、胴上げにしやがって、見やがれ横町のざまをと一人が言うと、間抜けの背の高い大人のような面(つら)をしている団子屋の頓馬が、頭(かしら)なんかじゃあるものか尻尾(しつぽ)だ尻尾だ、豚の尻尾だなんて悪口(あつこう)を言ったとさ、おらあその時千束様へねり込んでいたもんだから、あとで聞いた時すぐさま仕返しに行こうと言ったら、父(とつ)さんに頭から小言を喰ってその時も泣き寝人り、 一昨年(おととし)はそらね、おまえも知ってる通り筆屋の店へ表町の若い衆が寄り合って茶番か何かやったろう、あの時俺が見に行ったら、横町は横町の趣向がありましょうなんて、おつなことを言いやがって、正太ばかり客にしたのも胸にあるわな、いくら金かあるたって質屋のくずれの高利貸が何て態度だ、あんな奴を生かしておくよりたたき殺す方が世間のためだ、おいらあ今度の祭にはどうしても乱暴にしかけて取りかえしをつけようと思うよ、だから信さん友達がいに、それはおまえが厭だと言うのも知れてるけれどもどうぞ俺の肩を持って、横町の恥をすすぐのだからね、おい、本家本元の唱歌だなんていばりよる正太郎をとっちめてくれないか、俺が私立の寝ぼけ生徒と言われればおまえのことも同然だから、後生(ごしよう)だ、どうぞ、助けると思って大万燈(おおまんどう)を振り回しておくれ、俺はしんから底からロ惜しくって、今度負けたら長吉の立場はないと無茶に口惜しがって幅の広い肩をゆすった長吉。
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